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橋⑥アメリカ橋 [a landscape]

 

♪ アメリカ橋って知ってますか
  目黒と恵比寿の間にある
  下を山手線轟々走る
    鉄でできた青い橋
  …………
    二人で暮らすことに やっと慣れたのは
  気圧配置も秋 いわし雲が窓に見えてた
(「アメリカ橋」詞:奥山侊伸 曲:信楽順三 歌:狩人 昭和54年)

上の歌詞にあるように、「アメリカ橋」はJR山手線の恵比寿駅近くにある。
「アメリカ橋」は俗称で、正式には地名をとった「恵比寿南橋」。しかし、正式の名称で呼ぶ人は少なく、アメリカ橋で定着している。
以前は知る人ぞ知るだけの橋だったが、何年か前、ガーデンプレイスができてから、多くの若者にも知られるようになった。

橋といってもその下を通っているのは川ではなく鉄道。つまり高架橋ということ。
恵比寿駅からだとガーデンプレイスへは、そのアメリカ橋を右手に見ながら行くことになる。とりたてて特徴のある橋でもないのだが、なぜか“オシャレな街”にネーミングがマッチして知名度も高い。

「アメリカ橋」の歌詞の続きに、
♪あなたが教えてくれたのね あの橋の名前とわけを
という部分がある。その名前の由来は、橋のたもとのプレートに次のように書かれている。

『1906年(明治39年)、アメリカ万国博覧会で展示された橋を、当時の国鉄が買い取り、1926年(大正15年)に架けられたいわれのある橋で、1970年に改築され「恵比寿南橋」として現在に至っている。通称「アメリカ橋」と呼ばれている』

なんとも味気ない。歌からイメージするドラマチックな由来の微塵もなかった。それはともかく。

狩人の「アメリカ橋」は大ヒットとはいかなかったが、それでも小ヒット、知名度のUPには貢献した。しかし、ガーデンプレイスの完成によってその名は何十倍も浸透したのだから、街の開発の力には流行歌も勝てない。
ただ、この歌、狩人のオリジナルではなく、その3年前に湖東美歌というシンガーによってレコード化されている。彼女はNHK「ステージ101」の出身とのこと。

その後、別の「アメリカ橋」という題名の歌が平尾昌晃作曲、山口洋子作詞でも作られている。平成10年のことで歌ったのは山川豊

こちらは、かつての恋人同士が偶然アメリカ橋で逢い、懐かしさにかられて少し立ち話をして、別れていくという“再会、でもさよなら”ストーリー。
そのほか、やはり演歌で徳久広司が作り、「放されて」木下結子が歌った「アメリカ橋」もあるようだが、これは聴いたことがない。

狩人版「アメリカ橋」の作曲家、信楽順三は京都出身。菅原洋一、加藤登紀子、園まり、西田佐知子、テレサテン、チャダ、殿様キングスといろいろな歌手に作品を提供しているが、最大のヒット曲はやはり「アメリカ橋」。同時にボイス・トレーナーとしても知られ、現在「アメリカ橋歌謡教室」を主宰しているとか。

作詞の奥山侊伸は、北海道出身で芸能マネージャーから、放送作家へ転身した人。前田武彦の付き人から青島幸男の付き人へ鞍替えし、修行の甲斐あって「世界まるごとHOW MACH」などのテレビ番組の構成作家として知られるようになる。一時は師匠の青島幸男同様、作家タレントとしてテレビに顔をみせていた。

作詞した作品はそれほど多くないが、提供したシンガーはさすがテレビマンらしく、大橋巨泉、所ジョージ、坂本九、モコ・ビーバー・オリーブなど多彩。「アメリカ橋」以外で知られているのは「カッコマン・ブギ」(ダウンタウン・ブギウギ・バンド)「高原の二人」(せんだみつお)ぐらい。また自作自演が多いのも師匠譲りの豪気。

狩人はごぞんじのとおり、昭和52年「あずさ2号」でデビューした兄弟デュオ。
30年間も続いたのはやはり肉親だからか。他人だったらこうはいかない。
その狩人も今年いっぱいで解散するとか。ともにソロでやっていくらしい。

その狩人に「聖橋で」という歌がある。JRお茶の水駅そばの橋を歌ったもので、作詞は阿久悠
何気なく逢って何気なく別れた男と女。女は別れて男のことが気になりはじめ、「あの聖橋で逢いませんか」と便りを出す。そんな歌。アメリカ橋ほどヒットはしなかった。


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