●橋②赤い橋 [a landscape]
♪ いろんな人が この街を出る
渡った人は 帰らない
赤く 赤く塗った 橋のたもとには
赤い 赤い花が 咲いている
不思議な橋が この街にある
渡った人は 帰らない
(「赤い橋」詞:北山修、曲:山本幸三郎、歌:浅川マキ、昭和48年)
幅10メートルに満たない小さな川。そこに架かった赤い橋。川の向こうの景色は霧にかすんでぼやけている。風もなく音もなく、ただ橋のたもとに彼岸花が咲いている。
彼岸と此岸をつなぐ不思議な橋。「赤い橋」。
そんなモノトーンに赤色を加えた三色の世界。それを歌うのが黒のロングを身にまとった浅川マキ。まさにうってつけ。
作詞の北山修は、ご存じフォーククルセダーズのヴォーカル&ベーシスト。フォークル時代はほとんどの作詞を担当し、解散後も、メンバーの加藤和彦や端田宣彦、あるいは仲間の杉田二郎と組んで多くのヒット曲を作った。いくつかをあげてみると、
「あの素晴らしい愛をもう一度」(加藤和彦、北山修)
「戦争を知らない子供たち」(ジローズ)
「白い色は恋人の色」(ベッツィ&クリス)
「風」(はしだのりひことシューベルツ)
もちろん、いわゆる“フォークルファミリー”ではない作曲家と組んでつくった歌もある。
なかでもヒットしたのが「さらば恋人」(堺正章)や「初恋の丘」(由紀さおり)。作曲は前者が筒美京平で後者が渋谷毅。どちらも昭和46年の発売。
そしてもう1曲が「赤い橋」。
作曲の山本幸三郎はよくわからない(ご存じの方教えてください)が、浅川マキでは寺山修司と組んでかの名曲「かもめ」、「花いちもんめ」、「ふしあわせという名の猫」などを作っているほか、カルメン・マキの曲もてがけている。ということは、天井桟敷とか東京キッド・ブラザーズに関わっていたミュージシャンかもしれない。
また編曲では、「灰色の瞳」ほか、長谷川きよしの作品や、「黒の舟唄」など野坂昭如の作品をアレンジしている。
浅川マキ自作の「夜が明けたら」をアレンジしたのが昭和44年。このあたりがいちばん古いと思っていたのだが、30年代後半にカヴァーポップスの編曲を担当していたという資料も目にしたことがある。
話変わって。
演歌には「紅い橋」真咲ようこ があるが、「赤い橋」という同名異曲もあるらし。
反対に「白い橋」というのは2曲知っている。ひとつは草笛光子、もうひとつは三田佳子と、いずれも女優が歌っている。前者の作曲は古賀政男、後者は吉田正と、昭和歌謡を代表する作曲家が手がけているのもおもしろい。
なお、インドネシアには「赤い橋」という歌があるらしい。
「ジュンバタン・メラ」(赤い橋の意)という歌で、インドネシアの大都市・スラバヤに実際にある橋で、そこで出会った男と女のラブストーリーだとか。
♪たとえこの赤い橋が くちはてようとも 私は誓う
いつまでもいつまでも あの人をここで待つと
という内容で、この「赤い橋」は別名「恋人橋」というそうである。
takagakiさん、いつもありがとうございます。
by MOMO (2007-09-28 21:19)
deacon_blueさん、いつもありがとうございます。
by MOMO (2007-09-28 21:19)