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●無縁坂 [a landscape]


♪ 母がまだ若い頃 僕の手をひいて
  この坂を登るたび いつもため息をついた
  ため息つけばそれで済む 後ろだけは見ちゃだめと
  笑ってた白い手は とてもやわらかだった
  …………
  忍 不忍 無縁坂 かみしめるような
  ささやかな 僕の母の人生
(「無縁坂」詞、曲:さだまさし、歌:グレープ、昭和50年)

歌がヒットしたおかげでその場所や地名が広く知れ渡るということがある。「矢切の渡し」(ちあきなおみ他)がそうだし、「伊勢佐木町ブルース」(青江三奈)がそう。
上にあげた「無縁坂」も多分そう。東京に無縁坂がひとつある。しかし、グレープが歌ったものがその無縁坂なのかどうかわからない。広い日本、ほかにもどこかに無縁坂があるのかもしれない。多分といったのはそういう意味。

東京の無縁坂は、文京区の東大付属病院あたりから上野の不忍池へと下る100メートルあまりの坂。町名でいうと湯島と池之端の間。森鴎外「雁」にも次のように描かれている。
『寂しい無縁坂を降りて、藍染川のお歯黒のやうな水の流れ込む不忍の池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。……』

実際の無縁坂は、歌の文句にあるような、途中でため息をつくほどの急坂でもなければ、長い坂でもない。この若いお母さんは病弱だったのか、さもなければ大きな荷物を持っていたのか、なんて意地悪を言ってはいけない。人生幸朗じゃないんだから。軽口封印。

で、この一帯は、湯島の切通しも近く、坂の多い土地として知られている。
無縁坂を下り、不忍通りに出る前の道を左折する。左にカーブする道をみちなりに行くと、左手に東京大学の本郷キャンパスをみるゆるやかな坂に出る。これが暗闇坂。その坂の途中、右手には竹久夢二・弥生美術館があり、その数軒先には立原道造記念館がある。なんとはなしに、文学が香ってくる坂道。

暗闇坂を上りきると言問い通りに出る。そこもまた坂。弥生式土器の発掘で知られた弥生坂。別名鉄砲坂(昔坂下に射撃場があった)。下って不忍通りと交叉すると今度は長い上り坂。谷中や上野桜木町に通じる善光寺坂だ。かくのごとくこの一帯は坂づくし。

ついこないだ森進一「おふくろさん」が話題になったが、上に紹介した「無縁坂」も代表的な“母親讃歌”。いささか感情過多とも思えるが、肉親とくに母親を歌ったものはそうなりがち。「おふくろさん」も同じこと。

「無縁坂」に題名が似ている「無言坂」(香西かおり)があるが、こちらは架空の坂。ついでにいえば「硝子坂」(高田みづえ)「夕陽坂」(都はるみ)も聞いたことがない。

ところでこの無縁坂、名の由来は、以前この坂下に無縁寺があったからといわれている。またついでにいうと、暗闇坂は、昔、両側を鬱蒼とした木々に被われていたところからその名がついたようで、こちらは東京でも他に何カ所かあるようだ。

坂の名の由来もおもしろいもので、やはり東京の数カ所にある幽霊坂もそう。これらの坂のほとんどは付近に墓場があったからとか。
また三年坂も多い。これは作るのに三年かかったからではなく、上りきるのに三年かかるほど長いからでもなく、ここで転ぶと三年後に死ぬという言い伝えがあるからだとか。よく人が転ぶほど急坂だったのかもしれない。とにかくこわい坂。市ヶ谷、霞ヶ関、神楽坂などあちこちにある。

昨日も書いたが、わたしも昔坂で転んだことがあった。しかし幸運なことにその坂は三年坂ではなかったし、それから四半世紀いまだにピンピンしている。でもないか。


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deacon_blue

☆ あと二曲(^o^)。「多摩蘭坂」(RCサクセション)。「桜坂}(福山雅治)。『たまらん坂』という小説もあってこれはキヨシローの歌と同じ坂のことを描いているはずです(^^)。
by deacon_blue (2007-08-18 23:55) 

MOMO

「多摩蘭坂」は国分寺にあるようですね。
名前の由来に興味があります。
辛抱堪らんほど急坂だったのですかね。
RCの歌はぜひ聞いてみたい。
by MOMO (2007-08-20 21:51) 

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