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『ソロソロやめたい ムード歌謡』 [noisy life]

♪ 別れた人に会った 別れた渋谷で会った
  別れたときと同じ 雨の夜だった
  傘もささずに原宿 思い出語って赤坂
  恋人同士にかえって グラスかたむけた
  やっぱり忘れられない 変わらぬやさしい言葉で
  私をつつんでしまう だめよ弱いから
  別れても(別れても) 好きな人(好きな人)
  別れても(別れても) 好きな人(好きな人)
(「別れても好きな人」詞、曲:佐々木勉、歌:ロス・インディオス&シルヴィア、昭和54年)

アイドル歌謡とニューミュージックに二分されていた昭和50年代の流行歌シーン。それでもムード歌謡も細々と生きつづけます。
前回ピックアップしたグループのほかでは、三浦弘とハニーシックス「よせばいいのに」、森雄二とサザンクロス「意気地なし」、敏いとうとハッピー&ブルー「星降る街角」など。またソロシンガーではケイ・ウンスクテレサ・テンがムード歌謡界(そんなものはないが)に参戦してきます。

そんな50年代、ムード歌謡最大のヒットといえば、上にあげた「別れても好きな人」。雨の夜の再会、そして別れを歌った大人のラブソング。まさにムード歌謡の王道。この歌が、男と女の掛け合いソング(古い!)になっているということも、ヒットした理由のひとつ。
さらに、この歌が発表される数年前からカラオケが普及(おもにスナックや飲み屋で)し始めていました。これもヒットした理由のひとつ。
おじさんたちはたとえ一夜の疑似恋愛でも、いきつけのスナックのお姐ちゃんとデュエットできるのは至上の喜び。ママさんだって売上げが上がるのだから大歓迎。ホステスさんを横目で見ながら♪別れても~ なんてご満悦なこって……。

いずれにせよカラオケとデュエットソングのおかげで、ムード歌謡が再注目されたのは間違いないでしょう。このあとデュエットソングが出るわ出るわ。ざっとあげてみると、
「居酒屋」(木の実ナナ、五木ひろし)「男と女のラブゲーム」(矢崎滋&芦川よしみ)、「もしかしてpart2」(美樹克彦、小林幸子)、「ふたりの大阪」(都はるみ、宮崎雅)、「北空港」(ケイ・ウンスク、浜圭介)、「今夜は離さない」(橋幸夫、安倍里葎子)、「あまい囁き」(中村晃子、細川俊之)、「3年目の浮気」(ヒロシ&キーボー)などなど。

しかし、ムード歌謡の“デュエット”はこの時始まったわけではない。昭和30年代には「東京ナイトクラブ」(フランク永井、松尾和子)があり、「銀座の恋の物語」(石原裕次郎、牧村旬子)がありました。また、コーラスグループに紅一点をフィーチャーするというのも、元祖ムード歌謡コーラスグループの和田弘とマヒナスターズがしばしばやっていたこと。

たとえば、松尾和子ではレコード大賞を獲った「誰よりも君を愛す」をはじめ、「銀座ブルース」や「お座敷小唄」があるし、田代美代子では「愛して愛して愛しちゃったのよ」「涙と雨にぬれて」が。そのほか、ムード歌謡ではないけれど、多摩幸子「北上夜曲」、三沢あけみ「島のブルース」、吉永小百合「寒い朝」などでも紅一点と競演。こういう意味でもムード歌謡におけるマヒナスターズの功績は大。

ところで「別れても好きな人」はロス・インディオス&シルヴィアでリリースされる10年あまり前にGSのパープル・シャドウズがレコード化してます。パープル・シャドウズは「小さなスナック」のヒットで知られ、GSの中では清潔感ありで、ブルー・コメッツともどもムード歌謡向きのバンドでした。

作詞作曲の佐々木勉は、“遅れてきたロカビリアン”。ブームの去った昭和30年代後半に作曲家に転向。昭和38年に「夜空の星」(清原タケシ)を作詞作曲。その時はヒットしなかったが、2年後「星に祈りを」(ブロード・サイド・フォー)と改題してヒット。同じ40年には自身が歌った「あなたのすべてを」もヒット。ほかに「いつまでもいつまでも」(ザ・サベージ)「旅立つ彼」(森山良子)などフォーク、ポップス調の曲を作りました。50年代に入ると、榊原郁恵「夏のお嬢さん」をはじめ柏原芳恵、山口百恵などのアイドル中心に楽曲を作りながら、デュエットソングの「3年目の浮気」も作曲と、多才ぶりを発揮します。しかし残念ながら昭和60年、47歳の若さで亡くなりました。
生きていたらデュエットソング3部作の最後をつくったかもしれない。

♪ 生まれてぇはじめてぇ 知ったー恋よぉ 求めてはなさずぅぅ こーこーまでー来いたぁ


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