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【輪まわし】 [obsolete]

 

『青年に送られて帰った夜がよみがえると、べつのある情景が私の目に浮かぶようになった。
 やはり人気のない深夜の街である。ごつごつした固い線を持った石造の建物が道の両がわにならび、女の子がひとり路上で遊んでいる。輪まわしの輪をまわして遊んでいる。……そして女の子の行手には、影が大きく道路にのびている。男の巨大な黒い影だ。……
 キリコの「街の神秘と憂鬱」という絵に描かれた情景である。』
(「街の神秘と憂鬱」原田康子、昭和40年)

「輪まわし」は子供の遊び。たとえば、道で自転車のリームのような輪を棒きれなどで押しながら駆けまわること。
西洋では16世紀に子供たちが「輪まわし」で遊んでいたという記録があるらしいが、日本での起源は不明。だいたい子供の遊びの嚆矢などを決めるのが無理なのかもしれないが。ただ、「おもちゃの歴史」のサイトを見たところ明治33年に鉄製の輪回しが流行ったという記述があったので、明治時代には存在していたことがわかる。ただそれ以前、たとえば江戸時代にあったのかどうかはわからない。樽や桶のタガで「輪まわし」をしたという文献もあるので、江戸時代にも行われていたかもしれない。

戦後、とりわけ質量共に物が増えてくる昭和30年代にはどうだったのか。少なくともわたしおよびその周辺では「輪まわし」をしたり見たりの経験はない。主流はメンコ、ベーゴマ、ビー玉というギャンブルだった。昭和33年に流行った“輪回し”といえばフラフープ。しかし、これは弊害をいわれ短命に終わった。わたしが初めて「輪まわし」を見たのは、イタリアン・ネオリアリズムか何かの外国映画の中でだったと思う。

日本の各地で頻繁に遊ばれていたのは昭和も戦前までだったのではないだろうか。その頃、登校時、学校まで「輪まわし」で行き、その輪を校庭に転がしておいて、下校のときまた回しながら帰った子供たちがいたという話が残っている。多くはタガで、お金のある子は鍛冶屋で特注として作ってもらったそうだ。自転車のリームを使い出したのはずっとあとのことだとか。また、親たちは「輪まわし」を歓迎しなかった。なぜかというと、草履が早く減るからだという。このへんにも時代を感じる。

なお、キリコ(デ・キリコ)は20世紀のイタリアの画家、彫刻家でシュールレアリスムに影響を与えたことで知られている。「街の神秘と憂鬱」はその代表作。

原田康子の小説に出てくる女性でとりわけ魅力的なのは、少女でも女でもないその間に精神がぶらさがっている女性である。この作品の主人公・元子もそうだ。彼女たちの多くに共通しているのは芸術の中にアイデンティティを見いだそうとしている、あるいはしていたことと、同世代の恋人がいながら年上(それもかなりの)の男に魅かれるということだ。
「挽歌」で妻子ある建築家と不倫する兵藤玲子は絵を描いていたし、「犬を飼う男」の主人公・和子はジャズシンガーで、帰郷した実家の敷地内で犬を育てている中本という中年男になぜか心魅かれていく。そしてこの「街の神秘と憂鬱」の元子もまた、詩の中で“彷徨”っている。彼女は婚約者がありながら中年の刑事・木次のことが気になるのだ。ただ、それが玲子のように激しい思いではない。イージーな言葉で言えば恋愛未満というか、恋愛に発展する可能性を秘めた感情なのである。
以上のヒロイン(作者)たちにファザーコンプレックスがあったのではないかという疑問に対しては、否定するつもりはないが、それだけではないような気がする。自分の存在に対して不信や不安を抱く人間は先へ先へと人生を急ぐのである。元子をはじめ彼女たちがまさにそうで、だからこそ、自身の存在の解答を求めて芸術の中を彷徨ったり、はるか先を歩もうとする。中年男は少なくとも自分よりは2歩も3歩も先を歩いている人間なのである。
ただ、「挽歌」から6、7年たって原田康子の描くヒロインは、その分かなり分別がつき大人になっている。それは言い方を変えれば臆病になっているということでもある。


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ヒフミヨは天岩戸の祝詞かな

 輪まわしは、金子みすゞの詩にもある。 
 
輪まわし  金子みすゞ 

あの町ぬけて
この町ぬけて
輪まわし がァらがら、
一つ人力
二つ荷車
おいこして がァらがら。
三つ目をぬけば
もう町はずれ、
町の外へ がァらがら。

田圃のみちは
お空へつづく、
空の上まで がァらがら。
日が暮れかかりゃ
夕やけのなかへ
ほうり出して、かァえろ。

海から出た星が、
その輪をかぶって、
天文台の博士、
びっくり、しゃっくり、目をまわす。
「大発見じゃ、たいへんじゃ、
土星が二つにふえちゃった。」

天文台の博士も使う数の言葉ヒフミヨは、
輪まわしに【見えないモノでもあるんだよ】のように、輪(〇)に△□を炙り出し数学の言葉の基のヒフミヨ(1234)を創出している・・・
 言葉の点線面、カタチの△□〇、数の言葉ヒフミヨ(自然数)を繋ぐのは輪まわしの行為に見つけるのが[群論]かもしれない・・・

 △は〇の内にて意地通す

 □とはもろはのつるぎ心□

 πと一△□〇繋ぐ
by ヒフミヨは天岩戸の祝詞かな (2022-02-06 20:31) 

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