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『ブルース②』 [noisy life]


♪ 二人を 夕やみが つつむ この窓辺に
  明日も 素晴らしい 幸せが くるだろう
  君の 瞳は 星と 輝き
  恋する この胸は 炎と 燃えている
  大空 染めてゆく 夕日 色あせても
  二人の 想いは 変わらない いつまでも
(「君といつまでも/Stay with you forever」詞:岩谷時子、曲:弾厚作、歌:憂歌団、平成2年)

和製ブルースの話をすると、本物のブルースファンは必ず顔を蹙めるか、嘲笑します。たしかに、憂いだけは踏襲しているものの、どこがブルースなんだという気はしますが。今流行りの社交ダンスにも“ブルース”という種目があるそうで、四分の四拍子のスローテンポ、もっとも初心者向けの踊り方だとか。サンプルは何かとCD店でチェックしたらほとんどが歌謡曲。「東京ブルース」、「柳ヶ瀬ブルース」などはさもありなんで、他にも「長崎は今日も雨だった」とか、「津軽海峡冬景色」などが社交ダンスのブルースナンバーとしてありました。

ものの本によると、“ブルース”という言葉がタイトルにつけられた流行歌、つまり和製ブルースの第一号は昭和10年、ヘレン本田「スイート・ホーム・ブルース」だそうですが、未聴です。カヴァー曲では、やはり10年にディック・ミネ「セントルイス・ブルース」を出しています。
ヒット曲となると、これは有名な「別れのブルース」。当時、最も洋楽っぽい流行歌を作曲していた服部良一と、慶大出のモボ・藤浦洸の作詞、そして主にシャンソン、タンゴ、ジャズといった洋楽を歌っていたモガ・淡谷のり子のトリオで大ヒット。翌年には服部―淡谷コンビで「雨のブルース」もヒットして、ブルースブームが起きます。それにより淡谷のり子は「ブルースの女王」と呼ばれることに。なお「セントルイス・ブルース」をはじめて歌った(ステージで)日本人は淡谷のり子で、当初、和製ブルースについては乗り気ではなかったとも。その「セントルイス・ブルース」も昭和18年には、他のジャズやアメリカ民謡とともに“敵性音楽”として発売禁止に。

戦後、はじめにヒットしたのが22年の「夜霧のブルース」(ディック・ミネ)。以後続々と和製ブルースが作られ、昭和30年には「赤と黒のブルース」(鶴田浩二)が大ヒット。そして39年の「東京ブルース」(西田佐知子)以後、いわゆる“ご当地ソング”という地名をつけたブルースが出てきます。戦後の“新・ブルースの女王”青江三奈札幌、盛岡、伊勢佐木町、本牧、片山津、大阪、長崎、太田(テジョン)など多くの“ご当地ソング”のブルースを歌いました。
歌謡曲ばかりではありません。GSでも「マドモアゼル・ブルース」(ジャガーズ)、「本牧ブルース」(ゴールデン・カップス)があるし、フォークでも「受験生ブルース」「主婦のブルース」(高石友也)や「山谷ブルース」(岡林信康)があります。また、ロックでも「ピンナップ・ベイビー・ブルース」(シーナ&ロケッツ)や「平成のブルース」(ブルーハーツ)なんてのもあります。
しかし本物の? 和製ブルースというのならやはり憂歌団ではないでしょか。「大阪ビッグリバー・ブルース」がありました。「胸が痛い」「嫌んなった」などのオリジナルもブルージーだし、カヴァー曲でコマーシャルにも使われた「君といつまでも」Stay with you forever なんて、まさに和製ブルースの極致といった気分です。


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MOMO

deacon_blueさん、ありがとう。
by MOMO (2007-05-11 21:49) 

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