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『マーチ』 [noisy life]

 

♪ 若い力と 感激に
  燃えよ若人 胸を張れ
  歓喜あふれる ユニフォーム
  肩にひとひら 花が散る
  花も輝け 希望にみちて
  競え青春 強き者
(「若い力」詞:佐伯孝夫、曲:高田信一、昭和21年)

マーチと言ってすぐに連想するのは「軍艦マーチ」。戦争体験はないけれど、パチンコ店のジャンジャンバリバリ“テーマソング”として耳慣れた曲。正式な曲名は「軍艦」といい、明治33年に作られたそうです。ちなみにパチンコ店で「軍艦マーチ」が流れたのは昭和26年、有楽町の店が嚆矢、というのが業界では定説になっているとか。
また、運動会やテレビのスポーツ番組、あるいは映画館のニュースでよく聞いたのがスーザJOHN PHILIP SOUSAのマーチ。「無敵の荒鷲」「ワシントン・ポスト」「エル・キャピタン」「星条旗よ永遠なれ」などなど。これらも最近は耳にすることが少なく、懐かしい音楽になってしまいました。

個人的なマーチの思い出は小学校の鼓笛隊。なんといっても先頭を切る指揮者がカッコよかった。わたしの銭湯友達のイケヤ君がその指揮者でした。わたしは縦笛にももれてカヤの外。幼稚園の頃から知るイケヤ君、大の目立ちたがり屋。いつでもどこでもオレガオレガ。よく言えば活発。裏返せば出しゃばり。
その彼が中学へ入るなり、人が変わったように大人しくなってしまったからびっくり。意識的に己を出さないというか、人の陰に隠れるような、まるで忍者のような中学校生活の日々。学校でも家庭でも、何か彼を変えるような特別な事件があったとは思えません。きっと思春期でもあり、何か思うところがあったのでしょう。しかし、そんな彼でもわたしとふたりだけの時は昔と変わらない。というか、いまから思えば、元来一対一になると、特別明るいという少年ではありませんでした。そちらの方が本来の彼だったのかも。
中学になっても、相変わらず銭湯の誘いにやって来ました。そして、夜道を歩きながらボソボソと話をはじめる。ときどきわたしを無視するように鼻歌などを口ずさむ。そんなひとつが「若い力」でした。♪燃えよ若人胸を張れ…… いい調子で歌う彼を見ると、口と頬が笑っていましたっけ。

別々の高校へ行ったり引っ越したりで、会わなくなって20年あまり。小学校の同窓会で久々にイケヤ君と再会。金融関係の会社に勤めるイケヤ君は派手でもなく地味でもない自然体の男でした。唯一変わったのは体重が2倍ぐらいになってしまったこと。
同窓会の二次会はカラオケスナックへ。そこで主役になったのがイケヤ君。裕ちゃんの「二人の世界」やハニーシックスの「よせばいいのに」、いわゆるムード歌謡を立て続けに熱唱。それが上手いのだ。手慣れて様子でマイクを握り、余裕タップリに歌ってみせる。もちろん口と頬が笑っていた。それだけではない。歌いながらときどき女性陣に流し目を送るのだ。それがまるで演歌歌手のように。
多分、鼓笛隊で指揮をとったことや、銭湯帰りの夜道で歌った「若い力」のことなど忘れてしまっていたのでしょう。鼓笛隊の指揮者からムード歌謡のカラオケ名人へ。そんなことってありますよね。

「若い力」は敗戦から丸一年を経た昭和21年8月、第1回国民体育大会の歌として世に出ました。大会の場所は兵庫県の宝塚。焼け野原の東京はいまだ立ち直れないでいたのです。しかし場所はどこであれ、新しい時代の空に「若い力」のマーチが鳴り響いたのです。
作詞の佐伯孝夫「いつでも夢を」「有楽町で逢いましょう」「再会」などの流行歌で知られる昭和を代表する作詞家。「燦めく星座」「森の小径」あるいは「勘太郎月夜唄」など、戦前からヒット曲を作っていた佐伯孝夫。「若い力」は戦後初の作品。
作曲の高田信一は東京生まれで、クラシック出身。東京フィルハーモニーの専任指揮者や大学教授などを務めるかたわら、映画音楽も手がけ、昭和26年には「風雪二十年」(東映)で毎日映画コンクールの音楽賞を受賞。昭和35年、40才という若さで亡くなった。やはり故人ですが、「誰もいない海」の作曲者、内藤法美の師匠でもありました。昭和26年には「オリンピックの歌」(灰田勝彦)を作っています。


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コメント 3

deacon_blue

☆ 昭和26年に「軍艦」を流した店というのは度胸があるというか,失礼ながらどこのお国の方でいらっしゃいますかなどと無礼な愚問を思ったりしますが(ここ数日某新聞の報道を読みながらいろいろ考えておるものですから),ただ発想はイイですね。これ。イイとしか言いようがない(苦笑)。

☆ 最近はトンと参りませんが,90年代からこの「軍艦」の代わりにT-スクエア「Truth]がガンガンかかるようになって,パチンコ屋でF1かよと苦笑いした記憶が。。。
by deacon_blue (2007-05-04 07:44) 

momo

MOMOさんは、男性だったのですね!
by momo (2007-05-04 09:39) 

MOMO

deacon_blueさん、いつもありがとうございます。
昭和20年代はもちろん、30年代でも、国民の戦前の軍国主義に対する忌避意識というのは、今ほど強くはありませんでした。昭和30年代に起きた軍歌ブームもそれを裏付けています。反戦、厭戦の考え方は、よくいわれる敗戦を境に劇的に生じたものではなく、数十年の学習のなかでつちかわれていったものでしょう。現在その反動がきていますが。それはともかく。パチンコ「軍艦マーチ」の発想が何人によって行われたかは措くとして、そこに時代的な意味を嗅ぐとしたら、昭和26年というタイミングですよね。
90年代はT-スクエアですか。今のパチンコ店の“煽り”サウンドは何なのでしょうか。確かめに一度行ってみたい気がします。


momoさん、こんにちは。
性別不詳でしたか? 半世紀ほど男をやってます。今度生まれてくるならば、女がいいですね。別に深い意味はなく、せっかくなら180度違う世界を経験したいというだけのことなのですが。
by MOMO (2007-05-04 22:12) 

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