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【脳タリン】 [obsolete]

『「いったい、きみの貞操はいくつあったら気がすむのかねえ……」
 「あんたってろくでなしの脳タリンよ。ちがうわよ。ココロよ、あいつあマゴコロをぬすんで逃げたのよ……」
 そして有衣子ははらわたを嘔吐するかのような激しさで泣き出した。』
(「感傷旅行(センチメンタル・ジャーニー)」田辺聖子、昭和39年)

「脳タリン」あるいはノータリンなどというと、何かの酵素とか栄養素、あるいは薬品のようなかんじを受けるが。これは「脳足りん」つまり、脳みそが足りない、少々オツムが弱い(これも言わないか)ということ。「あいつは脳タリンだから」「なんだ!脳タリンのくせに」と、かつてはふつうに使われていた(地域によるのかも知れないが)のだが、最近ほとんどこの言葉をきかない。もともと誰が何処でいつごろ言い始めたのか不明。ある「俗語辞典」のサイトでは昭和後期から使われたとあったが、後期というと40年代以降ということになるが、もう少し前、戦後しばらくしてからのような気がする。
たとえば相撲で弱い力士のことを「デルトマケ」あるいは水道のことを「ヒネルトジャー」などと駄洒落て言ったことがあったが、ニュアンスとしてはそんな感じで使われたのではないだろうか。

「感傷旅行」田辺聖子の出世作。
主人公はぼく(ヒロシ)ではなく、ぼくよりもひとまわり以上年長の森有衣子。ヒロシも有衣子も放送作家。恋多き女、有衣子が“前衛党”の闘士に恋をし、そのことを親友のヒロシに相談するところから話ははじまる。
この魅力的な女性・有衣子の容貌を紹介すると。「太い短い、丸い足……」「白地に濃いオレンジの太い棒縞のはいった服を着て……まるで巨大なねじりあめみたい……」。
鼻っ柱が強くて、そのくせ少女趣味で感傷的。泣く時は手の甲を目に当ててまるで童女のように声をあげて泣く。ラジオで人生相談をしていながら、自分の恋の行く末をひとまわり以上年下の同業者に相談する。そんな三十女。
結局、有衣子は闘士にフラれる。そしてそのことでヒロシとケンカになり、ほっぺたがオタフクみたいに腫れ上がり、眼の周りに青タンができるほど殴り飛ばされる。
それでもふたりは傷をなめ合うように抱き合う。そして小旅行に行く約束をする。しかしそれは無期延期となる。あの情事のあと、有衣子はヒロシに愛情を感じていないことを知ったからだ。同じ気持ちのヒロシは、闘士と有衣子の、そして自分と有衣子のセンチメンタル・ジャーニーは終わったと思う。と同時に、それぞれが愛の王国をめざす“ほんとうの旅”に出る日がくるのだろうか、と自問する。

田辺聖子は昭和3年、大阪生まれ。女学生の頃から小説を書き始め、昭和31年「虹」で大阪市民文芸賞、39年には「感傷旅行」芥川賞受賞。ユーモアあふれた絶妙な文体で大阪の庶民を描き続けている。また、エッセイ、評伝のほか「源氏物語」「古事記」など古典の現代訳とそのテリトリーは幅広い。


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