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『踏切』 [noisy life]

 

♪ 踏切の側に咲く コスモスの花ゆらして
  貨物列車が走る過ぎる そして夕陽に消えてゆく
  十四の頃の僕はいつも 冷たいレールに耳をあて
  レールの響き聞きながら 遙かな旅路を夢見てた

  思えば遠くへ来たもんだ 故郷離れて六年目
  思えば遠くへ来たもんだ この先どこまでゆくのやら
(「思えば遠くへ来たもんだ」詞:武田鉄矢、曲:山木康世、歌:海援隊、昭和53年)

“カーンカーンカーン”と響く「踏切」の音も気になる音です。夕暮れどきなど、列車の通り過ぎたあとのフェイドアウトしていく音はどこか淋しく、踏切の“姿”にはノスタルジーすら感じます。
ただ、踏切にはそんなイメージばかりではありません。
小学生の頃でした。千葉へ海水浴へ行った帰り、わたしは私鉄電車の先頭車輌に乗り、運転席の後ろに立って窓から車輌の下に吸い込まれていく鉄路を眺めていました。少しスピードが落ち、電車がゆるいカーブを曲がりきったとき、目前にいましも踏切を渡ろうとする、自転車を引いた女性の姿が眼に入りました。と同時に急ブレーキがかかり、電車は停止。乗客のほとんどが窓にへばりついて、異変の正体を確かめようとしています。そのうち窓から、乗務員2人に上半身と足を支えられた20代とおぼしき女性が運ばれていきました。女性は泣いていました。声をあげて泣いていました。乗客のだれかが「だいじょうぶだ、意識があるから」と言っていました。多分、あの女性は電車に轢かれたのではなく、跳ね飛ばされたのでしょう。不幸中の幸いでした。
そのあと、どういう処置が行われたのか、電車はどのぐらい停車していたのか、また彼女はどうなったのか覚えてはいませんが、いまでもわたしの記憶には、迫り来る電車に、自転車のハンドルを持ったまま恐怖に固まったあの女性の顔がクローズアップで焼き付けられています。

踏切の歴史は鉄道と歩みを同じにしているので明治5年から。
全国の踏切の数は現在、JR、私鉄合わせて3万6千カ所。年々高架化などで減少しピーク時の半分になっているとか。ピーク時といわれる昭和36年には7万以上あったことになります。東京にも現在踏切が1200カ所ほどあり、そのうちの15%ほどがよくいわれる“開かずの踏切”。こういう踏切ではイライラした運転手や歩行者が無理に渡ろうとして事故を起こすケースがあります。
どのぐらいの人が踏切事故で亡くなっているのか。JR東海の発表では過去5年で、踏切事故は41件、26人が死亡したとのこと。いまでも年間平均5人が亡くなっている数字です。その半分近くは65歳以上の高齢者ということです。いつでしたか、携帯電話をしたまま、遮断機を手で持ち上げ、そのまま線路内に入って電車にはねられたという若者のことが報道されていました。それでも踏切事故の数は減っているとか。踏切そのものの数が減少しているのですから当然のことではあるのですが。

踏切のでてくる歌もそこそこあります。♪ある日 踏切の向こうに君がいて という「白い一日」(井上陽水)とか ♪商店街を通り抜け 踏切渡った時…… の「池上線」(西島三重子)、あるいは ♪ぬれた踏切から見たよ 汽車の窓に…… という「てぃーんず・ぶるーす」(原田真二)など。でも、いちばんノスタルジーを感じさせるのは上に載せた「思えば遠くへ来たもんだ」(海援隊)。歌詞もいいけど、メロディーがなんとも幼い頃を呼び戻してくれます。
ただこの歌詞は明らかに中原中也「頑是ない歌」をヒントにつくったもの。歌の題名にもなっている“思えば遠く(へ)来たもんだ”というフレーズ以外でも、いくつか似た表現や言葉が使われています。まあ、作詞家の着眼点には拍手しますが。そんなことを差し引いても「思えば遠くへ来たもんだ」が“いい歌”なのは、やはりノスタルジックなメロディーのなせるワザなのでしょうか。
作曲の山木康世は元ふきのとうのメンバー。彼らのヒット曲「白い冬」も山木の作曲。今も現役のシンガーソングライターとして活躍してるとのこと。


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