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SAILOR ON THE DEEP BLUE SEA② [story]


4歳のとき父親を病気で亡くした真澄忍は、信州で祖母と母親に育てられた。真澄家は小さな畑で野菜を栽培する女ばかり3人の家族だったが、忍は何かを妬むこともなく、何かに僻むこともなく母と祖母の愛に包まれて成長していった。彼女には微かだが父親との思い出が映像として残っている。それは、信州の家の庭にあったブランコに乗っている、忍を抱いた父親の姿だった。父は笑っていた。そして、低く歌っていた。幼い忍は眩しい陽の光と、“父親の匂い”を感じていた。それは、整髪料のような匂いだった。後年、忍は母から聞いた父が使っていた整髪料を買ってみたが、それはあの匂いと似ているが少し異なっているように思った。多分“父親の匂い”は、その整髪料に父の体臭が混ざった匂いなのだろう。
忍は高校を卒業すると、希望どおり東京へ出て製パン工場で働くようになった。

東京へ来て2年目、彼女は寮の近くに住む柳田慶一と知り合った。彼女は慶一との出逢いに感動していた。彼の考えていることが不思議と理解できるのだ。そして、自分の考えていることを、彼は分かっているようなのだ。それは相手の喜びや悲しみを共有できるということだった。そんな他人と出会ったのは彼女の20年の人生で初めてだった。それに、慶一が亡くなった父親と同じ整髪料をつけていたのも、何か親近感が感じられた。
慶一は貨物船の船乗りで、国内航路ではあったが1年のうち半分は海の上だった。それでもふたりは、将来の結婚を約束するまでになった。慶一に初めて抱かれた晩、忍は感動にうち震え涙を流した。それは愛する男と結ばれた喜びと同時に、自分を抱きしめる彼からあの“父親の匂い”に似た匂いを感じたからだった。

そして彼女が21歳になったとき、来春に結婚を約束していた冬、不幸が竜巻のようにやってきた。慶一をはじめ乗務員17名を乗せた貨物船が、太平洋の鷗崎沖数十キロの地点で冬の嵐に巻き込まれたのだ。低気圧のスピードが予想以上に速かったことがその悲劇を生んだ。貨物船は乗務員もろとも波間に消えてしまった。
うそのように晴れ渡ったその翌日から捜索は行われたが、生存者はなかった。もはや心身とも慶一と同化していた忍は、半狂乱になった。その後、1年間に3度にわたって自殺を図ったことからも、その心の痛手の深さが推し量れる。
忍の悲しみとはよそに、遺体の収容、遺留品の確保、遭難船の引き揚げなど、海難事故の処理は着々とすすめられていった。しかし、どうしても1人だけ遺体がみつからなかった。それが慶一だった。慶一に関しては衣類や靴あるいは装飾品といった遺品すらもみつからなかった。よくあることだが、そんなケースではまことしやかな生存説が流れる。漂流して何処かの島や国にたどり着き、記憶を無くしたままそこで生活している、というような。

結局、自殺を防ぐために、彼女は入院するしかなかった。
心の病が少しでも癒え、社会で人並みの生活ができるようになるまでに3年かかった。しかし、彼女は入院生活での治療により奇跡的な回復をみせたのである。そのきっかけはこんなことだった。
あるとき担当の若い精神医が彼女に言った。
「真澄さん、もしかしたら彼は生きているのかもしれないよ。そして、いつかキミのところへ戻ってくるかもしれないんだよ。そのとき、キミがこの世にいなかったら、彼はどれほど悲しむだろうか。おそらくその悲しみはキミが受けたものと同じだと思うよ。だから、そのためにも、キミは元気で彼を迎えてやらなければならないんだ。わかるだろ?」

はたして、その精神医が名医だったのか、ヤブ医者だったのかはともかく、少なくとも彼女はその言葉を信じ、心のうちにしっかりと刻みつけたのである。

退院した彼女は自分から水商売の世界へ入った。ただひたすらお金を貯めたかった。唯一の楽しみは月に一度、かもめ町へ行くことだった。そして、岬の上に座り、慶一が消えた太平洋の沖を何時間でも凝視めているのだった。すると、それほど遠くない将来、彼が還ってくるような、そんな幸せな気持ちになれるのだった。

気がつくと慶一が海に消えてから25年が過ぎていた。その間忍は一貫して水商売の世界を生きてきた。銀座や麻布に店を出すほどの商才も発揮した。しかし、祖母が、母が相次いで亡くなるという不幸にも見舞われた。その直後、彼女は白い小犬を飼いはじめ、〈クリス〉という名をつけた。
そして昭和が平成に変わって間もなく、彼女は店を売り、その世界から身を引いた。

彼女はかねてからの計画どおり、慶一が没した海の見渡せる鷗崎に土地を買い、小さな家を建てて、クリスと“ふたり”で移り住んだ。庭には小さな畑を作った。母と祖母と3人で暮らしていた信州のように。キュウリやトマトを育てながら、土の匂いをかぎながら、彼女は母や祖母と話をした。もうひとつ、これもかねてからの計画どおり、海の見渡せる庭に大きなブランコを据えた。
この先何十年間、暮らしていくのに必要なお金は銀行に預けてあった。あとはひたすら慶一を待てばいいのだ。忍はそう思っていた。
天気の良い日はこのブランコに座って、目前に広がる太平洋を眺める。青い空は慶一の偽りのない心。陽の光に輝く海は慶一との熱い思い出。白い雲は慶一の優しくあたたかい腕だった。彼女は海を見ているだけで、幸せであり希望が持てるのだった。ときとして微睡むことがあったが、そんなときには決まって慶一の幻覚や幻聴を覚えるのだった。

…………
私が忍さんと親しくなってから、ちょうど1年が過ぎた頃、彼女は身体の不調を訴えるようになった。仕事のついでに訪ねると、いつものように笑顔で迎えてくれるのだが、どこか起きているのが辛そうな様子だった。
何度かすすめて、ようやく医者に診てもらう気になったとき、病魔はかなり進行していた。肝臓に悪性の腫瘍ができていたのだ。もちろん本人には言わない。病院は入院をすすめたが、彼女は頑なに拒んだ。ここへ住んだいきさつを知っている私は、彼女の気持ちを尊重してあげるべきだと思った。
それから、彼女の家へ中年のヘルパーさんが住み込み、世話をするようになった。私も、仕事の折りにはもちろん、休日でも一日一回は顔をだすようにした。そのたびに彼女は、
「まだ死ねないわ。アタシが死んだら、あの人の帰るところがなくなるから……」
と気丈に笑うのだった。
それでも彼女の命は確実に削られていった。往診に来た医者も「もう、ひと月は無理だろう……」と私に告げた。

それから数日後、私は郵便物を持って忍さんの家を訪ねた。
彼女はすでに食事も受けつず、点滴で命をつないでいた。意識も混濁しているようだったが、制服姿の私を認めると顔をほころばせた。
私は、ひざまずき、彼女の耳もとでこう言った。
「忍さん、ようやく慶一さんから手紙が来たよ」
そのとき彼女の瞳が大きく見開かれた。そして、まるで十代の女性のように輝いた。彼女の唇がすこし動いた。耳を寄せると、「読んで……」と言って涙をこぼした。

『しーちゃん、ずいぶん長い間待たせてしまったね。ごめんよ。もっと早く連絡しなくちゃいけなかったね……。でも、よく生きていてくれたよ。ありがとう。僕はいつも、海の上からキミのことを見ていたよ。キミもブランコを揺らしながら僕のことを見ていてくれたね。でも、もう何も心配いらないんだ。しーちゃんはもうじき僕のいるところへ来てくれるんだからね。もう僕のことを待たなくていいんだよ。ほら、僕のいるところが見えるだろ。キミの親友の〈クリス〉もここにいるんだぜ、見えるだろう……』

忍さんが亡くなったあと、土地と財産は遺言どおり、すべてかもめ町に寄付された。そしてこれも彼女の希望どおり、取り壊された家や畑の跡には小さな公園が造られた。いや、財産すべてというのは正確ではない。実は驚くことに、身寄りのない彼女は、短い交流だったにもかかわらず、私や最後の世話をしたヘルパーさんにも遺産を残してくれていたのだ。
忍さんが亡くなってからしばらくすると、私はまたよその土地が恋しくなってきた。彼女の死がきっかけになったのかもしれない。とにかく、それから3カ月後、私はT社を辞め、列車に乗り、昔のように行く先知らずの旅に出たのだった。

そうそう、これは言っておかなければならない。もちろん私は遺産目当てに忍さんと親しくなったのではない。だからといって遺産の受取りを拒否することは彼女の遺志に反することになる。そこで、受け取った金額すべてを使って、その公園に銅像を造ることにした。それがいま公園の片隅にある、ブランコに乗った少女が海を眺めている、あの銅像である。


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MOMO

xml_xslさん、はじめまして。
niceありがとうございます。
by MOMO (2007-04-21 21:37) 

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