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【黒塗りのルノー】 [obsolete]

 

『……中古になりかけている黒塗りのルノーだ。水原夫妻が欧州への旅にのぼったときには、まだわりかた新しかったのだけれど、そのあとで私たちがだいぶ乗り回したのだ。……水原夫妻は、帰ってきたら今後はキャデラックか何か、でっかい奴と替えるつもりらしいから、ルノーを乗りへらしたからといって怒られる気づかいはない。』
(「黒いリボン」仁木悦子、昭和37年)

「ルノー」は昭和20年代後半から30年代後半にかけて日本を走り回った小型自動車「ルノー4CV」のこと。昭和28年、日野ヂーゼル工業がフランスの国営ルノー公団と技術提携を結び、その年の3月に発売された。日本の国産自動車が隆盛を極めるのは、昭和30年代以降で、それまでは、日野-ルノー、日産-オースチン、いすゞ-ヒルマンミンクスのように外国車と提携する国内メーカーが多かった。
日野ヂーゼルも昭和35年には国産のコンテッサを発売し、39年にはルノーとの提携を解除し生産を打ち切った。昭和37年に発売され一世を風靡した軽自動車スバル360はどこかルノーを彷彿とさせた。
昭和30年代、“神風タクシー”なる言葉が新聞や雑誌の紙上を賑わしたが、この「ルノー」が、よくそのやり玉に上げられていた。ちなみに神風タクシーとは、売上げを上げるために、スピード違反や乱暴な運転をするタクシーのことである。
昭和も50年近かった頃、わたしの友人がルノーに乗っていた。生産されなくなってから10年経っても走っていたタフな車だが、当時としてはめずらしい車種で、他にほとんど目にすることはなかった。ちなみにそのルノーは黒塗りではなく、グリーンだった。

「黒いリボン」「猫は知っていた」からはじまった仁木兄妹シリーズの4作目、最終作品。
音大生・仁木悦子はふと再会した先輩・国近絵美子に招かれ、田園調布の家を訪問する。彼女と夫で陶器会社を経営する国近昌行の間には二人の子供がいた。2才の息子と1才になったばかりの娘が。また、国近氏の弟の高校教師、妹で出戻り小説家が同居していた。そこで悦子は、2才の息子の誘拐事件に遭遇する。犯人は300万円の身代金を要求してきた。
悦子はいつものように兄で大学の植物学を専攻している雄太郎の協力を得て、事件の謎解き、犯人捜しにとりかかるのだった。夫婦の不仲、吝嗇の兄と頭のあがらない弟、そして得体の知れない女流作家。そうした、複雑な家族関係を背景に、誘拐事件は殺人まで引き起こし、予想外の展開でクライマックスへと向かう。
仁木悦子は昭和3年、東京生まれ。3才でカリエスにかかり闘病生活を余儀なくされる。戦後、宮沢賢治の影響で童話を書き始める。本名の大井三重子で雑誌に掲載される。昭和31年、推理小説「猫は知っていた」を発表。翌年江戸川乱歩賞を受賞。日本の“アガサ・クリスティー”ともいわれ、その後の推理小説ブームの一翼を担う。昭和61年に腎不全のため逝去。享年58歳。


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