SSブログ

[春の匂い・堆肥] [ozolagnia]

 

♪ 今頃は 丘の畑に
  桃の実が 赤くなるころ
  遠い日の 夢の数々
  ぼくは知りたい きみのふるさと
  ふるさとの 話をしよう
(「ふるさとのはなしをしよう」詞:伊野上のぼる、曲:キダタロー、歌:北原謙二、昭和40年)

小学生の頃のある春の日、煙突の立ち並ぶ工場の町から、田んぼと畑の村へ引っ越した。そうした田園風景など見たことがなく、軽いカルチャーショックがあった。それにもまして驚いたのが、駅を降りるなりわが鼻を急襲した「堆肥」のニオイ。
その“悪臭”は駅から歩いて10分あまりの新しい住まいに到着するまで続いた。正直、明日からこんなところで生活しなくてはならないのかと思うと憂鬱だった。しかし、なにごとも慣れ、順応で、しばらくすとそのニオイが気にならなくなってしまった。そう、いまとなっては懐かしい、あの堆肥の臭気もまた春を知らせるニオイだった。

学校への通学路は左右いちめんの田畑で、ところどころには肥溜めがつくられている。ふたなどあるわけがなく、ひと月にひとりかふたりはその中へダイブした。もちろん自分の意志でではない。肥溜めの縁を歩いたり、飛び越えることが勇気の証しでもあったのだ。

わたしは幸運なことに落ちずにすんだが、友達は何人も落ちた。親しかった3人組のひとりが落ちた時は悲惨だった。肥溜めは夏になると表面が乾いてカチカチになる。一見その上に乗れるのではと思うほどに。そして、その友達がふざけて片足を軽く乗せておどけていた。もうひとりの友達の肩に手を置き、体重をそこへかけているので落ちないのだ。ところがもうひとりの友達が動いた瞬間、肩に乗せた手が離れ、肥溜めの中へドボン。その友達は完全に肥溜めの中に没してしまった。しかし、気丈にも立ち上がり(深さは胸の辺りまでしかなかった)、コンクリートの縁に手を置き、勢いをつけて這いだしてきた。その時点で、薄情なわたしはあとずさり。もうひとりの友達は動いた責任を感じたのか、そばに立ちつくしていた。すると肥溜めから生還した友達が、そのもうひとりの友達に抱きついたのだ。糞尿まみれのままで。そのこころは“地獄へ道連れ”。抱きつかれた友達は、ものすごい力でふりほどき、泣きながら逃げていった。もちろんわたしもダッシュ。

そのあとふたりが仲違いをしたという記憶はない。もちろん男同士なので“肥人(こえびと)”にもならなかったがのだが。
しかし、よく糞死者が出なかったなぁというほど、あちこちに肥溜めがあった。それがいつのまにか、田んぼや畑は宅地にかわり、当然、肥溜めも消えてしまった。もちろん、“田舎の香水”と呼ばれた肥溜めや堆肥のニオイも。

北原謙二は、昭和36年「日暮の小径」でデビュー。“青春歌謡”の先鞭を付けた歌手のひとり。遅れてきた“ロカビリアン”で、独特の鼻にかかったような歌い方はカントリーの名残かも。昭和39年にはカントリーのカヴァー「北風」NORTH WINDを吹き込んでいる。
昭和30年代後半に、「若いふたり」、「若い明日」、「若い太陽」などのヒット曲がある。
平成3年に脳出血でたおれるが、半身マヒをおして復帰、テレビのナツメロ番組に出たり、福祉施設への慰問を行っていた。平成17年に逝去。享年65才。
大阪の浪花商業の出身で、のちのプロ野球選手張本勲と同級生だったという記事を大昔読んだ記憶がある。また、美形からは想像がつかないが、ワル揃いの高校で“番長”だったという話も。まあ、今も昔も芸能記事には尾ひれがつくのはあたりまえで、その信憑性については、自信がないのだが。高校卒業後、ジャズ喫茶で歌っているところをレコード会社からスカウトされて歌手デビューというのは事実らしい。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。