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【死の灰】 [obsolete]

『「わたしたちが蒲郡に向かった日に、灰が降ったんですのね」
 そう彼女は複雑な表情で杉原に言った。灰というのはビキニ環礁の灰のことであった。杉原もその朝新聞を開いて、その記事を読んで驚いていたところだった。
「あの自動車の屋根にも降っていたんでしょうか」
 藍子は言った。
「さあ」
 杉原は、あの浮き浮きとはしゃいでいた自動車の中の藍子を思い出し、あの明るい藍子の乗っていた自動車の上に、死の灰が降ったとはどうしても考えられなかった。』
(「花粉」井上靖、昭和29年)

「死の灰」とは、昭和29年3月1日にアメリカが太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験によって降った放射能を含んだ灰のことである。それから2カ月あまりのち、日本全土に降った放射能雨(死の灰を含んだ雨)が大問題になった。子供たちまで放射能とかストロンチウム90だとかガイガー・カウンターという言葉を知るようになった。それほど大きな問題になったのは、当時ビキニ環礁付近で操業中だったマグロ漁船“第五福竜丸”が被爆したからである。そのうち乗組員の久保山愛吉さんが原爆症で亡くなった。終戦から10年も経たずして「あやまちは繰り返しません」という誓いは破られた。当時、マグロはもちろん野菜や果物、さらには飲み水まで放射能汚染が心配された。この事件によって原水爆禁止運動がさらに広がっていったといわれる。
「花粉」が発表されたのは昭和29年の7月。水爆実験から4カ月あまり。井上靖は元新聞記者だけあって、トピカルな話題をさっそく作品に取り入れている。

「花粉」は別冊文藝春秋に掲載された井上靖の短編。
別居中の藍子が夫との離婚話に決着をつけるため話し合いをしている間、その恋人である画家の杉原は、彼女の故郷の渥美半島にある親戚の家へ逗留していた。藍子の夫が嫉妬深く、杉原がいてはトラブルが起きかねないという彼女の配慮からだった。逗留先には60代の老人と、10あまり下の妻が暮らしていた。老人は若い頃から株と女におぼれ、今では田畑家屋を失くした男だった。不器量な妻は、長年それほどの仕打ちを受けながら、毎朝、夫が仕事に出かける時、姿が見えなくなるまで合掌し、頭を下げ続けるのだった。それが杉原には不思議だった。
しばらくして、藍子が逗留先にやってきた。離婚の件は万事うまくいったようだ。杉原が老人と妻の話をすると藍子は、「放蕩して家に寄りつかなかった御主人が初めて家に居着いているんです。あの人にとって今が一番仕合わせな時ではないかしら……」と言い、「どうかこの仕合わせが逃げませんように」と祈っているのだと言うのだった。そういえば合掌している時のあの妻は仕合わせそうな顔をしていた。杉原はそう思った。
これから新しく夫婦になろうとする杉原と藍子の二人と、年を経てようやく結びついた老夫婦の対比がおもしろい。


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