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『冬の歌』④ [noisy life]


♪ きれいな月が 海を照らし
  たたずむ影は 砂に浮かび
  あなたの熱い くちづけが
  つめたい頬に よみがえるの
  夏の想い出 恋しくて
  ただひとりだけで 来てみたのよ
  冬の浜辺は さみしくて
  よせる波だけが さわいでた
(「夏の日の想い出」詞、曲・鈴木道明、歌・日野てる子、昭和40年)

あの東京オリンピック熱が日本列島を席巻した時期(スポーツ無関心の人もいたのだが)、時を同じくして、リバプール・サウンズとエレキ・サウンズとモダン・フォークの三つの波がドッと日本に上陸した記憶があります。それはいまから考えれば、日本の流行歌の転換期になりました。「夏の日の想い出」はその翌年ヒットしました。日本のフォークソングやグループサウンズが登場して、流行歌がポップス化していく前の年のことです。

「夏の日の想い出」は当時流行った各レコード会社競作だった「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」のB面として作られ、100万枚を越えるミリオンセラーとなります。日野てる子はまったく無名の新人でしたが、その3年前に17歳で全日本ハワインアン・コンテストで優勝し、故郷の愛媛県から上京、バッキー白片や山口銀次といったハワイアンのオーソリティに師事していた実力派。
TVデビューしたときは、ハワイアン・シンガーらしく、長い黒髪にハイビスカスを飾った姿が印象的でした。そして「夏の日の想い出」の大ヒットで、その年の紅白歌合戦に出場。翌年、翌々年と3度にわたって紅白の舞台を踏むことになります。ちなみにその昭和40年の紅白初出場組には、都はるみ、水前寺清子、ジャニーズなどがいました。
歌のうまさもさることながら、顔も美形で、昭和41年のマルベル堂のブロマイド・ランキングではベスト7位に入っています。その後、アレンジャーの一ノ瀬義孝氏と結婚。現在もハワイアンの世界でその存在感を発揮しています。

作詞、作曲者の鈴木道明については、以前にも書いた覚えがありますが、元々はTBSのディレクター&プロデューサーで、開局間もない頃からジャズ番組を制作していました。作品はそれほど多くはありませんが、「女の意地」(西田佐知子)、「赤坂の夜は更けて」(西田佐知子、島倉千代子)、「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」(越路吹雪、アイ・ジョージ他)、「銀座ブルース」(和田弘とマヒナスターズ)とヒット曲が目白押し。いずれの曲も、演歌とは一線を画した、独特の洋楽っぽい雰囲気で貫かれていて、いまでも多くの歌手がカヴァーアルバムに取り上げるほど。


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