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『冬の歌』③ [noisy life]


♪ さ霧消ゆる 湊江の
  舟に白し 朝の霜
  ただ水鳥の 声はして
  いまだ覚めず 岸の家
(「冬景色」 作詞、作曲者不明/文部省唱歌、大正2年)

小学校で習い、生まれて初めての憧憬を覚えたのがこの歌。
歌詞からは冬の厳しさというより、初冬の清々しさのほうが伝わってきます。これから厳しい冬を迎える、港町や田園地帯がデッサン画のようにスケッチされた歌です。“雪景色”ではなく「冬景色」なのがいい。
この歌のファンはかなり多いはずです。なんでも美智子皇后もそのひとりだとか。今は亡き日本の著名な作曲家は、「冬景色」をあまり評価していませんでした。その理由は“人間が描かれていない”ということ。言われてみればたしかに、港や畑や里の冬が、点描されているだけで、人々の暮らしぶりは伝わってきません。2番に麦を踏む人が出てきますが、それも景色のひとつといえばそう。しかし、あまたある冬景色の中から、舟の霜や水鳥や岸の家を選択したのは作者の眼。そこには人間としての意志というか、いい意味での作為が感じられます。だいたい童謡や唱歌には、こうしたスケッチ風の歌詞が多いようです。

それよりも気になるのは“作者不詳の文部省唱歌”ということ。こんなに素晴らしい曲や詞の作者が特定できないとは。
実はこうした歌はけっこうあります。
同じ冬の歌では♪雪やこんこ あられやこんこ の「雪」、♪ともしびちかく きぬ縫う母は の「冬の夜」がそうですし、「海」「村のかじ屋」「鯉のぼり」「茶摘み」「村祭り」「人形」……と、枚挙に暇なしです。
なぜそうなるのかというと、明治40年に文部省唱歌の編纂が行われるようになったのですが、作詞、作曲は数名による合議制。そのために特定の人間にしなかったのだそうです。それにしても各曲の叩き台というかベースを作った人はいるはずなのですが、せめて曲ごとの編纂委員の名前でもわからないものかと思います。ただ、そうした“作者探し”は行われているようで、やはり文部省唱歌だった「我は海の子」の作曲者は宮原晃一郎だと判明したケースもあります。
ほんとうに“合議制”でこんなにいい歌が作られるのなら、Jポップや歌謡曲もやってみる価値はあります。それは余談ですが。


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コメント 4

NEWアイコンにドキ!冬ですね。ラブですね。

今まで「作者不詳」の曲ってずっと伝説の歌だと思ってました。1つ勉強になりました。
by (2006-12-26 20:39) 

MOMO

アコさん、こんにちは。
アイコン気に入ってくれてありがとう。
それならばこの冬はコレで乗り切ろうと思います。

バイトがんばってますね。文面からはだいぶ慣れてきた様子が伝わってきますよ。わたしも学生の頃飲食店でのバイト経験があるので共感してます。
by MOMO (2006-12-26 22:32) 

tata

高齢者の施設に時々歌いに行く、というボランティアをしています。
明治、大正時代の歌って歌詞が本当に美しいなぁ、といつも思っていました。
冬景色を検索してここにたどりつきました。
本当にデッサン画のようにスケッチされた名曲ですよね。
ブログの記事で感動したのは初めてかも。
心を揺さぶられました。

ありがとうございました。
by tata (2008-01-02 12:55) 

MOMO

tataさんはじめまして。

冬景色は多分、赤とんぼと同じように、100年経っても色あせない、ほんとうの意味でのエヴァーグリーンな歌ですね。

ボランティアでもこうした唱歌や抒情歌を歌っているのでしょうか。
by MOMO (2008-01-02 22:04) 

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