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【ピクニック】 [obsolete]


『町の背に聳える山がある。その山へのピクニックに、多摩代を誘った。多摩代は無邪気に承知する。時間を定めて、町はずれで待ち合わせた。久しぶりのあいびきであった。多摩代は白い帽子をかぶって、ぼくを待っていた。にこにこと、いかにもうれしそうであった。
「母をうまくだましてきたの。きょうはゆっくりできるわ」
弁当や水筒やくだものや菓子も、もってきていた。ぼくはその荷物を持った。』
(「恋と少年」富島健夫、昭和38年)

「ピクニック」picnic 直訳では〈野外遠足〉〈野山へ行って遊ぶこと〉となる。つまりただの遠足ではなくて、“野山”であることがピクニックなのだ。正直「ピクニック」が廃語かどうか自信がない。ただ、昭和30年代と比較すると耳にしなくなったことは確かだ。
明治・大正はいざしらず、昭和の初期にはすでに「ピクニック」という言葉はあった。“野遊”などとなかなかいい言葉で訳されていた。当時、はたして欧米のように弁当を持ってどのぐらいの人たちが“野遊”していたのだろうか。
いずれにしろ、戦後になると男女の学生グループ、職場の仲間、恋人たちが大っぴらにピクニックをはじめる。とはいえ“引用”のふたりだけの「ピクニック」は昭和24年頃の話で、町はずれで待ち合わせたとか、母をだましてとか、まだ人目を忍んでという雰囲気がある。小津安二郎の「早春」(昭和31年)では、男女数人の仲間でピクニックに行くシーンがある。同じ年にはピクニックの夜のラヴアフェアーを描いたアメリカ映画「ピクニック」(主演・ウィリアム・ホールデン、キム・ノヴァック)も公開されている。
いまでも、春や秋に仲間で弁当を持って景色のいい野山へ出かけるということはあるだろうが、あまり若い人はやりそうもない。やるとしてもピクニックとは言わないのでは。ハイキングとも言わないか。トレッキングとか山歩きとでも言うのだろうか。とにかく現代ではメジャーなアウトドアでないことはたしか。いまどき「ピクニック」というのは、せいぜい幼稚園の遠足ぐらいかもしれない。それも言わないか。

「恋と少年」は終戦直後の昭和21~25年あたりの話で、当時の高校生の考え方や生活ぶりが随所に描かれている。パソコンもなければ、ケータイもない。CDデッキやi-podはもちろん、テレビやマンガ雑誌すらなかった頃。青春真っ只中の高校生諸君はなにをしていたのか。小説の中からその生態を探ってみると。
まず今も昔もといえるのが「読書」。出てくる作家は西田幾多郎からはじまって、芥川龍之介、北原白秋、森鴎外、太宰治、宇野浩二。外国人ではジャン・コクトー、ロマン・ローラン、ドストエフスキー、ハイネ、サルトル、カミュなど。
主人公の良平が所属する文芸部の部室では「将棋」をさす奴らがいた。また、生徒会の前身のような親睦会ができ、そこが「レコード・コンサート」や「親睦ピクニック」を催す。どんなレコードを聴いていたのか。おそらく流行歌ではなくクラシックだったのだろう。「親睦ピクニック」はいわば現代の合コンのようなものだが、似たものとして「おしるこパーティー」なるものもあった。そのほか、ちょっとさばけた奴はマージャンをしたり映画館へも通っていただろうし、酒、煙草はもちろん売春宿へ通う猛者もいたはずだ。
いずれにしても当時の高校生は、読書は別として、ひとりで何かをして愉しむというよりは、仲間と接しながら、あるいはいろいろな人間を見ながら、悩み考えていたようである。


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