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『秋の歌③』 [noisy life]


Je ne sais pourquoi j'allais danser
A Saint-Jean au musette
Mais quand un gars m'a pris un baiser
J'ai frisonné, j'étais chippée
Comment ne pas perdre la tête
Serrée par des bras audacieux
Car l'on croit toujours
Aux doux mots d'amour
Quand ils sont dits avecles yeux.
Moi qui l'aimais tant
Je le trouvais le plus beau de Saint-Jean
Je restais grisée
Sans volonté Sous ses baisers.
([MON AMANT DE SAINT-JEAN] word:LÉON AGEL music:EMILE CARRARA sing:LUCIENNE DELYLE)

なぜ、サンジャン祭のミュゼットに踊りに行ったのか私は覚えていない でも、たった一度の接吻だけで私の心は恋の虜になっていた 強引に両腕に抱きしめられて平静でいられるわけはない 人はいつも甘い 愛の言葉を信じてしまうのだから 目で語り掛けられればなおのこと あの人を好きになった私 私には彼がサンジャン祭の一番の美男子 酔い痴れたまま理性も失い 彼の口づけに身を任す
(「サン・ジャンの私の恋人」訳:永瀧達治)

夏と言えばハワイアン、秋といえばシャンソン……かな。
なんでシャンソンは秋なのか。春の歌だって夏の歌だってあるでしょうに。やっぱり「枯葉」LES FEUILLES MORTESのイメージが強いのかもしれません。ヒットする流行歌やポップスの条件は歌詞がチープであること。しかしシャンソンは、少なくとも日本の流行歌に比べると、歌詞がすこしディープ。これは国民性かもしれません。

本場フランスでのシャンソンのはじまりは11世紀。フランス革命の頃にはすでにシャンソンが歌われていたことになるのだからスゴイ。
日本でも戦前から淡谷のり子らが歌っていましたが、広まったのは戦後。ブームとなったのは昭和32年、イヴェット・ジローの来日公演からだといわれています。しかし、それ以前の昭和29年頃からダミアやジョセフィン・ベーカーが来日し、コンサートを行っています。つまり、ブームをつくる前段階があったということ。
丸山(美輪)明宏が「メケメケ」で注目されたのもこの年。その他、ブームの渦中にあった日本のシャンソン歌手には、石井好子、高英男、中原美紗緒、芦野宏、ビショップ・節子、岸洋子らがいました。そして、その日本のシャンソン歌手たちがよく聴き、憧れた本場の歌手がリュシエンヌ・ドリールLUCIENNE DELYLE。
ドリールは「ルナ・ロッサ」「ドミノ」「古きパリの岸辺で」「私のジゴロ」など恋のせつなさをうったえる歌をよく歌いました。戦後、フランスでも日本でも人気になりましたが、1962年42歳で白血病で亡くなります。エディット・ピアフやジュリエット・グレコ、ジローらと同様低音が魅力の歌手でした。この「サン・ジャンの私の恋人」、日本では石井好子、美輪明宏、金子由香利、中原美紗緒などで聴くことができます。
キーを叩いているうちに俄然聴きたくなりました。秋の夜長、明日は休日です。ならば久しぶりにダミア、ピアフ、トレネ、ロッシ、ジロー、グレコ、モンタン、ベコー、アズナブール、バルバラ、アダモなんかを聴いてみましょうか。


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