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【八月十五夜の茶屋】 [obsolete]

『中根は島内登美子と仲がよいが、それは二人とも演劇部に属していてつい最近も「八月十五夜の茶屋」の芸者と通訳の琉球人をつとめることになっているためである。
「どうした、トミー、琉球踊りのお稽古は少しは手に入った? 私一人缶詰で可哀そうだと思わない?」』
(「離情」円地文子、昭和35年)

元々はブロードウェイのヒットミュージカルで1956年MGMによって映画化され、日本でも翌年公開された。主演はグレン・フォード、助演はマーロン・ブランド、日本側から京マチ子、清川虹子、根上淳他が出演。
ストーリーは終戦直後の沖縄。占領軍の大尉(フォード)はある村へ調査と再建を目的に派遣される。それに同行するのがブランド扮する通訳。いちおう設定では現地人ということらしく、メーキャップで日本人になりきっているつもりらしいが、どこからみても怪人以外の何ものでもない。その村で大尉は世話役の芸者(京マチ子)に惚れられたり、泡盛の製造に力を入れたり奮闘する。最後には軍から学校建設用にと送られた建築材で茶屋を作ってしまう。それが八月十五夜。軍の上官はカンカンに怒り、茶屋の取り壊しを命じる。しかし、その直後、本国で大尉の方策が評価され、茶屋は存続されることになって一件落着。
当時、撮影隊が日本を訪れたとき、かのマーロン・ブランドは清川虹子にゾッコン。ずいぶん追い回したという話が残っている。でも、京マチ子ではなくなぜ喜劇俳優の清川虹子? と日本人なら疑問がわく。京マチ子は「羅生門」で国際的な認知度も高かったと思うのだが。ただ、若い頃の清川虹子は、見ようによってはエヴァ・ガードナーに見えないこともない。

日本の短大を出てアメリカへ留学した茉莉子は、大学院を経て今年の秋にも日本へ帰ってくるはずだった。その前に日本の美術評論家・守屋のアメリカ視察の通訳をすることになった。守屋は茉莉子の母の昔の交際相手だった。
学業にアルバイトに、そして友だちとの交流にと精一杯の大学生活を楽しむ茉莉子だったが、その友だちのひとりで白人のスカーレンからプロポーズされる。もうひとりの友だちで黒人のベスも、茉莉子に好意以上のものを感じていた。そのスカーレンには守屋夫妻との視察旅行が終わるまでに結論を出すと答えて出かけていく。その間、茉莉子をめぐりスカーレンがベスを殴打するという事件などがあり、いろいろと悩み抜くが、結局は日本の知り合いで大学助教授の曽根の強いプロポーズを受け入れてしまう。そんな茉莉子に不幸が見舞う。甲状腺ガンがみつかったのだ。帰国してすぐに手術、その後は回復するかどうかもわからない闘病生活が待っている。それでも曽根の決心は変わらなかった。
茉莉子と曽根が帰国する飛行場にスカーレンが見送りに来る。そして飛び立つ間際にはベスも駆けつける。和解した白人と黒人は日本の2人を見送るのだった。
円地文子は明治38年東京生まれ。戦前から作家活動を始めるが、注目されたのは戦後。とりわけ昭和30年代に傑作を多く世に出した。代表作は「女坂」「ひもじい月日」「なまみこ物語」「女の秘密」(エッセイ)、「源氏物語」(現代訳)など。自身にアメリカ留学の経験はないが、昭和33年の3カ月にわたるアメリカ旅行がベースになっているといわれている。


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