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【グラマー】 [obsolete]

『「うむ。それよりも君、女の子を集められる自信はあるかい」
「そりゃあ、あるわ」
「美人の、グラマーがいい」
「ありきたりね」
「しかも、金だけで、すべてを割り切れるような女がいいな」
「それ……どういうこと?」
ストッキングのガーター・ベルトをはずしながら、多恵子は振り返った。』
「夜の配当」(梶山季之、昭和38年)

「グラマー」glamour も使う人が少なくなった。もともとは〈魅力、魅了する、魔法、迷わす〉という意味だが、日本ではglamour girl (魅力的な女)、とりわけバストが大きくスタイルのよい女性に使われた。
昭和38年「グラマー大行進」というアメリカ映画が公開され、「グラマー」がその年の流行語になったと書かれている本もあるが、言葉そのものはもっと以前から使われていたようだ。たとえば石坂洋次郎の「陽のあたる坂道」(昭和31年)にも《「……君はすばらしいグラマーだよ……」と、玉吉は手を伸べて、ゆり子の腰にさわった。》と書かれている。昭和27年のイタリア映画「にがい米」に主演したシルヴァーナ・マンガーノからだとする説もある。とにかく当時で言うとブリジッド・バルドーやソフィア・ローレン、マリリン・モンローといった外国女優が「グラマー」で、日本の主演級女優には「グラマー」は馴染まなかった。また、日本人は小柄なので“トランジスタ・グラマー”などという言葉もできた。その後「グラマー」は「ボイン」に、そして「ナイス・バディ」へと変わっていった。

梶山季之というと“トップ屋”というイメージが強いが、「週刊文春」をはじめルポライターとして雑誌に記事を書いていたのは、6年あまりと意外に短い。その間密度の濃い仕事をしたこともあるのだろうが、「データマンからアンカーマン」という雑誌の記事作りのシステムを確立したことで、いまもその名を業界にとどめている。
昭和37年に産業スパイの実情を描いた小説「黒の試走車」が話題になり、作家へ転向した。「夜の配当」はその翌年の作。当初は上記2作や先物取引の相場師の生き様を描いた「赤いダイヤ」に代表される企業小説が多かったが、その後、「と金紳士」「色魔」「ミスターエロチスト」など好色物を多作していく。
昭和50年、取材先の香港で病死。享年45歳


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