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【西銀座駅】 [obsolete]

『企画部の係長クラスが、彼のために、その夜お別れパーティーを開いてくれると言ったが、亮吉はそれを丁重に断って、帰りを急ぐサラリーマンたちの流れに混じって、地下鉄に乗った。
 降りたのは、二つ目の西銀座駅である。
 彼は、できるだけゆっくり足を踏みしめるようにして、交差点を渡り、銀座の歩道を歩いていった。』
「夜の配当」(梶山季之、昭和38年)

「西銀座駅」というと、東京に住んでいる若い人は「それどこ? 架空の駅?」などと思うかもしれないが、昭和30年代、地下鉄丸の内線にあったれっきとした駅なのである。
池袋駅が始点となった地下鉄丸の内線は、昭和32年の師走ようやく銀座まで延長された。その駅が「西銀座駅」である。その頃銀座線にはすでに「銀座駅」があった。銀座駅の出口が4丁目の交差点付近なのに対し、「西銀座駅」は外堀通りに沿った数寄屋橋あたり。その一帯は戦前から西銀座あるいは裏銀座と呼ばれていた。昭和30年代の小説にはこの「西銀座」というロケーションが頻繁に出てくる。銀座というとまともすぎるが、「西銀座」となると何かドラマを含んだ街のイメージがあったのかもしれない。
♪ABC XYZという歌い出しが印象的だったフランク永井の「西銀座駅前」がヒットしたのは「西銀座駅」が開通した翌年の春のこと。彼の代表曲「有楽町で逢いましょう」が世に出たのはその前の年の暮れ。つまり束の間の西銀座駅が完成したころ。

ところが昭和39年になると、銀座駅と「西銀座駅」の中間に、日比谷線の銀座駅が開通した。これで三つの駅がつながり、丸の内線の「西銀座駅」も改名され、ひとつの銀座駅となった。「西銀座駅」はたった7年の寿命だったのである。
“引用”は会社を辞めた主人公の亮吉が、地下鉄(丸の内線)を使って銀座に出る場面。会社のある丸の内線大手町駅から東京駅を経て2つ目が「西銀座駅」終点だった。

高度経済成長の真っ最中、一匹狼が頭と度胸で成り上がっていく痛快企業小説が多く書かれた。「夜の配当」もそのひとつ。
今で言う大手アパレルメーカーの企画部の社員伊夫伎亮吉は在職13年目にして退社する。一匹狼となった亮吉は、まず自分のいた会社が開発間近の新製品について、商標登録をし、それを300万円で買い取らせた。その資金を元手に企業の問題解決屋“トラブル・コンサルタント”を立ち上げるのだった。そして亮吉は建設業界に目をつけ、秘密談合クラブを作ったり、公開間近の建設会社の新株を大量に入手するなど法律すれすれの綱渡りで多額の金を手にしていく。またプライベートでも、サラリーマンのときの仕事の係わりしかなかったファッション・モデルにプロポーズしたり、元上司の愛人だった料亭の女将を横取りしたり、押しの一手でその欲望を満たしていく。ところが好事魔多しで、陥穽が待っていた。新株の不正取引容疑で逮捕されてしまうのだ。結局無罪放免となったが、金も女も失って振り出しに戻ってしまう。それでも釈放された亮吉は、陰謀渦巻くビル群を見上げながら新たな闘志を燃やしていく。
元トップ屋の作家らしく、ストーリーはめでたしめでたしでは終わらない。それでも全てを失った主人公が、またゼロから一歩ずつあるきはじめるという雑草魂は、自らの姿勢を投影したものだろう。
数年来ハイテク産業の起業ブームで、こうした頭脳と度胸の成り上がりストーリーが受ける土壌があるのではないだろうか。


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