SSブログ

『夏の歌②』 [noisy life]

♪ 松原遠く 消ゆるところ
  白帆の影は浮かぶ
  干網浜に高くして
  鷗は低く波に飛ぶ
  見よ昼の海 見よ昼の海
「海」(文部省唱歌、大正2年)

TVからこのメロディーが流れてきました。CMです(NOVA?)。もちろんメロディーだけ。それでもなんでまたこの曲。夏だから? 最近CMに童謡・唱歌がよくつかわれていませんか? ♪ 緑のそよ風 とか、♪ 森へ行きましょう とか。
それはともかく、私の子供の頃の夏の歌といえばこの「海」「我は海の子」に尽きます。「我は海の子」は抒情的で、ノスタルジに満ちた美しい情景が浮かび上がってきますが、「海」はもっとリアルで、懐かしい顔が浮かんできます。

♪ 松原トウチャン 消えゆくカアチャア
  白髪のジイチャン バアチャン……
とよく替え歌を歌っていたのが、子供の頃近所に住んでいたヤスイ君。私より4つ年上。複雑な家庭だったようで(その頃は分からなかった)、お父さんはかなり年のいった元柔道師範。わたしも骨折を治療してもらったことがありました。その血を引いてかヤスイ君、小柄だが腕っぷしが滅法強かった。わたしはなぜかたびたび彼の武勇伝に立ち会うことがありました。
いちばんはじめは、ヤスイ君、中学3年の秋のこと。わたしは当然小学5年生。ある時、やがてわたしも通うことになるその中学の校舎裏で学生服のお兄さんが10人あまり。学校帰りのわたしは川をはさんだその異様な光景にしばし立ち止まって見とれていました。よく見ると中に見慣れた長髪の学生が。彼こそヤスイ君。これはビートルズやGSが出てくる前の話。長髪は流行りでもなんでもありません。ヤスイ君は床屋が嫌いでまた家が貧しくて、いつも女と見間違えるほどのロングヘア(手入れ無し)なのでした。
なぜかヤスイ君は他の学生たちに囲まれていました。そのうちその中のひとりが、当時の不良の2大アイテムのひとつチェーン(もうひとつは飛び出しナイフ)を振り回しはじめました。他の人間がパッと散って素手のヤスイ君とチェーンギャングの決闘です。それはあっという間の出来事でした。チェーンギャングが武器を使う間もなく、ヤスイ君は組みつき、ノゲイラも舌を巻くほどの投げ技を数発。さらにヒョードルばりのパンチでとどめ。
あとで聞いたところでは、それが番長対ヤスイ君の決闘だったとか。
次はもっと早い決着でした。それから2年あまりのち。
ヤスイ君は、中学を卒業し高校へ進学したがすぐにやめて家でブラブラ。そのうち腕っぷしを買われて不良グループへ“入会”。それからよく、ヤスイ君より3つも4つも年上の兄貴分と連んで町をのし歩いていました。
しばらくして、その兄貴分がたびたびヤスイ君の家へ訪ねてくるのですが、本人はなぜか居留守を使うようになりました。兄貴分も執こいヤツで、あるとき、ドアを何度も叩きまくり、さらに、硝子戸をガタガタいわせてはずそうとまでします。そして「ヤスイ! 出てこいよ。いるのわかってるんだぞ」とかなんとか近所に聞こえるほどの大声で叫ぶのです。すると家の中からドドドドっと階段を駆け下りてくる音がしたかと思うと、ドアが思い切りよく開けられ、中から木刀を手にしたヤスイ君が飛び出して来ました。兄貴分が何か言葉を発する間もなくその木刀が眉間に炸裂。兄貴分は腰が砕けたように地面に尻餅。二の太刀を浴びせようとふりかぶるヤスイ君の姿に「ウワーッ!」と一声叫ぶと、額から血を吹き上げながら全速力で駆け去っていきました。ヤスイ君に剣術の覚えがあったかどうかは知りませんが、それは見事な木刀さばきでした。
それからしばらくして、ヤスイ君のお父さんが亡くなり、彼はお母さんとともに何処かへ引っ越していきました。その後しばらくは、われわれ地元のガキ連にとってヤスイ君は「番長より強かった男」という伝説の人物として語りつがれました。それから40年あまり、その伝説も風化してしまったようです。それでも私には、この「海」のメロディーが聞こえてくると、チェーンの下をかいくぐって闘うヤスイ君の伝説が甦ってくるのです。


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

『夏の歌①』『夏の歌③』 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。