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【特飲街】 [obsolete]

『登代の歩いてゆく特飲街の橋の外は、小さな酒の店が並んでいるのだ。そのあたりには釣舟宿もみえる。少しゆくと木場に出た。材木の町も不景気なのかひっそりして、河には材木の筏が浮かんでいるきりだった。登代は河岸っぷち歩いて、自転車ですれ違った男に、
「小母さん、危ないよ」
と、声をかけられたので、顔をあげた。』
「州崎の女」(芝木好子、昭和30年)

「特飲街」とは“特殊飲食街”を簡略化した呼称。のちに“赤線地帯”と呼ばれた町のこと。「特飲街」が誕生した経緯は、まず昭和21年1月、GHQが公娼を廃止した。それは娼婦を抱えていた遊郭の廃止も意味した。しかしそう簡単に売春がなくならないことはどこの国でも同じで、その年の12月には、風致上問題のない地域に限り、あるいは娼婦個人の自由意志にかぎっ売春を容認することになった。風致上支障がない場所といえば、従来から遊郭があった場所で、娼婦の自由意志というのも建前にすぎなかった。つまり、敗戦間もなく従来の売春が復活したのである。昭和33年にはその「特飲街」つまり赤線も廃止された。それから約半世紀あまり、その実態は。こればっかりは……。
州崎という町名もなくなってしまった。現在の江東区木場、東陽あたりで、戦前から遊郭があった所。

州崎の特飲街で働く中年娼婦の登代は、若い頃男を追いかけて満州へ行ったり、そこで別の男と所帯を持つが、その男の暴力に泣かされたり、子供と2人で戻った日本では空襲で死ぬ思いをしたりと、戦争に翻弄され精神を病むようになっていた。客には「子供は空襲で死んだ」と話す。しかし実際には息子は生きていて、母の商売を知り縁切りを告げにやってくる。そしてある日の夕方、州崎神社へお詣りに行った帰り、登代は幻覚を見る。爆撃機が空を飛び、登代は幼い息子を背負って海へ逃げる。気がつくと息子がいなくなり、前方の海に手だけが出ている。登代は息子の名を呼びながら、その手を掴もうとして水の中へ入っていった。
芝木好子は大正3年、東京浅草の生まれ。昭和16年、築地やっちゃ場の男勝りの女を描いた「青果の市」で芥川賞受賞。戦後も東京下町を舞台にした作品を書き続ける。昭和29年には「州崎パラダイス」が話題となり、いわゆる“州崎”ものを連作していく。「州崎の女」はそのひとつ。平成3年1月、77歳で「ヒースの丘」を発表するが、その年の8月乳ガンのため亡くなり、遺稿となった。


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