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【釣瓶】 [obsolete]

『僕らは倉庫の裏の釣瓶が壊れている井戸へ降りていき、蛹の腹部のように膨らんで井戸の内壁の冷たく汗ばんでいる石に両手を支えて水を飲んだ。底の浅い鉄鍋に水を汲みこんでから火を焚きつけると、僕らは倉庫の奥の籾殻の中へ腕を突っ込んで馬鈴薯を盗む。』
(「飼育」大江健三郎、昭和33年)

「釣瓶(つるべ)」は、井戸から水を汲み上げる道具。竿の先に桶を引っかけたものと、ロープに桶を取り付けそれを滑車で巻き上げるものがある。やがて手押しポンプ式の井戸に取って代わられた。その井戸までも無くなりつつある昨今、釣瓶は民俗資料館などへ行かなくてはお目にかかれない。「秋の日は釣瓶落とし」「朝顔に釣瓶とられてもらい水」あるいは「釣瓶打ち」のような言葉や俳句もやがて埋もれていってしまうのだろうか。
井戸が重要な存在だった頃、夏はそこに西瓜やビールを吊して冷やした。“井戸冷やしのビール”なんて言葉もあった。また、井戸と言えば幽霊の出入口でもあった。井戸が消滅した今日、幽霊たちもさぞ困っていることだろう。水道の蛇口から出てきたりして……。

「飼育」を読んでいて気にかかるのは、主人公“僕”の家族である。父と弟と小学生の“僕”の3人。家族の住む村は農業や林業を営む“開拓村”で、町の人間たちからは「汚い動物のように嫌がられている」。そんな村の中で“僕”の家族は共同倉庫の2階、元の養蚕部屋に住んでいる。部屋に家具はまったく無く、猟師である父親の鉄砲だけが光っている。1階には煮炊きする〈へっつい〉か何かがあるようで、時々父親が鉄鍋に入れた雑炊を持って2階へ上がってくる。母親はどうしたのかということも気になるが、家族がなぜこんなあばら屋のような所に、仮住まいのような暮らしをしているのかが気になる。
農業中心の共同体の中で猟師という存在は、異端の人種だったのだろうか。それとも“僕”の一家が他所からの流れ者だったのだろうか。“僕”が「村の子供たち」という対象化するような言葉を使うところも、そう思わせる。
“僕”が黒人兵をどうするのか? と訪ねると父親は「飼う」と答える。飼われることが従属あるいは隷属だとすると、黒人兵は“僕”の父に「飼育」されていたことになる。そして父は村に「飼育」されていたし、村は町に、さらに言えば町は県に、県は軍(国家)に「飼育」されていたといえる。
父親は自分が飼育していた“獣”の反逆をなんとしてでも鎮めなくてはならなかった。だからこそ、息子である“僕”の犠牲を厭わず“獣”を打ち殺したのである。父親の共同体への忠誠は、国家への忠誠でもあった。


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