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【南京袋】 [obsolete]

『……僕らが再び地下倉へ戻ってみると黒人兵は道具箱からスパナーや小型のハンマーを取りだし、床にしいた南京袋の上に規則正しく並べていた。……黒人兵の黄色く汚れてきた大きい歯が剥き出され頬がゆるむと、僕らは衝撃のように黒人兵も笑うということを知ったのだった。そして僕らは黒人兵と急激に深く激しい、殆ど《人間的な》きずなで結びついたことに気づくのだった。』
(「飼育」大江健三郎、昭和33年)

「南京袋」は太い麻糸で荒く織った袋のこと。丈夫なため、かつては米などの穀物を入れたり、土を入れて土嚢にしたり、よく使われていたが、最近あまりお目にかからない。もっと経済的で丈夫な袋にとって代わられたのだろう。
そもそも“南京”とは、「中国渡来の」という意味。では「南京袋」は中国発なのかとなると、どうもはっきりしない。“南京”のつくものには、南京豆、南京錠、南京虫、南京玉などがある。このうち南京虫は人の血を吸うシラミの一種のことだが、その虫が楕円形をしているところから、女性用の小さな楕円の腕時計を“南京虫”と言っていた。この言葉もまた使われなくなってしまった。

「飼育」はフィクションであり、実際に戦時中民間人が捕虜を監禁したということはないのだろうが、黒人兵を撲殺した村民の行動は、当時の日本人の捕虜に対する意識を象徴していたといえる。
そもそも当時の日本人には捕虜は保護すべきものという意識が薄かった。極端に言えば「捕まえた者は煮て食おうと焼いて食おうとこちらの勝手」という意識だった。軍部からして捕虜の保護を取り決めた国際法を積極的に守ろうという意識が希薄だった。「捕虜は食物を与える以上、労働力として使うべし」といった姿勢であった。
日本軍あるいは日本人による捕虜虐待の例は多い。知られているのが5000人あまりが死んだという炎天下での“バターン死の行進”、アメリカ兵8人を人体実験で殺した九大生体解剖事件(遠藤周作が「海と毒薬」で取り上げている)、あるいは関東軍731部隊による人体実験などなど……。いずれにのケースでも「煮ようが焼こうが……」という意識が感じられる。もちろんこれは、アメリカのイラク人捕虜虐待をみても分かるとおり日本人特有の意識というのではないのだが。
終戦から60年以上を経て、日本人の“捕虜”に対する意識はいくらかは変わったのだろうか。それは次の戦争が起こってみなければわからない。


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