SSブログ

【羽目板】 [obsolete]

『眼ざめると朝の豊饒な光が倉庫のあらゆる羽目板の隙間からなだれこみ、すでに暑かった。父はいなかった。壁に銃もなかった。僕は弟を揺り起し、上半身は裸のままで倉庫の前の敷石道へ出た。敷石道や石段に、激しく午前の光がみなぎっていた。子供たちが光の中でまぶしがりながら、ぼんやり佇ったり、犬を寝ころばせて蚤を取ったり、あるいは叫びながら駈けたりしていたが大人たちはいなかった。』
(「飼育」大江健三郎、昭和33年)

「羽目板」は板を張りつけた建物の壁のこと。普通は横に張るのだが、竪に張ったものを“竪羽目”(たてばめ)などという。外壁を木造にした建物が少なくなった昨今、そうした板壁の家も消えていった。現在見られるのは、朽ちかけたよほど古い家か、懐古趣味でわざわざ作った贅沢な家かのどちらか。そんな木造再現家屋の「羽目板」を触ってみたら、プラスチックだったりして。
ところで酒に酔ったりして非常識な振る舞いをすることを「羽目をはずす」(破目とも書く)という。たしかに家の板壁を外すことは非常識だが、由来としてどうもスッキリしない。ある本には「羽目」は「馬銜」(ハミ)の転訛だとしてあった。馬銜とは馬の口に銜えさせる棒のようなもので、手綱に繋がっている。それによって馬を御することができるわけだ。つまり馬銜がはずれると馬が暴走することになる。それで「ハミをはずす」→「ハメをはずす」ということだとか。ほんとかなあ。

「飼育」は終戦間際のある山村での話。“戦争なんて知らないよ”というほどのどかな村に米軍の爆撃機が墜落し、唯一生存していた黒人兵が捕虜となる。村民は県庁が処置を決定するまでその捕虜を“飼う”ことにした。
“引用”は「僕」と父と弟の三人家族が住んでいる村の共同倉庫の2階で、朝、「僕」が目覚めたときの様子。
「飼育」の時間が長くなると共に、飼う者と飼われる者の間に見せかけの親近感が生まれる。「僕」の住んでいる倉庫の地下に閉じこめられていた黒人兵もやがて、自由が与えられ、子供たちと一緒に川遊びするまでになる。
しかし、軍への引き渡しが決まると捕虜は危険を感じて「僕」を人質に倉庫の地下に立てこもる。大勢の村人が見守る中、父が鉈で「僕」の指ごと捕虜の頭を叩き割る。
小説「飼育」の冒頭で「僕」は火葬される村の女を見る。そして虐殺された捕虜、最後に村と町との連絡係だった“書記”の事故死。三度目の死に直面し、涙をためながらも“死”というものに「急速に慣れてきていた」ところで物語は終わる。
大江健三郎はこの年、この作品で芥川賞を受賞。昭和36年には大島渚監督、三国連太郎主演で映画化された。


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Our Last Goodbye②【南京袋】 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。