SSブログ

Our Last Goodbye② [story]

♪ 風が吹く吹く やけに吹きゃがると
  風といっしょに 飛んで行きたいのさ
  俺は雲さ 地獄の果てへ
  ぶっちぎれてく ちぎれてく
  それが運命だよ
(「風速四十米」詞・友重澄之介、曲・上原賢六、歌・石原裕次郎、昭和33年)

朝目を覚ますと、少し離れたと蒲団の上でシーツにくるまった女が眠っていた。どうやら昨夜ここへ帰ってきてまた飲み、酔いつぶれてしまったようだった。夜中、俺に背を向けて女が濡れた衣類を脱ぎ捨て全裸になったのを覚えている。俺がシーツを投げてやったのを覚えている。「ずいぶん律儀なのね」女がそう言って半笑いしたのも覚えている。
雨はまだ降っているようで、壊れた樋から落ちる水の音が昨夜と同じだった。時計を見ると7時近い。俺は着替え、財布の中の金を全部餉台の上にぶちまけ、食べ物と衣類を適当に買うように書き置きをして部屋を出た。

台風が接近していることを理由に仕事を早めに切り上げた。こんな台風どうってことはない。それよりも部屋に残してきた女のことが気になっていたのだ。そんなわけで、今日は猫目小路にも寄らず、真っ直ぐアパートへ帰った。
4畳半の部屋は、小ざっぱりと片付けられていた。女はいなかった。部屋の真ん中の小さな餉台に簡単な食事の用意がしてあった。その横にメモといくらかの金が残されていた。メモには「お金を借りていきます。ごめんなさい」と書かれていた。何だか気が抜けてしまった。

冷や酒を飲み、寝転んで新聞を読んでいた。ラジオが台風のピークは今夜半であることを告げている。ドアをノックする音が聞こえた。とっさにあの女だと思った。ドアを開けると白のブラウスに紺のタイトスカートを穿き、薄青のビニールのレインコートを羽織った女が立っていた。
「いい?」
俺が頷くと女は笑顔で部屋の中へ入ってきた。俺は訊ねなかったが、彼女がまた駅の改札で誰かを待っていたのだと思った。そして、また待ちぼうけを食わされてここへ来たのだ。
俺は何をしたらいいのかわからなかったので、女に酒をすすめた。
女は遠慮せずにコップ酒に口をつけた。すると饒舌になり、遠慮せずに俺のことをアレコレ訊いてきた。俺は他人に自分のことを詮索されるのは御免だ。しかし、なぜかこの女には正直に訊かれたことを話してもいいような気になっていた。

俺の母親は10歳の時に病気で死んだ。その翌年親父は再婚し、新しい母親と妹ができた。俺は父親と継母を憎んだ。そして中学を卒業すると同時に家を出た。それから6年、一度も家へは帰っていない。
「もう許しているんでしょ。だったら意地を張らずに顔を出してあげたら?」
話を聞いていた女が言った。何かがこみ上げてきて言葉に詰まった。女の言い方が、いつか夢の中に出て来た死んだ母親そっくりだった。外では風が吠え、街路樹や電線が悲鳴をあげていた。俺と女はまるで台風に抗うように酒を飲み、ボソボソと話を続けた。

女は土佐清水の生まれで、名前は菊子。高校を中退し9年前に東京へ出て来た。はじめは友だちのツテで製パン工場で働いていたが、そのうち遊びを覚え、会社を辞めて水商売の世界へ入った。はっきり言わないがどうやら恋人がいるらしい。もしかしたら駅で待っているのが、その男かも知れない。

菊子は故郷の足摺岬から、ひとりで海を見るのが好きだった。
「水平線で区切られた空と海を見てるとね、人間の生き死にがとても自然なことに思えるのよ。ちっとも恐いことではないって思えるの」

窓の外が白みはじめていた。風の叫び吐息に変わり、雨音も弱々しくなっていた。俺は酔って横になっていた。とぎれとぎれの睡魔の中で、菊子が餉台を片付けている音を聞いた。スリップ姿になった菊子が俺に添い寝した。そして俺の胸に顔をのせてきた。
「知らねえぞ、どうなっても……」
「いいのよ。アタシがしたいんだから。それともアタシが嫌い?」
俺は返事をする代わりに彼女の肩を引き寄せた。

菊子はそのあと3日間、俺の部屋にいた。俺が仕事へ行っている間は何処かへ出かけているようだった。それでも夜の10時頃になるとこの部屋に帰ってきた。しかし、4日目の夜、とうとう彼女は戻ってこなかった。書き置きもなかった。

そして、いまだ水嵩の多い逆川下流で彼女の水死体が見つかったのは次の日の朝だった。

俺は菊子を故郷へ帰してあげたくて警察へ行った。そして、彼女から聞いたことをすべて話した。しかし彼女の身元はいつまでたっても判明しなかった。土佐清水に該当者はなく、また彼女の言った製パン工場にも、勤務していた形跡はなかったとか。死因についても、首を絞められたり暴行を受けた痕はなく、誤って川に落ちた事故死だろうということで決着した。俺は菊子と婚約していたと嘘をつき、彼女の遺骨を引き取った。

それから1年が過ぎた。

俺は足摺岬の岸壁の上に座って海を見ていた。早朝の海が硝子の破片を散りばめたように金色に輝いている。ゆっくり立ち上がり、ボストンバッグを開け、中のビニール袋に入っている菊子の遺骨を掴み、海へ向かって投げつけた。ほとんど粉になった骨は強い風に巻かれ崖の上を舞っていた。何度も何度も繰り返し投げた。最後は、ビニール袋を逆さまにして振りながら、それごと放り投げた。
俺はふたたび腰をおろした。そして白く骨粉まみれになった両掌を何度も顔にこすりつけた。海がひときわ燦めき、彼方に100年も200年も見慣れたような水平線があった。すると風に乗って、
「ねっ、人間の生き死にってとても自然なことでしょ?」
という菊子の声が聞こえてきた。


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Our Last Goodbye ①【羽目板】 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。