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【温泉マーク】 [obsolete]

『……八重はその日、休みだという小川に誘われて、踏切の近くにできた温泉マークの一軒に入った。小川ははにかみながら、そのことを強要したせいもあったが、八重は何のこだわりももたなかった。自然とそうすることが、自分でもいいと思えたのである。』
(「飢餓海峡」水上勉、昭和37年)

ラブホテルのこと。いつこの新語にとって替わられたのか。トルコ風呂がソープランドに新装したのが昭和59年。それよりはもっと早かった気がする。昭和40年代後半、音楽でいえば、カビ臭い4畳半フォークが無菌抗菌のニューミュージックに取って代わられた頃あたりかもしれない。
「温泉マーク」も戦後の言葉で、昭和24年頃から、地図やガイドブックでおなじみの三本湯気の温泉マークを看板として掲げる「あいまい宿」(これも廃語)が増えていった。昭和33年の赤線廃止によってさらにその数が増えた。もちろん、風呂はあっても温泉などあるはずがない。「温泉マーク」のほかにも「温泉印」、「連れ込み旅館(ホテル)」とか「同伴ホテル」、「さかさくらげ」(温泉マークのこと)などとも言われた。

「飢餓海峡」は昭和23年「フライパンの歌」でデビューした水上勉が、昭和37年週刊朝日に連載した社会派ミステリー小説。未完のまま連載が終わり、その後書き足されて翌年単行本化された。昭和22年津軽海峡で実際に起きた「洞爺丸遭難事件」と北海道の「岩内の大火」を背景に、貧困からの脱出をはかった男の悲劇が描かれている。昭和40年には内田吐夢監督によって映画化された。主人公に三国連太郎、繋がりをもつ娼婦に左幸子、事件を追う刑事に伴淳三郎と高倉健。シナリオも演出も演技も、重厚な映画だった。
事件の起きた昭和22年当時はまだ「温泉マーク」という言葉はなく、左幸子が演じた八重が働く娼館は、小説では「あいまい宿」で、「カフェーの看板が掲げてある」と書いてある。


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