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【色眼鏡】 [obsolete]

『気味悪いほど顔立ちの整った、かっぷくのいい中年の紳士が、つれの少女のために装身具を選んでいた。俳優かなにかだろう、色眼鏡をかけた顔は、しかし、肌がざらざらに疲れて焼けている。もし、彼が俳優なら、つれの少女は娘ではなく、若い愛人だったかもしれない。』
(「悲の器」高橋和巳、昭和37年)

この場合の「色眼鏡」は色つき眼鏡、サングラスの意味。偏見をいう場合に「色眼鏡でみる」というが(これもあまり使わないかな)、その意味ではない。今でこそ、ブラウン、ピンク、ブルー、グレーなど、レンズに様々な色のついた眼鏡があるが、昭和30年代はそれほどバラエティに富んではいなかった。引用文は黒眼鏡のことだろう。
30年代前半はサングラスともいわず、色眼鏡あるいは黒眼鏡といった気がする。この小説のなかで他にもレンズのことを「眼鏡の玉」といっているが、これも現在ではほとんど使わない。
話は逸れるが、引用した文面を見ると、この作者の俳優に対する偏見、蔑視というような意志が感じられる。もはや河原乞食と蔑まれる時代ではなかったはずなのだが、インテリゲンチャのエンターテイナーに対する冷眼視は当時も今もということか。

「悲の器」は高橋和巳の処女作「捨子物語」(昭和33年)から4年後の作品で、第1回の文藝賞受賞作。物語は妻を亡くした大学の法学部教授が娘ほど年が離れた女と再婚する直前に、家政婦だった女に損害賠償の訴訟を起こされるというスキャンダルから始まる。結局、教授は地位も名誉も、新しいパートナーも失ってしまう。しかし、これはあくまで膨大なサブストーリーで、メイン・ストーリーは戦前・戦後にわたって大学の、さらに日本の民主化がいかになされてきたか、なされてこなかったかを主人公を通して批判していることなのである。
60年代から70年代始めににかけて、高橋和巳の著書は左翼学生のバイブルだった。21世紀になり、高橋和巳の“神聖”に輝きが失われたように見えるのは、日本の中で左翼運動そのものが停滞、衰退してしまったということが大きい。果たして復権の日はくるのだろうか。


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