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【ドライ】 [obsolete]

『……今どきの娘さんは私らの年配の者からみると、羞恥心というものが、まるでないように見えます。じっさい、クラブにいる女の子たちでも、まったくこちらが赤面させられることがありますからね。とにかく順子さんというのは、今の言葉でいうと、ドライな娘だったと思いますね」』
(「爪」水上勉、昭和35年)

「ドライ」という言葉が流行ったのは昭和31年ごろといわれている。もともとは「乾いた」という意味だが、当時の語感は「割り切った」「さっぱりした」「非情な」といった意味。太陽族と時を同じくして出て来た言葉。20年代の「アプレ」と似た面が大きく、ドライのおかげでアプレが廃語化したといえるかもしれない。
「ドライ」の反対は「ウエット」だが、こちらはドライほど頻繁には使われなかったようだ。日本人は元来情緒的(ウエット)な人種で、「ドライ」という言葉の中には、“新人種”あるいは“異人種”をみるような羨望と蔑視の混在した複雑な感情があったのではないか。

「爪」は昭和35年から36年にかけて当時の雑誌「宝石」に連載された推理小説。丸の内に勤める若い女性がある夜失踪するところから話が始まる。日本が連合軍に占領されていた終戦直後の負の時代を背景として殺人事件が起こる。事件はさらに新たな事件に発展していく。アメリカ統治による日本女性の悲劇を描いた推理小説といえば、この2年前にやはり「宝石」で連載された松本清張の「ゼロの焦点」がある。当時、社会派推理小説の双璧と言われたのが、水上勉と松本清張だった。しかし、水上勉は昭和37年の「飢餓海峡」を最後に推理小説から離れ、「雁の寺」、「越前竹人形」、「五番町夕霧楼」といった運命に翻弄される女の哀しみを描いた作品や、「一休」「良寛」などの評伝に力を注いでいくことになる。


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