【ズベ公】 [obsolete]
『「然し、重岡君のような純な青年を、あンまり惑わしてはいけないぞ」
「あら、そんな風に言うと、まるであたしが、ズベ公みたいね。あたしだって、まだ 純よ、濁ってなンかいませんよ」
と竜子は抗議せずにはいられなかった。』
(「白い魔魚」船橋聖一、昭和31年)
「ズベ公」とは不良少女のこと。昭和40年代くらいまではよく使われていた。江戸時代からの外来語スベタ(婦女の蔑称)から転訛したという説もあるが、これはどうやら誤りで、「ずべら」(=ずぼら)からきているというのが定説。つまりだらしがない少女のことで当初は主に女学生に使われていた。「処刑の部屋」(石原慎太郎、昭和31年)には「……女が堅気だの、ズベってるのてんじゃねえんだ、……」という描写がある。
「フラッパア」や「アプレ」よりは犯罪性が感じられる言葉。どうかするとカミソリ、チェーン、ナイフなんかを持っていそうな。40年代後半にロングスカートの「スケ番」が現れてから消えていった言葉のような気がする。
「白い魔魚」は岐阜から東京へ出て来た女子大生・竜子の自由奔放な生活を描いた風俗小説で朝日新聞に連載された。いわば昭和30年代はじめの「当世女子大生気質」というところ。冒頭の引用部分は、主人公の竜子が神宮プールで、彼女に好意を寄せる吉見にボーイフレンドとのことを注意され、反駁する場面。
この小説は、大学生の生活を描いているということで、当時の先端のファッションあるいは風俗、流行り言葉などがふんだんに出てくる。たとえばファッションでは「タフタのブラウス」「ナイロンシャンタンのスカート」「トレアドルパンツ」「バックレスの水着」「サブリナ・シューズ」等々。また、もともと使われていた「Hネ」とか「最低ネ」という女子大生言葉もこの小説によって敷衍されたといわれている。いずれにしても、30年代はじめの大学生活の考証になることはもちろん、時代の雰囲気を感じるためにはもってこいの小説といえる。
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