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Moonlight Serenade [story]

♪ 下町の恋を育てた太陽は
  縁日に二人で分けた丸いあめ
  口さえきけず別れては
  祭の午後のなつかしく
  あゝ太陽に 涙ぐむ
(「下町の太陽」詞・横井弘、曲・江口浩司、歌・倍賞千恵子、昭和37年)。

東京が世界で最初の1000万人都市になったこの年、倍賞千恵子はこの歌でレコード大賞の新人賞を受賞した。ちなみに大賞は橋幸夫と吉永小百合の「いつでも夢を」だった。「下町の太陽」は山田洋次によって映画化され、倍賞千恵子が主演した。そのヒロインがのちの「男はつらいよ」のさくらにつながる。
作曲の江口浩司は他に「いのちの限り」(大津美子)、「忘れな草をあなたに」(倍賞千恵子、菅原洋一他)などのヒット曲がある。父親は「憧れのハワイ航路」(岡晴夫)や「赤いランプの終列車」(三橋美智也)の作曲家・江口夜詩。
横井弘はいわずと知れたキングレコードの看板作詞家。昭和20年代から40年代にかけて多くのヒット曲を作った。主なものをあげると「あざみの歌」(伊藤久男)、「哀愁列車」(三橋美智也)、「山の吊橋」(春日八郎)、「川は流れる」(仲宗根美樹)、「さよならはダンスの後で」(倍賞千恵子)、「虹色の湖」(中村晃子)。

町子ちゃんが僕の住んでいるアパートに越してきたのは、僕が小学6年生のときだった。僕の家族は両親と中学2年の姉の4人。町子ちゃんはお父さんと二人暮らし。4畳半一間という間取りは同じで、僕は単純に家族の少ない町子ちゃんの家が羨ましいと思った。
町子ちゃんは小学3年生で、手足がゴボウのように細い子だった。色が黒く無口で、大きな眼はいつも何かを睨みつけているようだった。転校生なので、慣れるまでは僕が学校へ連れて行くことになった。それがとても嫌だった。近所の仲間にも、級友たちにも冷やかされるに決まっている。

僕はできるだけ早足で歩いた。それを彼女が小走りに追いかけてくる。それを見た姉が告げ口して母から叱られた。2日目からは並んで歩くようにしたが、僕の顔はきっと歪みっぱなしだったに違いない。町子ちゃんは登校中ひと言も喋らない。僕も声を出さない。校門を入ると、僕は彼女を置き去りにして全速力で昇降口まで駆けていったものだった。

困ったのは放課後のこと。学校から帰って、ランドセルを置き、野球のグローブを持ってアパートの門を飛び出すと、正面の鉄工場のコンクリート塀に町子ちゃんが寄りかかっているのだ。僕は彼女を見ないようにして歩いていった。しばらくして振り返ってみると10メートルほど後ろを知らん顔しながら着いてくる。
僕が原っぱで友だちと野球をやっているあいだ、町子ちゃんは少し離れたところで座り、膝を机代わりに、頬杖をついてゲームを眺めていた。あたりが暗くなり、ボールが見えにくくなるとゲームセット。明日の対戦を約束して僕らはちりぢりになる。帰り道、夜空に貼り付いた月を見上げながら、後ろから着いてくる町子ちゃんが闇にさらわれないかと気が気ではなかった。

ようやく、彼女も学校へ行く道を覚えたので、連れ立って登校せずにすむようになった。そんなある日、学校から帰ってくると母が「町子ちゃんを夜店に連れて行ってあげてね」と言った。僕は友だちの豊くんたちと一緒に行く約束があるからと抗議した。「今度だけよ。まだお友達ができないんだから仕方ないでしょ」。母の言葉に反論できなかった。

夜店は毎週土曜日、駅前の商店街通りに立ち並ぶ。月に一度は家族で出かけていた。6年生になってからは友だち同士で行くことも黙認された。
「お小遣い持ってるの?」「友だちに会ったら一緒に行っちゃってもいいよ」「すぐ帰りたいって言っちゃだめだよ」。僕が何を言っても、町子ちゃんは口を真一文字に結んで、頷いたり首を振ったりするだけだった。
町子ちゃんは女の子らしく、ビーズやぬり絵の店で立ち止まった。僕は興味がないのでさっさと行ってしまう。すると彼女は見るのを諦めて追いかけてくるのだった。途中で豊くんたちと出会った。僕は金魚すくいの店を指さし、町子ちゃんに、
「ここで待っててね、ちょっと友だちの所へ行ってくるから」
と言って、離れていった。振り返ると、彼女はもうしゃがんで金魚すくいを眺めていた。

僕は友だちと店を見て回るのに夢中になり、すっかり町子ちゃんのことを忘れていた。あたりの人通りもずいぶん少なくなった頃、僕は友だちに別れを告げて駆け足で夜店通りを戻っていった。待ちくたびれた町子ちゃんはひとりで帰ってしまい、僕は母からこっぴどく叱られる。そんなことを想像しながら。
金魚すくいの店はいましも店仕舞いするところだった。その傍で町子ちゃんが立って、僕の方を見ていた。僕はホッとして近づいた。すると彼女のキツイ顔が一瞬歪んだ。ハッとして僕は、「ごめんよ。遠くまで行っちゃったもんだから」と言い訳した。そして「一緒に帰ろう」と言うと、彼女は手の甲で涙を拭きながら笑って見せた。初めて見る町子ちゃんの笑顔だった。僕たちは月の光に照らされた夜道を帰っていった。お互いに黙ったままで。

それからひと月ほど経ったある日、僕が学校から帰ってくると、知らないおばさんに連れられてアパートの門を出て行く町子ちゃんと入れ違いになった。その夜、夕食のときの父と母の会話に僕は耳をそばだてていた。詳しい事情はわからなかったが、町子ちゃんのお父さんが、越してくる前にわるいことをして警察に捕まったのだとか。それで町子ちゃんは親戚の叔母さんに引き取られていったのだった。僕はそのとき初めて、母親をそして今度は父親を失った町子ちゃんの悲しみに思い至った。そして両親の話の中にでてきた、彼女が連れて行かれた親戚の家がある「大泉学園」という地名が、なぜか記憶の中に残った。
それから時々町子ちゃんのことを思い出すことがあったが、そんなときの彼女はいつもあの夜店のときのような泣き笑いの顔だった。

あれから10年の年月が流れた。僕が社会に出て、ひとり暮らしをはじめたとき、大泉学園にアパートを借りたのはあの時の記憶があったからである。ただ、そこで彼女と再会することになろうとは夢にも思っていなかったのだが。


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