SSブログ

【アバンチュール】 [obsolete]

『やがて夏がやって来た。竜哉は兄の道久とヨットを塗り直した。これは彼等兄弟の年中行事の一つである。パテを詰め、ペーパーをかけ、丸みを帯びたシーホースの船体を、女が肌の手入れをするように丹念に仕上げながら、彼等は去年の夏を思いだし、今年の数々の出来事(アバンチュール)を想像してみるのだ。……』
(「太陽の季節」石原慎太郎、昭和30年)

「アバンチュール」も古い言葉で、明治末には使われていたようだ。森鴎外の小説にも出てくる。最近でこそあまり聞かないが、昭和の後半でもよく耳にしたような気がする。「恋のアバンチュール」とか「深夜のアバンチュール」とか、週刊誌の見出しにはもってこいの言葉だった。
aventure はフランス語で冒険とか、ラヴ・アフェアーの意味。日本では引用した「太陽の季節」でもそうだが、恋の冒険として使われていることが多いようだ。もちろん色恋ぬきのアバンチュールもある。昭和22年の「青い山脈」(石坂洋次郎)では、六助が、新子の父親のために、リンゴを農業会(今の農協?)に黙って県外へ運び出すことを手伝った事件を、「アバンチュール」と言っている。
言葉の響きの心地よさ、はたまた他に取って代わる気の利いた言葉が見あたらないことから、いずれまたこの言葉がもてはやされる時代が来るかもしれない。

昭和31年の芥川賞受賞作である『太陽の季節』は、小説のインパクトというより、当時の若者の風俗や精神性に与えた影響も大きかった。象徴的なのが「太陽族」であり「慎太郎刈り」である。その年すぐに日活で映画化され、「太陽族」の流行語と共に同系の映画が作られていった。良識ある大人は、太陽族を不良とみなしたが、若者には歓迎された。小説の登場人物が不良大学生のボンボンたちであるにもかかわらず、当時若者の大半を占めていた中卒、高卒のあんちゃんたちまでが、その雰囲気を己のものとして生きていた。この小説が世にでなければ、あるいは石原慎太郎という人物が小説を書かなければ、おそらく石原裕次郎は現れなかっただろう。その意味からもこの作品の文化・風俗に与えた影響力は大きい。


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

【鳩時計】Who Knows Where The .. ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。