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【美容体操】 [obsolete]

『美容体操の支度のある生徒は、水色のカーテンの中にはいった。そして、短いパンツと、短い袖の白いスポーツ服になって現われた。講師のファッション・モデルも、最後に水色のカーテンの中にはいったが、出て来た時には、紺色の袖の短い、パンツ姿になっていた。幅のひろいベルトをしめている。……』
(「ファッション・モデル」 丹羽文雄・著、昭和30年)

「美容体操」、なんとも色褪せた言葉だ。そもそも体操という字面と音の響きが今風ではない。現代ならさしずめエアロビクスとか、ジャズダンスということになるのだろう。
昭和29年4月にNHKテレビの婦人向け番組で「美容体操」が始まった。この番組によって「美容体操」という言葉が流行したそうだ。しかし、昭和26年から27年に書かれた源氏鶏太の『三等重役』のなかですでに「美容体操」という言葉が出てくるので、言葉そのものは、NHK番組の前から膾炙していたのだろう。たしか昭和30年代に民放?テレビでアメリカ発の美容体操番組を放映していた。その番組に関して、雑誌か何かに「美容体操をするタイツ姿(レオタードなどという言葉はなかった)の麗しき美女を見ているのは、女性ではなく“おとうさん”たちだ」などという記事が載っていたのを記憶している。

丹羽文雄の「ファッション・モデル」は、服飾業界の内幕を描いた通俗小説で、当時第一線で活躍していたファッション・デザイナーやモデルが実名で登場したりして話題になった。当時はドレメブームで、大小のドレスメーキングつまり服飾(洋裁)学校が雨後の竹の子のように作られた。また、ファッション・モデルも昭和28年、モデルの伊東絹子がミス・ユニバースのコンテストで3位に入賞し、「八頭身」という言葉と共に世間の注目を浴びた。そのため服飾学校でもモデル科を設けるところまで出てきたそうだ。
この小説は当時の様々な世相がよく反映されていて面白い。そのひとつであるモデルのギャラを紹介してみると、13日間の拘束でトップモデルが3万円、下が1万5千円となっている。ちなみに映画主演まで果たした“世界の”伊東絹子は1日10万円と超別格だったそうだ。20代のサラリーマンの月給が1万8千円だった時代の話である。


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