SSブログ

Honky Tonk Angeles [story]

♪ いつか忘れていった こんなジタンの空箱
  ひねり捨てるだけで あきらめきれる人
  そうよみんなと同じ  ただのものめずらしさで
  あの日洒落たグラス 目の前にすべらせて くれただけ
  おいでイスタンブール 怨まないのがルール
  だから愛したことも ひと踊り 風のもくず
  飛んでイスタンブール 光る砂漠でロール
  夜だけの パラダイス
  
「飛んでイスタンブール」(詞・ちあき哲也、曲・筒美京平、歌・庄野真代、昭和53年)。
ちあき哲也、好きな作詞家だ。「かもめの街」(ちあきなおみ)とか「ノラ」(門倉有希)など演歌の名作が多いが、「止まらない Ha~Ha」他、矢沢永吉に多くの詞を提供していることでも知られる。また、80年代初頭には近藤真彦や少年隊などアイドルの作品もある。わたしがいちばん好きなのは渡哲也の「ほおずき」。昔、悲しい思いをさせて別れた女への未練、懺悔がいかにも演歌らしく女々しくていい。
筒美京平についてはいまさら述べることもない。昭和40年代、50年代の日本の流行歌を代表する作曲家だ。この「飛んでイスタンブール」はとりわけ編曲(船山基紀)がエキゾチックで斬新だった。庄野真代は「アデュー」もよかった。

ジタンといったら? フランスの煙草? ロマ? わたしにとってジタンとはあの当時、地下鉄のH駅前にあったスナックのことだ。会社帰り、どうしてもその前を素通りできなくなったことがあった。いわばスナック中毒。

小さな店で、5、6人座れるカウンターにボックス席が3つ。バーテンの安田さん、雇われママの七恵さん、そしてしょっちゅう変わる女の子の3人がジタンの従業員。
七恵さんは30近くで独身。近所の惣菜屋の娘で、昼間は店を手伝って夕方からジタンにあらわれるという働き者。ショートカットで小柄なグラマー。いつも黒系のミニスカートに黒のパンスト。いってみれば“年増”なのだが、そのミニスカート姿が実に似合っていた。
わたしがジタンにいれあげたのは、その七恵さんのせいだったのかもしれない。誤解しないでいただきたいが、わたしは七恵さんに恋い焦がれたわけではない。彼女の話を聞くのが好きだっただけなのだ。

お喋り大好きな彼女のお得意は恋愛相談。実はわたしも、当時付き合っていた彼女のことを相談したことがあり、それから、七恵さんにハマったような気がする。とにかくチャキチャキの江戸っ子だけあって、歯に衣を着せない口調でズバズバ言う。彼女のアドバイスは、恋の駆け引き、手練手管なんてまどろっこしいことは大嫌い、好きか嫌いか、別れるかくっつくかのどちらかなのだ。それを身振り手振りを交え、豪快に笑いながら話してくれるのである。わたし以外でもかなり多くの若い客が七恵さんに恋の悩みを打ち明けていたようだった。果たしてどれだけの客がそのアドバイスを履行していたのかはわからないが。少なくともわたしは、「別れちゃえ、別れちゃえ」という七恵さんの言葉どおり、女と別れたのだが。

7月、街に暑さが沈殿する黄昏どきだった。いつものようにジタンのドアを開け、カウンターの前に座った。そして七恵さんがいないことに気づいた。そして次の日も、七恵さんの姿は見えなかった。2日休むことはめずらしいので、バーテンの安田さんに訊いた。安田さんは私に顔を近づけ、「ちょっと事情があってしばらく来られないんです」と小声で囁いた。

七恵さんは4年ほど前、ある男性と結婚寸前までいったことがあった。しかし、直前に男が逃げた。彼女は泣きながら夜の街を裸で走り回ったという。それからしばらく入院、通院を繰り返すようになった。ようやく1年ほど前から元気になったのだが、今でも薬は手放せないのだとか。その七恵さんに最近、新しい恋人ができた。3つほど年下でジタンの客だった男だ。先週、彼女はその男を包丁で刺したのである。幸い男は軽傷だったが、彼女は通報を受けて逮捕された。

それが、安田さんが話してくれた“事情”だった。そして、
「あの男ははじめから、ママと一緒になる気なんてなかったんですよ」と付け加えた。
「男運の悪い星の下に生まれたのかなあ。ママと合う男だっていると思うんだけど」と、取って付けたようなことをわたしが言うと、
「いやあ、きっとママはそういう男には惚れないんですよ」と言って話を続けた。
わたしは安田さんの話を聞きながら、いつか七恵さんがわたしに「○○ちゃん、嘘ついちゃやよ。アタシ嘘つく人大嫌いなんだから」と言ったことを思い出した。その時の彼女は、いつものような陽気なママではなく、黒い瞳がとても暗くそして深かった。

「さあ、もうここへは戻って来ないんじゃないですかね……」
安田さんの言うとおり、示談がまとまり不起訴になった七恵さんだったが、ジタンには帰ってこなかった。それ以来、わたしのスナック中毒も治り、ジタンの前を平気で素通りできるようになった。それでも、恋のアドバイスの達人だったくせに、自分の恋愛にはまるで不器用だった酒場の天使のことは、折にふれて思い出すのである。


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Too YoungMansion On The Hill ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。