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Back Street Boys [story]

♪ あの町この町 日が暮れる 日が暮れる
  今きたこの道 帰りゃんせ 帰りゃんせ
  
  お家がだんだん 遠くなる 遠くなる
  今きたこの道 帰りゃんせ 帰りゃんせ

「あの町この町」(詞・野口雨情、曲・中山晋平、大正14年)。
この作詞・作曲コンビの唱歌には他に「しゃぼん玉」「雨ふりお月」「証城寺の狸囃子」「こがねむし」などがある。流行歌では「船頭小唄」「波浮の港」などもそうだ。いずれにしても、どれも「死歌」に近い。
こどもながらに怖い歌があった。この「あの町この町」がそうだ。その他では「叱られて」(詞・清水かつら、曲・弘田龍太郎)、「夕日」(詞・葛原しげる、曲・室崎琴月)も怖かった。いずれも大正の唱歌だ。この三つの歌に共通しているのはいずれも夕暮れを歌っているということ。日暮れには、楽しい遊びが中断され、友だちと別れるという淋しさもあっただろうが、明るい世界が徐々にフェイドアウトしていき、やがて闇につつまれるという、暗黒にたいする恐怖もあったのではないか。それは死に通ずるものだろう。
とりわけ「夕日」の♪ ぎんぎんぎらぎら…… という歌詞はこどもながらに、世界の終末を思わせる響きがあった・

ある日曜日。
お父さんは縁側で文鳥の入った鳥籠を掃除している。座敷ではお母さんが、くけ台に着物をひっかけて針をつかっている。庭ではお兄ちゃんが、空き缶にヒモを通した缶馬で歩き回っている。僕も缶馬に乗ってお兄ちゃんの影を追っている。缶馬が庭土を闊歩する音も文鳥の囀りも聞こえない。
僕は、お兄ちゃんの名前を知らない。もちろんお父さんもお母さんも今日初めて見る人たちだった。

人と人の出逢いはいろいろで不思議だ。何気ない邂逅が長い付き合いになったり、ドラマチックな対面が意外と早い別れになったり。また長い付き合いの人でも、初対面のときのシチュエーションが曖昧だったりすることがある。出逢いに気をとめない子供の頃となれば、その印象が希薄になるのはなおさらだ。

僕が何処でそのお兄ちゃんと会ったのか、どういうキッカケで彼の家へ遊びに行くようになったのかは定かでない。その家が僕の家から相当離れた隣町にあったということも、不思議だ。とにかくそのサイレントの記憶は、のどかな日曜日からはじまるのであった。そのとき僕は8歳、お兄ちゃんは11か12歳ぐらいだったと思う。

それから記憶は一気に戦場へと飛ぶ。戦場とは大袈裟だが、子供たちのケンカの場所だ。
隣町との境にある大きな原っぱがその戦場だった。もちろん、二つの町の悪ガキどもが、ルールを定めたわけではないのだが、定期的に戦うのである。お互い十数人同士で、派手な取っ組み合い、殴り合いになることもあれば、口げんか罵り合いで終わることもある。
そのとき、小学2年の僕はなぜか、その戦闘員の末席に名を連ねていたのである。
わが町のボスが口上というほど立派なものではないが、相手に宣戦布告をする。10mほど離れて対峙する隣町のボスが「望むところだ」などというようなことを言い返す。
わが軍のだれかが石を投げた。それが相手の兵隊の顔に当たった。兵隊は一瞬手で顔を覆い蹲った。予期せぬ事態に時間が止まる。兵隊はゆっくり立ち上がった。
そのとき初めて、僕はその兵隊があのお兄ちゃんであることを知った。残酷な再会だった。

お兄ちゃんが石を投げ返した。それをきっかけに礫合戦が始まった。飛んでくるのは石だけではない。木の枝だったり、草の根だったり、ネズミの死骸だったり。夥しいものが激しく飛び交った。
僕は味方の最後部に隠れ躊躇っていた。どうすればいいのか分からなかった。生まれて初めて覚える感情だった。しかし、やがて足元の草を引き抜き、それを敵へ向かって放り投げた。根に土のついたままの草の固まりは両軍の間に落ちた。そのとき、お兄ちゃんと目があった。お兄ちゃんは笑っていた。

戦争の行く末がどうなったのか記憶はない。お兄ちゃんが笑ったところでフィルムが燃え尽きてしまったように映像は終わっているのだ。残ったのは幼いながらに覚えた後味の悪さと自分を責める思いだった。その思いは半世紀あまり過ぎた今でも色褪せることなく残っている。

人間を裏切るということが、かくも苦々しいものなのだということを少年は学んだはずだった。


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