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So Long, It's Been Good To Know You ② [story]

♪ 覚えているかい 森の小径
  僕も哀しくて 青い空仰いだ
  
  何にも言わずに いつか寄せた
  小さな肩だった 白い花 夢かよ

「××小学校? 4年?」
と少女は二つ訊いてきた。僕は二度頷いた。こんなに朝早く何をしているのか訊かれたので、目的もなく散歩をしていると応えると、それには興味を示さず、
「かあちゃんが病気なの、仕方なく手伝ってるの……」
と自分のことを話し始めた。
小島茂世という名前で、隣町の○○小学校の6年生。家は牛乳販売店をやっているそうだ。来年、ハワイにいるお祖父さんの所で暮らすのだとも。
「さあ、あと少し。届けちゃわなきゃ」
茂世はそう言うと立ち上がり、自転車に跨った。僕は、まだ話を聞いていたかったのだが。茂世は僕に笑顔で敬礼をしてから自転車をこぎ出した。僕は急いでコーヒー牛乳を飲み干し、自転車の後を追った。茂世が急ブレーキをかけ、振り返った。僕は箱の中に空きビンを戻し、
「手伝う……」
と小さな声で言った。茂世はニコッと笑って再び自転車をこぎ始めた。
僕は茂世から言われた家の牛乳箱へ、ビンを入れて回った。彼女は僕が戻ってくるといちいち笑顔で「サンキュー」と言うのだった。その響きがとても心地よかった。
「これで最後よ」と言われたのは、いつも欄干を触って帰る橋の袂にある鉄工場だった。
箱に牛乳ビンを収めて戻ってくると、茂世は「今日はありがとう」と言った。僕が黙っていると「じゃあね」と笑って背中を見せ、橋を渡っていった。僕はしばらく彼女を見送っていた。そしていつものように右手で欄干に触り、電車通りを引き返していった。

それから、茂世を手伝って牛乳を配るのが僕の日課となった。茂世は僕が、母親の病気のため今の家に預けられているということを知ると、なおさらよく僕に話をするようになった。
茂世の母親がからだが弱いというのはウソで、実は2年前に家出してしまったこと。父親は酒を飲むので嫌い。7つ上の兄は悪い仲間に入ってめったに家へ戻ってこない。自分は勉強が嫌いだからあまり学校へ行かない。早くハワイへ行ってお祖父さんのやっている理髪店で働きたい。今いちばん欲しいのは金色のカチューシャ。今いちばん行ってみたいところはお母さんの生まれた鹿児島。宝物は箱一杯に詰まった赤、白、緑、青、黄などのガラスの破片。そんなことを僕に話してくれるのだった。

茂世と会ってひと月あまり経った土曜日だった。その日の朝空は今にも雨になりそうな鈍色の雲におおわれていた。僕らはいつものように牛乳を配り終え、橋の袂まで来た。
「ねえ、明日、家へ来ない?」
茂世が言った。そして、
「午後からだったら父ちゃん出かけるし、誰もいないから」
と付け加えた。僕が下を向いて躊躇っていると、
「どっか行くの? 約束があるの?」
と訊ねてきた。僕は二度首を振ってから、顔を上げ笑顔をつくった。茂世は、
「じゃあ、きっとよ。××町の小島牛乳店っていえばすぐ分かるから」
と言って自転車をこぎ始めた。しかし、すぐに自転車を急停車をさせ振り返った。そして、
「約束よ……」
と念を押して笑った。橋を渡っていく茂世の背中を見つめながら僕は、なにか胸の中の風船が膨らんでいくような気がした。

昼過ぎ、学校から帰ると父が来ていた。僕は、母に何事かが起こったのだと直感した。
父は、これから一緒にお母さんの所へいくのだと言った。伯母さんが前掛けを顔に当てていた。僕は自分の部屋へ行き“よそいき”に着替え始めた。悲しいとか辛いという気持はなかったが、次から次へと涙が落ちてきて、シャツのボタンがうまくはまらなかった。
父と外へ出る前に、伯母さんが「あとで行くからね。気をつけるんだよ」と言った。僕は笑顔で頷いた。それでもまだ涙は止まらなかった。
僕が茂世との約束を思いだしたのは、その日の夜、信州へ向かう列車の中でだった。しかし、そのときはすぐ東京へ戻ってくるのだから、また会えるだろうと考えていた。

母は、父と僕が信州の病院へ着いてから4日後に死んだ。そして、僕はそのまま祖父母のもとで育てられることになった。

中学1年の夏休み、深川の伯母の所へ遊びにいく機会があった。一泊した朝、僕は3年前と同じように露地を抜け、荒物屋の角を曲がって染め物工場の板塀沿いを歩いてみた。懐かしい町並みだった。電車通りに出ると、あのドブ川の臭いが鼻孔いっぱいに入り込んできた。しばらく行くと、朝もやの中に鉄工場が見えた。その先が橋だった。僕は橋の前で佇んだ。あのときのように茶色に光る欄干に触ってみた。そして、この橋を渡ろうと思った。この朝もやの先にある、まだ見たことのない隣町へ行ってみようと思った。


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gutsugutsu-blog

この写真も好きです。
懐かしい風景のひとつ。
by gutsugutsu-blog (2006-08-03 19:58) 

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