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So Long, It's Been Good To Know You ① [story]

♪ ホロホロこぼれる 白い花を
  うけて泣いていた 愛らしいあなたよ
  ……
  何にも言わずに いつか寄せた
  小さな肩だった 白い花 夢かよ

「森の小径」(詞・佐伯孝夫、曲・灰田晴彦、歌・灰田勝彦、昭和17年)。
太平洋戦争の渦中にこんな歌が流れていた。当時は評論や小説、詩歌はもちろん、映画、演劇、絵画など、あらゆる表現活動に検閲の網がかけられていた。歌謡曲や演芸などの大衆芸能も例外ではなかった。人間の原初的な行為である男女の愛とか恋とかは軟弱の極まりで、理屈抜きに検閲の対象となった。にもかかわらずこの歌が検閲の対象にならなかったのは、奇跡にちかいのではないか。
佐伯孝夫の抒情的な歌詞に、ノスタルジックなハワイアンメロディーがとても合っている。灰田勝彦の声を抑えたクルーン唱法もこの歌の雰囲気にうってつけ。灰田晴彦は勝彦の兄で、同じトリオの作品に「鈴懸の径」がある。
この「森の小径」はウクレレ協会の協会歌だそうで、インストゥルメンタルでハワイアンやジャズのナンバーとして演奏されることもあり、それもまたいい。

僕が小学校4年生になって間もなく、母の病気が悪化し信州の病院で療養することになった。信州に母の実家があったからだ。そして僕はしばらくの間、蒲田の家を離れ、深川の伯母の所へ預けられることになった。父の妹である伯母は、陽気でお喋りな人だった。高校生と中学生の従兄弟ははじめこそ珍しくて僕の相手をしてくれたが、すぐに飽きてしまったようだった。伯父さんは幼いながらも苦手だった。家族が揃っているときは、僕に冗談を言って周囲を笑わせるのだが、ふたりきにになると態度があからさまに変わるのだ。たとえばこんなことがあった。
ある休日、伯母が用事で、代わりに伯父が僕を映画に連れて行くことになった。その前夜、皆の前で伯父は「さて、何を見ようかなあ。嵐カンかい? それとも錦之介かい?」などと言って僕を喜ばせたのだが、当日、ふたりで外出したとたんまったく口をきかなくなった。そして、映画街へ着くと「ホラ、あそこだから見てきなさい」と指を差すのだった。理由がわからず黙って伯父の顔を見ていると、思いだしたように胸ポケットから財布を取り出し、百円札を2枚を僕に手渡した。そのときの伯父の顔はとても怖かった。

それでもしばらくすると伯母一家との生活に慣れ、新しい学校にも慣れた。両親がいないことを別にすれば元の生活に戻ったような気持ちになることもあった。ただ変わったのは、早起きになったということだ。
午前5時になると目が覚める。まだ誰も起きていない。僕は表へ出て近所を散歩するのだ。露地を抜け、神社を横切り、ほとんど人の気配のない電車通りを通って川まで往く。ドブの臭いがだんだん強くなり、川に近づいていることが分かる。そして橋が見えてくる。僕は橋の欄干を触り引き返してくるのだ。儀式のように毎日それを繰り返した。

今考えれば、あのときの朝の彷徨は、両親を求めてのことだったのだと思う。露地から電車通りへの散歩道は幼いなりの夢の旅路だったのだ。そしてあの橋が現実だった。小学4年生にはその現実を渡りきる勇気がなかった。そこですごすごと引き返してしまったのだった。

家へ戻ると伯母が朝食の支度をしている。はじめは伯母も驚いたようだが、何日かすると「今日は晴れそうかねえ」などと、天気を聞いてきたりする。
そんなある朝、僕はいつものように荒物屋の角を曲がり、染め物工場の板塀沿いを歩いていたとき、前の道を自転車に乗った女の人が横切った。一瞬女の人と見えたのだが、よく見ると、僕と歳がそう変わらない女の子だった。少し大きめの自転車の荷台には箱が据え付けられ、どうやらその中に入った牛乳を配達しているらしい。僕はいつもの道から外れ、ゆっくり自転車のあとを着いていった。彼女は自転車を止めては、箱から牛乳瓶を取り出し、家々の門に取り付けられた牛乳箱に入れていく。
自転車は狭い露地から商店街へ出て、薬局の前で止まった。そこで彼女は後ろをふり向いた。僕は立ち止まった。優しい顔だった。でも、同級生に比べるとはるかに大人の顔をしていた。僕らはしばらく見つめあった。優しい顔が笑顔に変わった。僕は彼女に背を向け、全速力でその露地を駆け戻った。

それからしばしば、早朝の散歩で牛乳配達の少女を見かけるようになった。散歩の目的が彼女をみつけることに変わったのかもしれなかった。
あるとき、彼女の後をついていった僕は、神社の前で見つけられた。いつものように逃げようと思ったが、それよりも早く彼女は手招きをした。魅入られたように近づいていくと、彼女は、
「いつも後をつけてくるのね。探偵ごっこなの」
と言って、箱の中からコーヒー牛乳を取りだし、僕に差し出した。受け取りかねていると、「いいから」と言うなり、片手で器用にふたをはね飛ばし、僕につき出した。そして彼女は自転車を路上に停め、鳥居の土台に腰掛けた。僕も彼女から少し離れて座った。


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