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Daddy Sang Bass [story]


♪ 仲よし小道は どこの道 
  いつも学校へ みよちゃんと
  ランドセル背負って 元気よく
  お歌をうたって 通う道

「仲よし小道」(詞・三苫やすし、曲・河村光陽、昭和14年)。
日中戦争のさなか、太平洋戦争の2年前につくられた。「父よあなたは強かった」や「兵隊さんよありがとう」などの軍歌が世に出た年。昭和のはじめから、昭和30年代のはじめ頃まで、童謡・唱歌は子供の歌の主流だった。それはたんに学校で教えたものばかりではなかった。レコードが売れ、童謡歌手がスター並みの扱いを受けた。昭和30年前後では、小鳩くるみ、古賀さと子、近藤圭子などが人気を博した。
やがて廃れていった原因はテレビの影響が大きかった。テレビドラマの主題歌やコマーシャルソングは、それまでの童謡や唱歌より、はるかに刺激的で時代を反映していたからだ。
今の子供は「仲よし小道」など歌わない。いまや、一所懸命歌っているのは小沢昭一をはじめ、おじさんやおばさんたちなのだ。
この歌の歌詞にあるように戦前からランドセルはあったようだ。もっとも全国的に普及していたかどうかは分からないが。今でも四月になると小学一年生が真新しいランドセルを背負って、お兄さん、お姉さんたちに連れられ登校していく可愛い姿が見られる。

マキちゃんは今年、W大に合格した。おかあさんと4つ違いのお兄ちゃんとの3人暮らし。おとうさんは中学3年の時に亡くなった。今日が入学式で、母親が同伴したいというのをピシャリと断って、これから一人で行くのだ。真新しいスーツに身を包み、鏡に向かっている。マキちゃんには、毎年この時期になると思い出すことがあった。、それは、小学生の入学式前日の夜のことだった。

生まれつきからだの小さいマキちゃんは、部屋の中で真新しい赤のランドセルを背負ってみた。それを見ていたおとうさんが涙を流した。そのときはなぜ泣いたのか分からなかったが、少し大きくなってから母親に聞いたところによると「あんな小さなからだで、あんな大きなランドセルを背負って毎日学校まで行くのかと思うと悲しかった」のだそうだ。
お父さんの涙の理由はわからなかったが、その入学前夜の自分の心境をマキちゃんは今でも忘れることができない。
からだが小さいだけでなく、何事にも動作がやや遅いマキちゃんは、子供ながらに負い目があったのか、とても無口でとても大人しい子供だった。保育園でも、給食は昼寝の時間になっても終わらなかったし。お母さんが迎えに来る時間が遅れても、いつまでも黙って待っていた。それが、今度はみんながしっかりと勉強までする小学校という得体の知れない所へ行かなくてはならないのだ。心配で心配で泣きたいほどだった。
ランドセルを降ろしたマキちゃんは、思い切っておとうさんに聞いてみた。
「おとうさん、わたし、小学校へ行ったら、ちゃんとやっていける?」
「もちろんさ。マーちゃんみたいな賢い子はやっていけるにきまってるよ」
さっきまで泣いていたおとうさんは、そう言って笑った。
「でも、わたし……」
「いいこと教えてあげようか。いいかい、先生の話すこと、友だちの言うこと、それをよーく聞いていればいいんだよ。そうすればなんでもわかっちゃう。だからなにも心配することなくなっちゃうんだ。かんたんだろ」
おとうさんの言うとおりだった。授業中でも休み時間でも、マキちゃんは先生や友だちの話を一所懸命聞いた。すると授業が面白くなったし、友だちの考えが理解できると仲良くすることもできた。学校って、みんなと一緒ってこんなに楽しいんだと思えるようになったのだ。

それでも小学校から中学校、中学校から高校と、進学するたびに「着いていけるかな、みんなと仲良くできるかな」という不安はついて回った。そして、今度の大学進学である。マキちゃんは鏡に映った自分に向かって、いつものように「人の言うことをしっかり聞いていれば、何でもわかっちゃう」と、まるで呪文のように言い聞かせた。


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