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Sweet Little Sixteen [story]


♪ 黒襟すがたに洗い髪 明治の名残りの黄楊の櫛
  鬼灯を かみながら ホテルの粋なバルコンで
  リルケの詩集を読む美人
  あゝ…… 恋人をもつならば 
  夢のある夢のある そんな人

「恋人をもつならば」(作曲・上原げんと、作詞・西條八十、歌・神戸一郎、昭和33年)。歌謡曲黄金時代の昭和30年代はじめ、アイドル的存在だったのが神戸一郎。他に「銀座九丁目は水の上」、「別れたっていいじゃないか」などのヒット曲がある。たしか後年、ウクレレ漫談の牧伸二が、♪ フランク永井は低音の魅力、神戸一郎も低音の魅力…… などとギャグっていた。それほど知名度のある歌手だったのだが、全盛期が驚くほど短く、疾風のように消えてしまった。不思議なことに最近はナツメロ番組でも見かけない。
作詞の西條八十は、詩人あるいはランボーの研究者として知られるが、歌謡曲の作詞家としても草分け的存在。昭和4年の「東京行進曲」からはじまって、戦前は「旅の夜風」、「誰か故郷を想わざる」、「サーカスの唄」など、また戦後は「青い山脈」「この世の花」、「王将」、「夕笛」など数多のヒット作を手がけている。佐伯孝夫、阿久悠と並ぶ昭和の三大歌謡作詞家のひとり。だいたいこの作詞家は美男美女が好きなようで、神戸一郎もそのひとり。

その神戸一郎命だったのが当時、芳紀16歳のサーちゃん。大きな自動車部品工場のお嬢さんで、花の女子高生。切れ長の目に、口元のホクロが実に艶っぽかった。お嬢さんの常でピアノ、お茶、お華、日本舞踊と習い事が多かった。とりわけ日舞の稽古に通う時の着物姿に薄化粧の様子は見とれるほどだった。
サーちゃん、芸能が大好きで平凡、明星が愛読書。わたしに歌謡曲の魅力を指南してくれたのも彼女。サーちゃんの家へ遊びに行くと2階の自分の部屋へ案内してくれる。そこには4本足の電蓄がドデンと。そこで聴かされたのが、神戸一郎だったり、コロムビア・ローズだったり、島倉千代子だったり。サーちゃんは映画も大好き。ところが一人で映画館に入ることは学校で禁止されていた。そんなとき、サーちゃんは「○○ちゃん、映画連れてったげるから行こ」と〈断ったらヒドイから〉という口調でわたしを誘うのだ。つまりわたしは補導避けの同伴者。もちろん親にも内緒で。行くのは大概平日の昼過ぎ。川を渡り、わざわざ遠回りして駅前の映画館へ。帰りはきまって甘味処でぜんざいや団子などをご馳走してくれる。さすがお金持ちのお嬢さん。
どんな映画を観ていたのかほとんど覚えていないのは、おそらくわたしにとってとても退屈なストーリーだったからだろう。それよりもある時、帰り道で彼女が言った言葉を今でもはっきり覚えている。
「ねえ、神戸一郎って鶴田浩二と宝田明を足して二で割った顔してるよね」
悲しいかな、当時8歳・小学2年生のわたしには神戸一郎は分かってもあとの二人はわからなかった。

それからほどなくわたしの一家は、その町を引っ越した。その後しばらくして、サーちゃんのお父さんの工場が倒産し、一家は故郷である長野へ帰ったという父と母の会話を耳にした。ちょうどテレビやラジオでピンキーとキラーズの「恋の季節」が流れている頃だった。


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pafu

すてきな甘味処ですね。
だからだったんですね。

もうないんでしょうね。
by pafu (2007-02-16 06:17) 

MOMO

pafuさん、いつもありがとうございます。

この写真は、2年ほど前に東京の下町で撮ったものです。最近傍を通っていないのですが、多分まだあると思います。
残念ながらこの店には入ったことがないのですが……。店の界隈はよく30代の着物姿の女性(シロウトさんです)が何人も出没して、なかなか雰囲気のある町です。
by MOMO (2007-02-16 21:46) 

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