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再会② [story]

大学時代、一度だけ玲子から電話があった。「いい話があるから……」と彼女。約束の喫茶店で会うと、彼女はカタログをひろげながら話をはじめた。自動車の排気ガスを抑制する装置のセールスだった。いわばネズミ講で、1台売ると数万円の儲けがあるとか。わたしは友人が似たような話で被害を被っていたのを知っていたので、そのことを説明して、彼女も手を引くようにすすめた。それにはイエスともノーとも応えなかったが、とにかくわたしへの勧誘は諦めたようだった。それから彼女は歌手になるためにレッスンを受けているというような話をはじめた。その時も現在も、玲子の行為がわたしに対して善意のものだったという思いは変わらない。

わたしは大学を出ると化学薬品メーカーに就職し、地方へ赴任した。そして数年後、東京本社へ戻ってきた。妻もいた。子供もいた。親子3人で実家の傍のアパートに住んだ。ある朝、いつものように駅へ向かっていると、「○○君……」と後ろから呼び止められた。ふり向くと玲子だった。いつもストレートだった長髪は大きなウェーブがかかっていた。そして少し素人離れした黒のワンピースは別人のようだった。彼女も駅へ向かっていた。「ちょっと時間ある?」と言って顔をほころばせた。10年あまり前、同じようなシチュエーションがあったような……。
「恋人たちの場所」というつまらない映画を見に行ってすっかり暗くなった帰り道、「ちょっと休憩していかない」と言ってわたしをドギマギさせた17歳の玲子。あのときの笑顔がフェイド・インしてきて、その瞬間、10年間という空白が消えた。
わたしは会社への遅刻を覚悟して喫茶店へ入った。珈琲を飲みながら玲子は自分の話をした。わたしのことは何も訊かなかった。彼女はクラブ歌手をしていると言った。ゆっくりした口調、微笑みをたたえた豊かな頬は以前のままだったが、濃いめの化粧の下に透けて見える30近い女性の疲労感が伝わってきた。30分ほどで、「時間がなくてゴメンネ」そう言って玲子の方から席を立った。彼女が去ってから、せめてクラブでどんな歌を歌っているのか、訊いておけばよかったと思った。


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