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SAILOR ON THE DEEP BLUE SEA① [story]

 

福島県のN市市街から、海岸沿いを十数キロ北上したところに「かもめ」という小さな町がある。そこには鷗崎(かもめざき)という切り立った断崖があり、町の名の由来となっている。
プロ野球ファンならば、数年前まで、そこに常陸シーガルズの本拠地、“断崖の上に立つ球場”として知られたガルズパークがあったことを記憶している方がいるのではないだろうか。その名物球場は数年前の球団売却とともに取り壊され、いまは展望台とともに当時からあったアミューズメントパークが規模を縮小して残されている。何を隠そう、実は私もシーガルズのファンだった。シーガルズには伝説のホームランバッター大倉徹がいた。彼については栄新町の飲み屋で知り合ったあるチームメイトから聞いたとっておきの話があるのだが、それはまたいつかの機会に。今日はまた別の話である。

前置きが長くなったが、私はこのN市にあるTという運送会社に勤める者で、歳は気がつけばとうに三十路を越えてしまった。もちろん独身。行きつけの飲み屋に小粋なお姐さんがいて、ちょっと気にはなっているけど、毎度毎度のシャボン玉で、この歳になると、追いかけようなんて気もなくなってしまって……。そんなことはどうでも。
T社は郵便事業株式会社から郵便業務を委託されている会社で、私はその郵便配達人。ちょうど5年前、N市へやって来て運良く就職できたのがいまの会社というわけだ。塒(ねぐら)のない渡り鳥のような私が、同じ町に5年も住んでいるなんて、自分でも信じられない。この土地がよほど住み心地が良いのかもしれない。

仕事は午前と午後、バイクで郵便物を配達すること。市内から始めて郊外へ。最後がかもめ町。以前は鷗崎あたりにも野菜や花卉を栽培する農家がたくさんあったのだが、シーガルズの球場設立にあたって、用地買収が行われ、ほとんどが市内へと移っていった。それでも立ち退きに応じなかった農家など数十軒が残った。その中に、ほんとうに岬の突端近く、まるで断崖絶壁の上に建てたような家がある。そこはまた、私の配達の最後の家でもある。実は、話したかったのは、そこに独りで住む女性のことなのだ。

彼女は真澄忍(しの)といい、近辺の住民の中では唯一地元の人間ではない。生まれは信州の方で、ここへ来るまでは長く東京で暮らしていたという。10数年前に荒地だったいま住む所の土地を買い、ささやかな家を建てて住みはじめた。当時、50歳前後だったというから、現在の年齢は推し量れる。なぜ、東京から親戚がいるわけでもないこのかもめ町へ移り住んだのか、知る人はいなかった。

唯一の家族は〈クリス〉という名の白い大きな犬で、町へ出かけるときもクルマに乗せて行くぐらい、“ふたり”は仲良しだった。よく、“ふたり”で海岸を散歩していたり、海の見渡せる庭でじゃれあっていたものだ。とは、以前近所に住んでいた人の話である。とにかく引っ越してきてから近所づきあいをほとんどせず、ずっと“変わり者の他所者”で通っていた。何をしている人なのか、というより何もしていない人らしく、大企業経営者のお妾さんだとか、東京の風俗店のオーナーだとか様々な噂が絶えなかった。
かもめ町へやって来てから数年経ったとき、彼女は“独り”になってしまった。唯一のパートナーだったクリスが死んでしまったのだ。それから彼女は、買い物以外はほとんど外出しなくなってしまった。小さな庭で野菜を育てたり、なぜか庭に設えた大きなブランコに腰掛けて何時間でも海を眺めているだけだった。
私も郵便物を届けた折りに何度か、ブランコに腰掛けた忍さんを見かけたことがあった。片手をブランコのロープにかけた小さな後ろ姿だった。か弱そうな肩をつつんだ杏色のカーディガンに白のブラウス。ベージュのロングスカート。その先にのぞいている小さな黒い靴。そして彼方には静止したような海と空と雲。もし、プラチナ色の髪が潮風にそよいでいなかったら、それは一枚の絵だと言われても疑わないような光景だった。

そんな忍さんと私が話を交わすようになったのも、そのブランコがきっかけだった。
ある日、小さな字で“真澄”と書かれたポストに郵便物を投函し、会社へ引き返そうとしたとき、庭でブランコに腰をかけた忍さんの姿が目に入った。毎度の事ながら、その姿には思わず足を止めてしまう美しさがあった。しかし、次の瞬間アクシデントが起こった。突風が吹き、忍さんがブランコから地面へ落ちてしまったのだ。私は反射的に駆け出し、庭へ入って忍さんを助け起こしていた。彼女は顔を蹙めて痛そうにしている。私は彼女を抱きあげ、家の中へ運んだ。
骨折でもしていると大変なので、「医者を呼びましょうか」というと、彼女は大きく息をして、くびを振った。そして、
「折れてはいないから、しばらく横になっていれば大丈夫……。お世話をかけて、すみません」
と、はっきりした若々しい口調で言った。そのままにして帰るのも気が咎められたので、何かできることはないかと訊ねると、口元をほころばせて言った。
「それでは、お言葉に甘えて、コーヒーを一杯淹れていただけます? よかったらあなたも召し上がっていってください」
仕事があるからと固辞すればよかったのかもしれないが、そのときなぜか私はお茶を飲みながら彼女と話をしたい、という気持になっていた。

とにかく、その日のことがきっかけで私は忍さんと時折、話をするようになったのである。庭でブランコに乗っていたり野菜の手入れをしているときはもちろん声をかけるし、家の中にいてもときどきはノックして彼女の元気な顔を見るようになった。そして、雪が舞う日には温かい部屋の中で、灼けるように暑い日は涼しい部屋の中で、初めて話を交わした日のようにコーヒーを飲みながら短い時間を過ごすのだった。

母親ほど歳の離れた忍さんは、何度か話を交わすうちにうち解け、私のことを息子のように感じたのか、これまでの自分の人生についてもポツポツと話をしてくれるようになった。彼女が自分のことを語るとき、まるで海の彼方に思い出があるかのように、その顔はいつも窓の外の海に向けられていた。そして、窓の隙間から聞こえる潮騒にのせて、まるで独唱のように私に語りかけてくれるのだった。この岬に家を建てたわけを。そして、あのブランコに腰掛けて海を眺めているわけを。


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YOUR PICTURE IN THE PAPER③ [story]

年が明け、1月もあと数日で終わろうという月曜日、雄吉は例によって大阪へ出張した。
午後1時に始まった会議は予定より早く2時間足らずで終わった。誰もがまだ正月気分がぬけないのかもしれない。夜の懇親会までにはかなり時間がある。雄吉は本社の人間に近くの図書館を教えてもらい、時間をつぶすことにした。いや、もしかしたら今回の出張はこちらのほうが主目的だったのかもしれない。

梅田から地下鉄で次の駅・淀屋橋で降りると図書館はあった。
2階の新聞室でさっそく、昭和33年11月の読売新聞縮刷版をリクエストした。机の上に広げた縮刷版をめくりはじめて10分も経たないうちに目的の記事を発見した。雄吉は血の気が引いていくような気がした。
11月6日の朝刊の社会面にその記事は「さえこ」の顔写真とともに載っていた。

モデルの卵殺される
『5日午後4時半ごろ、大阪市港区湊屋町3丁目22番地の西澤孝さん宅で、長女の佐江子さん(22歳)が腹部から血を流して倒れているのを、勤めから帰宅した次女の早苗さん(19歳)が発見。佐江子さんはすぐに近くの港湾病院へ搬送されたが、出血多量のため午後6時過ぎに死亡。調べにあたった港署では台所で凶器と思われる包丁を発見、部屋には物色のあとがあることから、強盗殺人事件として捜査を開始した。佐江子さんは、市内のモデルスクールに通う学生で、この日は風邪をひいたとの理由で学校を欠席し、自宅で療養していた。……』

翌日の新聞には、盗難物が見あたらないため、警察では強盗と怨恨のふたつの線で捜査をすすめることに決め、交友関係をあらいはじめたことが短く報じられていた。
そして、10日あまりのちの17日付けの朝刊に
『すすまぬ捜査、謎のカメラマンを追え』
という見出しで、警察の捜査が壁にゆき当たっていることと、生前被害者が学友に「最近、あるカメラマンに写真を撮ってもらっている」と話していたが、それが誰なのか特定できていないことが、佐江子の写真入りで報道されていた。
それ以後、西澤佐江子殺しの記事を見つけることはできなかった。

翌朝の上りの新幹線の中で、雄吉は背もたれにからだをあずけて目を閉じていた。しかし頭の中は冴えていた。きのうの夜の懇親会からホテルへ帰り、午前0時にはベッドの中へ入ったのだが、3時近くまで眠れなかった。昭和33年の新聞記事とこれからどうしたらいいのかという考えが頭の中で堂々めぐりしていたのだ。そして、あの写真の「さえこ」が、50年も以前からすでにこの世にいなかったという事実が何よりもショックだった。

楠本氏が“さえこ殺し”の犯人である可能性はかなり高い。かれは刑事だったのに。いや当時は警察官だったのかもしれない。捜査の盲点。
もしかしたら、姪の溝口しげ代はその事実を知っていたのかもしれない。だからこそ、逢うことを拒んだのではないだろうか。ふつうだったら、まずその写真に興味をもつのでは。雄吉は姪宛の手紙の中で「さえこ」という名前も明記した。だからこそ、写真をみなくても、それが誰の写真だか分かったのだろう。もちろんこれらは雄吉の想像でしかないのだが。
しかし、事件からすでに50年近くが過ぎた。何を言っても時効である。それに犯人かもしれない楠本為二もすでに死んでいる。
西澤佐江子の血縁者を探すことはできるかもしれない。しかし、たとえ探せたとしてどう言えばいいのか。〈佐江子さんを殺害したと思われる男がわかりました。しかし、その男はすでに昨年亡くなりました〉。そんなことを聞いて血縁者は喜ぶだろうか。他人の平穏な生活に波風を立てるだけではないだろうか。優衣の言うとおりなのかもしれない。雄吉はそう思った。

「ねえ、どうしたらいいんだろう?」
炬燵の中に足を入れて寝そべっている雄吉が台所の優衣に言った。
「何も言わないこと。50年も昔の話よ。それに誰かが幸せになれるって話じゃないし……」
背中を向けた優衣が玉葱を刻みながら応えた。
「それで、さえこさん納得してくれるかな?」
「さあ、どうでしょ。それに雄ちゃん、その元刑事さんが真犯人だって証拠ないんでしょ?それで、そんなこと言ったら逆に訴えられちゃうわよ」
「……でもなあ、なにもかも偶然だとは思えないんだけど……」
「もうやめたら、探偵ごっこなんか」
包丁の手を止め、ふり返って優衣が言った。

2月に入ってはじめの日曜日。今日、雄吉は午後から優衣の両親の家へ挨拶にいくことになっていた。とうとう独身と別れを告げる決心がついたのだ。
早く目が覚め、いつもの習慣でパソコンの電源を入れた。メールのチェックだ。数通のメールが来ていた。その中に優衣からのもあった。
[服装はめいっぱいキメテネ。ココロは平常心でね]
最後の一通は「saeko」という送信者名で、
[ありがとう]
と、たったそれだけ書かれていた。
[あなたは誰ですか? どこでお会いしましたか? “ありがとう”の理由は何ですか? いまどこにいるのですか?]
雄吉はそう返信してみた。しかし、何度送信してもメールは撥ねかえされてしまうのだった。途方に暮れた雄吉は、「さえこ」の画像を呼び出そうとした。しかし驚くことに「さえこ」の写真は消えていた。ファイルがどこを探してもみつからない。“ごみ箱”の中にもなかった。完全に消去されていたのだ。

北風をまともに受けながら雄吉と優衣は肩を並べて坂を上っていた。この坂を上りきったところに優衣の家があるのだ。
「マジ? ワタシのイタズラだと思ったわけ? やだわ……」
そう言って優衣が笑った。
「ああ……」
「実をいうとそうなの。念力でやったの。……なんてね。なことできるわけないし。そりゃ、あの写真消してもらいたいって思ってたけど。チャンスがあったってワタシできない、コワイもの……」
「とにかく、これで終わりってことだな……。どうもスッキリ感がないんだけど」
「ねえ、ワタシこう思うの。さえこさん、きっと誰かに話したかったのよ。本当のことを知ってもらいたかったのよ」
「……それがたまたま僕だったってことか……」
「たまたまっていうか、やっぱり雄ちゃんじゃなきゃダメだったのよ。だって、もしかしたら、古本買って本の間に写真が入っていたからって、人によっては捨てちゃうかもしれないでしょ。捨てなくたって、わざわざ買ったお店まで行って前の所有者を突き止めるなんて面倒くさいことやらないもの、ふつう。でも、雄ちゃんはやった。そして、真実らしいことまで突き止めた。さえこさんは、雄ちゃんがきっとそうしてくれるって分かってたのよ。だから雄ちゃんを選んだのよ」
「事実が公にならなくても、ただ一人に、それも俺みたいな平凡な人間に教えてそれで満足できるのかなあ」
「もしかしたら、さえこさん、新幹線の中で初めて雄ちゃんに逢ったとき、雄ちゃんに恋したのかも知れない。みんなに知ってもらわなくてもいい。だけど愛する人だけには知っておいて欲しい。はじめて写真見たときなんだかそんな感じがしたの。だからチョット妬けるんだなぁ……」
そう言って優衣は笑った。口から白い息が流れ出た。雄吉にはその白い靄が彼女の真実の魂のように見え、とてもキレイだと思った。
〈へいじょうしん、へいじょうしん……〉
心の中でそうつぶやきながら、雄吉は優衣の肩に手をまわした。

〈終わり)


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YOUR PICTURE IN THE PAPER② [story]

 

「春木書店」はすぐに判った。阪急電車の高架沿いにアーケードの商店街が続いている。そのアーケードがきれるあたりに春木書店はあった。
雄吉は白髪の店主に名刺を差し出し、あやしい人間ではないことを告げると、古書と写真のいきさつを話した。その話を聞くと店主は、その本はたしかに自分のところから卸したものだと言った。しかし、入手先についてはプライバシーに係わることだからと言い渋った。それでも雄吉が差し出した「さえこ」の写真には興味があるようで、手にしてじっと見つめていた。
「さあ、見覚えおまへんなあ。今生きてはったら70過ぎやさかいなあ……」
「それで本の持ち主はごぞんじの方なんですか?」
「ええ……実は、古いお客さんでっさかい、よう知ってます」
「そうですか。で、どんな方なんですか?」
「どんな方ゆうてもなあ……、実はな、もう亡くなられはったんです。そやさかい、親類の方が蔵書をすべて処分されはったんでしょうなあ」
「親類の方ですが、するとご家族は?」
「それが、いてはらしまへんのです。ずっと独身やったゆう話で……」

雄吉の熱意が通じたのか、店主は『実録・青少年犯罪白書』の元の持ち主について話してくれた。元来人の良い性格のようで、話しはじめると店主は饒舌になった。
話によると、その、元持ち主は楠本為二という元刑事で、定年退職後はボランティアとして市の防犯委員をしていたとか。年齢は76歳で、今年の2月に病気で亡くなったそうだ。生前から頼んであったようで、葬式や亡くなった後の手続きはすべて、近所に住む姪夫婦がとりしきった。蔵書の売却もその姪の夫から依頼されたものだそうだ。
これだけでは、楠本氏と「さえこ」の関係はわからない。雄吉はぜひその姪に会ってみたいと思った。それで、店主に執こく頼んでみたところ、直接訪問せずにまず手紙で打診してからという条件で、なんとか住所と名前を教えてくれた。

東京へ戻ってから雄吉は、すぐにでも春木書店店主から教えてもらった故人の姪あてに手紙を書こうと思ったが、なんだか子供じみてるという思いがしてきて躊躇われた。島崎優衣と行ったレストランで、その話しをすると、彼女は〈またその話?〉という顔で、
「マジ? やめなさいよ。向こうだって困っちゃうかもよ、いきなり古い話したって……」
と、冷淡な反応だった。

それでも彼が手紙を書いたのは、悲しげな表情の「さえこ」が、そうしてほしいと訴えているような気がしたからである。雄吉は高槻市に住む、元刑事の姪である溝口しげ代に手紙を書いた。内容は、古本を入手したいきさつと写真の件、さらには春木書店店主に会ったこと、そしてその写真を返却したいことと、個人的な興味で恐縮だが、もし時間があれば会ってもらえないかという依頼を書き添えた。

返事は一週間あまりで来た。
『……せっかくのご依頼ですが、当方多忙にてお会いする時間をつくることができかねます。誠に相済みませんが、たとえ時間をもてたとしても、故人とは疎遠だったためお話しできることはないのではと考えています。……』
と丁寧な断りの内容だった。そして、「さえこ」の写真については、返送してくれてもいいし、面倒ならばそちらで処分してもらってもかまわないということだった。
「そら、みなさい」
という優衣の言葉を背に、雄吉は返却する写真に添える礼状をしたためた。
もちろん写真の複製はパソコンに取り込んであった。封筒に写真を入れる前に、もう一度「さえこ」を見た。その微笑は〈ごくろうさま〉と言っているようでもあり、また〈なんだ、もうあきらめちゃうの? わたしに逢いたくないの?〉と言っているようでもあった。

雄吉の中で、古本に挿まれていた古い写真の話はこれで落着するはずだった。ところがそうならなかったのは、彼の会社にかかってきた例の春木書店店主からの電話によってだった。

ありきたりの挨拶の後、店主は興味があったのか、姪とのやりとりの経緯を聞いてきた。雄吉が手紙に書かれていたとおりに話すと電話の向こうから、
「それは、おかしおまんなあ。楠本さんと姪御さんところは近所やし、なんでも子供がないよって楠本さん、娘代わりに可愛がってたそうでっせ、姪御さんのこと……」
と、不信げな口調が聞こえてきた。
〈そういわれてみればそうだ。よほど自分と会うのが面倒くさかったのかも……。それにしても慇懃無礼とはこのことだ……〉
雄吉は少しいやな気がした。
店主は、姪とのやりとりを聞くために電話してきたのではなかった。
「……実は、思い出したことがありましてな。ホラ、あなたさんが楠本さんのこと、写真やらはってたことがないかぁ聞かはったでしょ。あん時、さあ?って答えましたんやけど、思い出しましてな。一度、楠本さん、ウチの店で写真集見てはりましてな。『上手やなあ』言われるもんで、『えろうお詳しそうですね』って私が言いますと、『若い頃、自分で現像するほどカメラに夢中になったことがある』言わはったんです。『雑誌のコンクールで入選したこともあるんやで』って。なにせ、写真の話はそのとき一回だけやったもんで、すっかり忘れとりまして、えらいすんませんでした。そのことがどうにも気になりましてな、こうして電話させてもろたわけでして……」
やはり人の良い店主だった。

多分、想像どおり「さえこ」は楠本氏が撮ったものだろう。でもふたりは一緒にならなかった。楠本氏の片想いだったのか。それともつき合っていて別れたのか。もし別れたとすると、それは多分「さえこ」が心変わりをしたのだろう。でなければ、楠本氏が50年間もかつての“恋人”の写真を持っているはずがない。もしかしたら死に別れってことだってある。病気とか事故とか……。だから楠本氏はいつまでも未練が断ち切れなかったのかも知れない。……この人ももう亡くなっているのかも知れない。パソコンの画面に映る「さえこ」と目を合わせながら、雄吉はそう思った。

12月に入ってはじめの金曜日、雄吉は有給をとって会社を欠勤した。
国会図書館へ行って古い写真雑誌を調べるつもりだった。「楠本氏が雑誌のコンクールで入選した」という春木書店店主の話が気になり、もしかしたら楠本氏が撮った「さえこ」の写真がカメラ雑誌に掲載されているのではないかと考えたのだ。昭和30年代もっとも発行部数の多かったのは『月刊カメラ倶楽部』という雑誌であることは調べてある。そのバックナンバーを見るつもりだった。
雄吉にとって国会図書館は初めてで、本や雑誌見る手続きが煩雑なのに辟易した。数十分待たされてようやく出てきたのはマイクロフィルムだった。コンクールの発表は昭和34年の3月号に載っていた。自然、動物、人物の3部門があったが、どれにも楠本氏の作品は載っていなかった。もしかと思い、35年の3月号も借り出してみた。
あった。人物部門で佳作に「楠本為二」の名があった。被写体は若い女性だが、「さえこ」ではなかった。36年分も見てみると、やはり楠本氏は人物部門で佳作に入選していた。ただ、映っていたのはやはり見知らぬ若い女性だった。今度は33年の3月号をリクエストした。そこには人物部門の優秀賞に楠本氏の作品が選ばれていた。残念ながらその女性も「さえこ」ではなかった。

結局楠本氏は、昭和34年をのぞいて、30年から38年まで『月刊カメラファン』の写真コンクールで入選を果たしていることが分かった。コンペの常連だったのだ。アマチュアカメラマンとしては、かなりの技術とセンスを持っていたことがわかる。
それにしても、なぜ34年のコンクールには出品しなかったのか。出品したが選に漏れたというわけではない。なぜなら35年の選評に「昨年は出品がなかったが、一昨年の優秀賞に比べると、陰影のつけかたがややくどい……」という記述があったからだ。34年はなぜか出品を見合わせたのだ。コンクールの締め切りは12月1日。そして翌年の3月号で発表される。楠本氏は33年度も出品するつもりだったのではないだろうか。それがあの「さえこ」の写真だったのではないか。しかし、なんらかの理由でそれができなくなってやむを得ず出品を見送ったのではないのか。雄吉はそう考えた。
多分、「さえこ」を撮影したのが昭和33年の10月28日。その時点ではコンクール出品を予定していた。それが、12月1日の締め切り日には送られなかった。11月の1カ月の間になんらかの不測の事態が起こったのだろう。何が……。


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YOUR PICTURE IN THE PAPER① [story]

 

『……敗戦によって様々な欺瞞が一瞬のうちに白日の下にさらされた。それまでの権威や伝統というものがもののみごとに地に墜ちた。そのことが純真な青少年の心理にどれほどの影響を与えたことか。自分の進む道を見失ったり、自己を破滅においやったりする若者がいかに多かったか。そう考えると、こうしたアプレゲールたちをすべて断罪することはためらわれるのである。……』

そこまで読んでページをめくると、本の間に挟んであったものがスルッと列車の床に落ちた。それはハガキ大のモノクロ写真だった。まるでブロマイドのような若い女性のバストショットだった。相当古い写真のようで、周囲が黄ばみシミが浮きでている。20歳前半と思われる写真の女性は口元が微かに笑っている。美人というよりは、清楚な印象だった。当時の流行らしい軽くウエーブした前髪と、高級そうなツイードのジャケットが女性の生活レベルの高さを示している。しかし、その切れ長の瞳にはどこか翳りがあり寂しそうだった。とにかくライティングといい構図といい、プロのカメラマンが撮った、そんな感じの写真だった。
読んでいた『実録・青少年犯罪白書』という本と清楚な若い女性の写真、その取り合わせが不釣り合いだった。

食品メーカーの東京支社に勤める中島雄吉は、入社5年目の今年から課長代理として月に一度、大阪本社の企画会議に出席するようになった。異例の抜擢だが、これは雄吉が優秀というよりも、本来会議に出席すべき、彼の直属の課長が喉頭癌で長期療養を余儀なくされ、“戦線離脱”したからにほかならない。課長の秘書的な存在で仕事の全体像を把握していた中島が代役としてもっとも適任だっただけの話だ。
そんなわけで中島にとって、会議出席は荷の重い仕事だった。しかし、何度か会議に臨んでいるうちに、要領も把握でき、また若輩の自分がさほど期待されておらず、ある意味員数合わせの“出席”だとわかってくると、さほど負担に感じなくなった。

何度目かの出張のときのことだった。
午後からの会議を終え、夕方からは料亭での慰労会。そして夜中にホテルへ戻り、朝8時前には起床。午前9時過ぎの新幹線に飛び乗って東京へ戻り、午後1時から出社する。それがいつものスケジュールだった。
ところが、その日は慰労会での深酒がたたったのか、目を覚ますと午前9時を過ぎていた。
雄吉は腹をくくった。東京の会社へ電話を入れ、体調がおもわしくないので欠勤することを伝えた。気が楽になった。ゆっくりと朝食をとり、10時過ぎにホテルをチェックアウトした。いつもならば、新大阪までタクシーを飛ばすところだが、慌てる必要はない。歩いても20分あまりの駅までをゆっくり散歩してみよう、という気になった。

街路樹のプラタナスが変色しはじめている。秋はすでに西からはじまっているのだ。駅前の商店街を歩いていく。昼前の商店街は、開店間のない店と、いまだシャッターの降りている店が半々だった。シャッターを開けたばかりの店の中に小さな古本屋があった。ガラス戸越しに本が詰め込まれた書架が見えている。
新幹線の中でいつものように雑誌や新聞を読むのもいいが、たまには本でも読んでみようかと思いついた。今日は“休職”という開放感がそんな気持にさせたのかも知れない。
店内の本は8割方成人向け図書と文庫本で占められていた。いざ本を選ぼうとすると迷った。いまさら小説を読む気にもならないし、かといってビジネス書はごめんだ。雄吉はあらためて、自分が雑学への興味を失っていることに気づかされた。そのとき、一冊の背表紙が雄吉の目をひいた。いかにも古そうに黄ばんだ『実録・青少年犯罪白書』という新書本だった。C大学の法科を出ている雄吉だったが、一時は法律家への進路を考えていた時期もあった。その夢が潰えて間のない彼の、心の裡にそうした興味がわずかに残っていたのかも知れない。
奥付をみると『昭和33年12月1日 初版発行』と書かれていた。ほぼ半世紀前の本だ。50年前の青少年たちの犯罪とは。現代の若者とどう違うのだろう。そんなことにも興味がそそられた。

車内アナウンスがもうじき京都に到着することを告げている。
雄吉は手にした写真を眺めていた。いつまで見ていても飽きない顔だった。無意識に写真をひっくり返してみた。裏はさらにシミだらけだった。そして右下に青黒く変色したインクで「33.10.28 さえこ」と書かれていた。
多分、数字は昭和33年10月28日ということだろう。「さえこ」は名前で、この写真の女性の可能性が高い。そして、おそらくこういう類の本を若い女性が読むことは稀で、この写真をページの間に挟んだ読者は、「さえこ」ではないだろう。
この本を読んでいた人間は、もしかしたら「さえこ」を撮ったカメラマンと同一人物かも知れない。「さえこ」を撮影して、ほぼひと月後にこの本を買ったのだ。そして、その写真を栞代わりにしたのか、一時の保管場所にしたのか、とにかくこの本の間に挟んだ。また、その人物は「さえこ」とかなり親しい間柄だったとのではないか。そうでなければ、「さえこ」とは書かないだろう。苗字あるいは「さえこさん」と書くのではないだろうか。
“外出不能”の新幹線の中で、雄吉の想像力はとめどなく膨らんでいった。「さえこ」の写真は、彼にそうさせるだけの何かがあった。

列車は京都に到着した。あっという間に乗客の数が増えた。雄吉の隣の席にも自分と同じ“出張族”らしき30代の男が腰を下ろした。それを汐に雄吉は写真を本の間に戻し、ふたたび本の活字を目で追った。しかし、「さえこ」のことが気になって、活字は頭の中へ入ってこなかった。しかたなく、ページを閉じた。そして背もたれに体をあずけ、目をつぶった。

それからひと月が経った。雄吉はふたたび出張で大阪へやって来た。
午後、会議が終わると、彼は用事があるからと慰労会を断り、タクシーで新大阪駅へ向かった。そして駅前の古本屋へ足を向けた。先月彼が『実録・青少年犯罪白書』を買った店だ。
あのあと、東京へ帰ってからも雄吉には「さえこ」の写真のことが頭から離れなかった。恋人であり、会社の3年後輩の島崎優衣にいきさつを話し、「さえこ」の写真を見せた。
「なんだか、不幸せそうな顔立ちね」
そうい言って優衣は少し口角を上げた。それが優衣の嫉妬したときのクセであることを雄吉は知っていた。50年前の女性に嫉妬するなんて……。
「さえこ」の写真を持ち主に返したい。その気持ちは日増しに強くなっていった。理屈を言えば、本の持ち主は写真まで売り払うつもりはなかったのだろう。だから、写真は所有者に返却すべきだ。ということになる。しかし、雄吉の本心は、「さえこ」とその写真の所有者に強い興味をもったのである。
彼には気になることがあったのだ。半世紀あまりまえの本に挟んであった写真。そして「さえこ」とその写真の持ち主のことだ。もし、判ったならその写真を返却したい。それほど持ち主には大切な写真のように思われたのだ。とりわけ「さえこ」には不思議と魅きつける何かがある。もしかすると、「彼女」は50年間恐ろしい事件が綴られた本の間に幽閉されていたのではないだろうか。それを自分が解き放ったのではないのか。そんな妄想さえ抱くほどだった。島崎優衣に言わせると、雄吉は「さえこ」に囚われてしまったのだそうだ。

「実はひと月前に買ったこの本のことでおうかがいしたいことがあるのですが」
雄吉は店の奥に座っていた30代の店主に本を差し出しながら言った。返本の談判に来たとでも思ったのか、その店主は不機嫌そうな顔で返事をした。
雄吉は写真の件を話し、ぜひこの古本の売り主に返却したいことを説明した。
店主は返本でなかったことに安心したのか、物好きな男を見るような薄笑いを浮かべて話を聞いていた。そして意外にも丁寧に応対してくれた。
店主の話によると、『実録・青少年犯罪白書』は業者の古本市で購入した物だという。そして梅田にある「春木書店」というその店の所在地を、わざわざ地図まで書いて教えてくれたのだった。


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SMALL TOWN SATURDAY NIGHT [story]


♪ この世はもうすぐお終いだ 歩き疲れて西の果て
  真っ赤な真っ赤な陽が沈む さよならさよならコカ・コーラ
  マリリン・モンロー ノーリターン

  この世はもうすぐお終いだ 霞たなびく隅田川
  阿呆阿呆と鳥は啼き 浮かぶ魚の目に涙
  マリリン・モンロー ノーリターン
   …………
(「マリリン・モンロー・ノーリターン」詞・能吉利人、曲・桜井順、歌・野坂昭如、昭和46年)

「マキちゃん、ごちそうさま。たまにはウチにも寄ってよ。ケン坊なんか〈マキちゃん来ないかな〉って焦り焦りしてる」
「すいません。でも、コワイな」
「大丈夫よ。あの子ああみえても、結構純情なんだから。アタシと違って」
「いやあ、ママほど純情なヒトはいませんよ。少なくともわたしは知らないなぁ」
「上手いのね。そうやっちゃあオンナゴコロ擽るんだから、フフフフ……。じゃあ、ホントに来てね。ケン坊にカビが生えないうちにね。んじゃね。そうそう、若旦那もご機嫌よう」
ってモンローウォークで出て行ったのが、この小路のいちばん奥で「13(サーティ)」っていうゲー・バーを営っている“お嬢”こと奈々さん。若い彼氏とうまくいってるみたいで、ここのところご機嫌よろしい。
その“お嬢”が最後に声をかけていったのが、カウンターの真ん中に陣取った“若旦那”こと野中熊雄さん。表通りの「稲村」って扇子問屋の3代目。年齢不詳って自分で言ってるけど、40はとおの川越ってやつ。若い頃所帯を持って、すぐに別れの磯千鳥。子供のないまま再婚のしそびれで、元気な両親をやきもきさせてる親不孝者。2日とあけずにこの小路に迷い込み、あっちふらふら、こっちふらふらの迷い酒。人間わるくはないんだけど、その分口がわるい。それに、なにかにつけて江戸っ子をひけらかして粋がるのもいけません。まあ、あまりお友達にはなりたくない御仁で。

『マキちゃん、ここだけの話だけどさ。歳とったね、“お嬢”。あたしゃハナからオカマにゃ興味ないけど、この町に来た頃は、そりゃもの凄い女っぷりっていうのか、フェロモンまき散らしだったけどね。それが……、7年か、そんだけ経ちゃ、変わるわなあ。オカマも歳とると、どんなに磨きかけても地金が出らあってねえ……』
あゝあ、人がいなくなると必ずこれだ。人の悪口を肴にするのはどうなんでしょう……。ええっ? けっこうイケるって? そうかぁ……。

『でも、10年しと昔ってえけど、この界隈も変わったよね。ホラ、あたしん店(とこ)の2軒隣りの床屋さんが廃めたでしょ。あそこへ何ができたと思う?』
「さあ、最近流行りのケータイ屋か、でなけりゃ古着屋かなんかですか?」
『馬鹿言っちゃいけないよ。野良猫だって若いのが少なくなってるこの町内だよ、若者相手の店なんかできるわきゃない。……それがさ、なんと中華レストランだって』
「へえ、洒落てるじゃないですか」
『冗談じゃないっての。考えてもみてよ、5軒も離れてない所に“蓬莱軒”があんだよ。オヤっさん泣き入れてたもの。暇(しま)んとこへ持ってきてしでえことになったって。年内で締めるようかなって』
「他人事じゃないですよね、ホントに」
『何が中華レストランだか』
「行ってみたんですか? その店へ」
『それがね、こないだ開店パーテエがあってさ、まあ近所のよしみってことで招待されたわけよ。驚いたね。まるでパブかバーって感じ。中華料理屋が店内薄暗くして何しようってえの?。テーブルや椅子だってまるで西洋料理店。出てくる器がまた、素焼きで愛想なし。やっぱし、中華のドンブリはあのナルトみてえな模様って、相場が決まってるよね』
「で、お味の方は?」
『まあ、なんてんかな。よく言やあ上品(じょうしん)な味ってヤツ。だからあたしの口には合うんだけどさ。ああいう味の分かる人間なんてな、この近所にゃ、そうはいないわなあ。どこまで続けられるやら。……あ、お代わりくれる?』
「はい、ただ今」
『でさあ、そこのオーナーシェフってのが、また、メキシコの不動産屋みたいな顔してさ』

「……?」
『挨拶たれるんだけど、訛りがしどいのしどくないのって。ありゃ、かなり北方とみたね。……ここ何年でこの辺りも東京だかどこだか分かんなくなっちゃってるよね。「すっきゃねん」だの「そんなこつ」だの「いがったいがった」だのって、ここは何処? アタシは誰? って感じだもの。まあ、それでもまだ言葉が通じるだけまし。最近じゃ韓国だの台湾だのアラブだの中南米だのって、オリンピックじゃないっつうの』
「はい、おまちどおさま」
『おお、サンキュー。……ひと昔、いやふた昔前まではこの界隈もまだ風情があったよね。人情もあったしさ。男も女も粋な連中が多かった。東京は田舎もんの坩堝ってえけど、この辺りはちがったもの。江戸っ子が肩で風切って歩いてた。それが、この有様……。みんな、住みにくくなってどっか行っちゃうんだよね。いま、あの通りで三代続いてる店なんて、ウチとハス向かいの“長寿庵”と、団子屋の“宇賀神”とあと数軒だけだもの。あーあ、やだやだ、田舎もんばっかで……って、アレ、マキちゃんもしかして……、いやあ、そういう意味じゃなく……、田舎もんでも、その、なんてのか、粋な人間も、なかにはねえ……』
「はあ、わたしいちおう東京生まれなんです」
『そうでしょ。そういう顔立ちしてるもの。その頬から顎にかかるあたりが長年東京の風にさらされた感じで、どこか垢抜けてるもの。そうじゃないかと思ってたのよ。で、東京はどこなの? 本郷とか駒込とかあっち?』
「いやあ、生まれは小岩なんです」
『ああ……、なるほどねえ……いわゆる川向うってヤツね。惜しいなあ……』
「はあ……」
『いやね、マキちゃんにはわるいけどさ、大川つまり、隅田川から東(しがし)は“川向う”って言ってね、江戸ん中にゃ入んないのよ。で、親父さんも小岩?』
「いえ、親父は新潟の生まれで、お袋は静岡なんですけど」
『あらあらあら……。もう血統書付きの田舎もんだなぁ、そりゃ。いや失礼。でもさ、マキちゃん結婚して子供作って、その子の子つまりマキちゃんの孫からはれっきとした江戸っ子だからね。あとは、くれぐれも川向こうに住まないこと。……ブフブフフッ……、これちょっとキツくない? ジン入れすぎじゃない?』
「えっ? そうですか、いつもと同じつもりだったんだけどなあ……。なんなら取り替えましょうか?」
『いやいや、だじょうぶだいじょうぶ。こちとら何もなけりゃアルコール消毒液だって呑んじゃおうっておあ兄さんだもの。それに酒ってヤツは、こう喉ごしがカーッとするぐらいじゃなきゃいけません。いったん出されたもの取り替えてくれなんて、江戸っ子の沽券にかかわるってえぐらいなもんで、いただきますよ、グーッとね』
「いよっ、若旦那! 粋だねえ」
『ブホホホッ、ゴホゴホン……、水……』


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UNFORGETTABLE③ [story]

♪ 星は何でも知っている 夕べあの娘が泣いたのも
  可愛いあの娘のつぶらな その目に光るつゆのあと
  生まれて初めての 甘いキッスに
  胸が ふるえて 泣いたのを
(「星は何でも知っている」詞:水島哲、曲:津々美洋、歌:平尾昌晃、昭和33年)

どういうわけか、サッちんは結婚して専業主婦になってから、たびたび僕に連絡してくるようになった。会社を辞めて時間の余裕ができ、幼馴染みで気心の知れた僕を相手に無聊をなぐさめていたのだと思っていた。そのときチラチラ聞こえてきた旦那さんへの不満を、そのとき鈍感な僕は惚気(のろけ)の裏返しだと思っていたのだ。それがそうではないと気づいたのは、後のことなのだが。
そしてその結婚から2年が過ぎ、最近あまり連絡がないなと思っていたところに、彼女が流産したという噂を聞いた。それが彼女の不幸の連鎖の始まりだった。

それから半年後、サッちんは離婚した。その前にも後にも僕には連絡はなく、彼女はさっさと千葉の実家へ戻ってしまった。あれほど連絡をくれた彼女が、流産、離婚で傷ついたとたんに僕を無視するように去っていったことが恨めしかった。さっちんが自分の傷を僕だけには見せたくなかったのだと思い至るのはずっとあとのことで、そのときは、失恋にも似たような気持ちになったものだった。

それは、僕が2年余りつき合っていた会社の後輩と、そろそろ身を固めようかなどと考えていた頃だった。ある日の午後、会社にサッちんのお姉さんから電話があった。それで、僕らは会社がひけたあと、会うことにした。
喫茶店でお姉さんはいきなり、半月ほど前からサッちんが病気で入院していることを話しはじめた。さらに、病気は肺癌で、脳の一部にまで転移していると。彼女の入院は意外だったが、自分の周囲に癌患者がいなかったこともあって、はじめ僕にはお姉さんの話の重大性が理解できないでいた。しかし、余命がもってあと1年と聞かされ、暗闇で殴られたように言葉を失ってしまった。

僕は千葉から東京の病院へ転院してきたサッちんをさっそく見舞いに行った。
「アネキが喋ったのね。大袈裟なんだから。雄くんがお見舞い来るなんて、よっぽど重い病気みたいじゃないの」
そういって笑った彼女は元気そうで、とても余命少ない患者には見えなかった。

それから、僕は週に1度はサッちんの入院している病室へ足を運んだ。訪れるたびに面変わりしていく彼女を見るのが辛かった。それとともに、あんなにお喋りだったサッちんが口を開くことが少なくなっていったのも悲しかった。

あるとき、僕は病室でサッちんにどうしても言っておかなければならないことを、言おうかどうか躊躇っていた。ふたりの間の沈黙に彼女が察したのか、「どうしたの?」と少し掠れた声で、めずらしく質問してきた。
「ほら、覚えてるかなあ。大学2年の時のサッちんの誕生日」
そこまで言うと、サッちんは天井に目を向けたまま微笑んだ。
「あん時は驚いたよ。サッちん怒ったよな、男らしくないって。小学4年のとき、オネショして怒られて以来2度目だよ。参ったよ、ホントに……」
サッちんの掛け布団のお腹のあたりが震えている。思い出し笑いしているのだ。
「……正直に言おうか。実はあの時までサッちんのこと単なる幼馴染みだとしか見ていなかったんだ。けど、あの夜を境に変わっちゃったんだよな、悔しいけど。……そうじゃないな。変わったんじゃなくて、それまで勘違いしていた本当のことに気づいたんだな。でも、キミにはボーイフレンドがいたし、僕はそいつに勝てる自信はなかったし……」
「遅いんだよ、雄くん。いまさら言ってもアトノマツリ。いつもそうだね、雄くんは。だからダメなの……。……なんてウソ。あれはあれで良かったの。そんな雄くんだから20年以上もつき合って来られたんじゃない。雄くんって、私にとって異性はイセイでも異なる星の方、つまり異星人なのよね」
「なんだよ、僕は男じゃないのかよ」
サッちんは返事の変わりに小声で笑った。僕はもっとふたりの間を賑やかにしたくて少し声をあげて笑った。

それから3日後、お姉さんから電話があり、サッちんの伝言として「もう見舞いは無用」と言われた。その一言で僕には彼女の気持ちがよく分かった。面変わりがひどくなって、これ以上変わっていく自分を僕に見せたくないのだと。


タクシーから転げるように降りて、僕はサッちんのいる病室へ急いだ。
病室のドアを開けると、お姉さんが顔をあげた。そして僕を認めると顔をくずし嗚咽しはじめた。ベッドの片側でご両親が跪いてサッちんの手を握り、声を洩らして泣いていた。
「よくいらっしてくれたわね。ありがとうございます。20分ほど前だったの……」
お姉さんが気を取り直した声で僕に言った。そのあとお姉さんはご両親に耳元で何事か告げた。ご両親は立ち上がり、僕に「ありがとうございます」と深々と頭を下げ、ゆっくりと病室を出て行った。ドアが閉まると、お姉さんは黙って僕にノートの切れ端を手渡した。

『雄くん、ありがとう。うれしかった。安心しました。あなたの気持がわかって。雄くんが今日、本当のこと言ってくれたから私も言うわ。あの日、歩道橋で言ったことは、私のあのときの本当の気持ちです。でも、本当に自信がないのはあなたではなく私だったのね。ゴメンネ。最後にもう一度、今度こそ自信をもって言わせてね。雄くん、私にキスして』

それは5日前、最後の面会となったあの日、僕が帰った後サッちんが書いたメモだった。僕は涙があふれるままお姉さんを見た。お姉さんが〈お願いします〉というように頷いた。僕も頷き返した。お姉さんは顔に手をあてて病室から出て行った。
僕は涙を拭い、サッちんのベッドに腰掛けた。そして上体を屈めて彼女に口づけた。そして一度顔を離してサッちんの眠る顔を凝視めた。すると彼女の頬にスッと紅が差した。僕はもう一度キスをした。
眼を閉じた瞼の裏に、闇に守られた歩道橋が浮かんでいた。その上で僕はサッちんと抱き合って唇を重ねている。下の道路を何台ものクルマが走っている。すべて無音の世界で、僕とサッちんの心臓の音だけが聞こえていた。

― おわり ―


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UNFORGETTABLE② [story]

 

♪ 星は何でも知っている 今夜あの娘の見る夢も
  やさしいナイトが現われて 二人で駈ける雲の上
  木ぼりの人形 握って眠る
  若い あの娘の 見る夢を
(「星は何でも知っている」詞:水島哲、曲:津々美洋、歌:平尾昌晃、昭和33年)

それからキャンパスで僕はサッちんと毎日のように顔を合わせた。もちろん二人だけではない、映研のメンバーと一緒にだ。秋になると彼女にボーイフレンドができた。どうやら同じ学部の2年生らしい。それにひきかえ僕には……。

2年になった6月、夏休みの映画制作に向けて頻繁に会議が行われた。秋の学園祭に上映するとともに、全国学生映画コンペティションに出品するのだ。しかし、会議といっても半分は飲み会。高邁な映画理論や斬新なアイデアはやがて馬鹿話、猥談へと変わっていくのだった。
その日、サッちんがめずらしく酔いつぶれた。いつも家が同方向の友達が欠席だったため、なぜか僕が彼女を千葉の家まで送っていくことになった。はじめはタクシーに放り込んでお役後免にさせてもらおうと思ったが、彼女がどうしても電車で帰るといってきかないので同道するはめとなった。
電車の中では僕の肩に凭れてずっと眠っていたサッちんだったが、駅について改札を出ると、幾分酔いも醒めたのか、足元も少ししっかりしてきた。僕と並んで歩きながらサッちんは、やや呂律のまわらない口ぶりで、しきりに彼氏のことを話し続けていた。彼女曰く、
「真剣さが足りないのよ、アイツ……」
なんだかどこかで聞いた覚えのある胸の痛くなるようなフレーズだった。
線路沿いを行くと国道に出た。彼女の家は歩道橋を渡ってすぐだった。僕らは何度か身体をぶつけ合いながら階段を昇っていった。そして歩道橋の真ん中に差しかかったとき、彼女が突然立ち止まった。
「ねえ、今日何の日だ?」
「ええ? いきなりなんだよ。……えっ、なんだっけ?」
「やっぱりね。幼馴染みの誕生日ぐらい覚えときなさいよ。小学校の時、何度か誕生会に招待してあげたじゃないの。雄くんはその他大勢だったけどさ……」
「ああ、そうだったっけ。すっかり忘れてたよ」
すると彼女はぱっと僕の前に右の掌を出して見せた。
「…………?」
「プレゼント。誕生日にはプレゼント。お決まりでしょ」
「おいおい、急に言われても……、そんなもの用意してねえよ」
「しょうがない人ね」
「しょうがないって言われてもなあ……」
「じゃあ、許したげる。その代わり今ここでキスして」
「ええ? な、なに言ってんのサッちん。の、飲み過ぎなんだよ。こっちこそしょうがねえって言いたいよ」
「ハハンだ。ウソよ。冗談よ。試したのよ。男としてどのくらい器量があるかって。情けないよねキスぐらいでビビっちゃって。もしかして雄くん、童貞? キスもしたことないんじゃない? ハハハハ……」
「せっかく、送ってきたっていうのに、とんだ酔っぱらい女だよ。明日になって反省してシュンとなんなよ」
僕は鼻で笑い続けている彼女の腕を掴んで、強引に歩き出した。歩道橋の下をライトを撒き散らかしながら何台もののクルマが通り抜けていった。

大学生活の4年間はあっという間に過ぎていった。
僕は中堅の出版社へ、サッちんは映画会社の宣伝部へ就職することになった。

社会人になった僕らが、完全に学生気分から抜け出すにはもう少し時間がかかった。映研の連中とはしばしば会った。学生時代と同じような場所で、同じように飲み食べ騒いだ。もちろんサッちんも、そして僕も。

3年前のあの歩道橋の上の小さな出来事。
正直僕は、彼女が酔って「キスして」と言ったあの瞬間まで、サッちんのことなどなんとも思っていなかった。やっぱりどこかに小学校、中学校時代の苦手意識が残っていたのかもしれない。それがあのあと、正確に言うと、あの日彼女を家まで送って帰った電車の中から変化は始まったのだった。
何か他のことを考えようとしても、サッちんの顔が浮かび上がってきてしょうがなかった。そうすると胸の中が、風船でも押し込まれたように苦しくなるのだった。そしてある日突然〈僕はもしかすると、昔からさっちんのことが好きだったんじゃないか……〉などというとんでもない考えが浮かんできた。

社会へ出て1年経つと、さすがに学生気分も抜けてくる。少なくとも月に1度はあった映研OBの飲み会も、二月に1度、三月に1度と減っていった。そして、卒業して3年も過ぎるとそうした“学生ごっこ”はほとんどなくなっていた。
サッちんから、結婚式の招待状をもらったのはそんな頃だった。相手は大学時代のボーイフレンドではなく、新進の映画評論家だった。もちろん喜んで出席したし、心から祝福した。あとで考えてみると、なんとなくサッちんが早く結婚するのを待っていたような気がする。これで僕もはっきりフンギリがついたように思ったものだ。ちょうど山口百恵が舞台にマイクを置くという印象的なパフォーマンスで芸能界を引退した年のことだった。


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UNFORGETTABLE① [story]

 

♪ 星は何でも知っている 夕べあの娘が泣いたのも
  可愛いあの娘のつぶらな その目に光るつゆのあと
  生まれて初めての 甘いキッスに
  胸が ふるえて 泣いたのを
(「星は何でも知っている」詞:水島哲、曲:津々美洋、歌:平尾昌晃、昭和33年)

体温が高くなぜか寝苦しい夜だった。
電話が鳴った。僕は反射的に上半身を起こした。そして「サッちんが死んだ」と直感した。
電話は彼女のお姉さんからで、努めて落ち着いた声で彼女が危篤に陥ったことを告げた。彼女から面会を断られてから5日目のことだった。僕は大急ぎで着替え、アパートを飛びだした。
外は雨だった。ようやくつかまえたタクシーに乗り込み、行き先を告げ、間に合うことを願った。窓を幾筋もの水滴が伝っていた。

僕とサッちんが初めて会ったのは……というとなんだか大袈裟だが、ものごころついたときにはすでに僕の前に彼女つまりサッちんはいた。早い話、僕たちふたりは隣同士で幼馴染みの同級生だったのだ。
サッちんの家も僕のところも4人家族。彼女が3つ上のお姉さんとの2人姉妹なら、僕は2つ下の弟との2人兄弟。つまり彼女は次女で僕は長男というわけだ。
恥ずかしい話だが、僕は小学校の4年生まで、ときどき寝小便をしていた。弟の方は小学校に上がる頃には、夜中ひとりで起きて用を足せるようになっていたのだから、なんとも情けない兄貴であった。
朝、粗相をしてしまい母親から叱られる。その声は隣のサッちんの家まで聞こえたようだ。

4年生の新学期、まだ寒さの残る朝だった。タイミングがよいというのかわるいというのか、家を出た僕と弟は、サッちんとはち合わせした。3人での登校だ。そのとき彼女は僕の顔をまじまじと眺めながら、
「雄くん(僕の名前は雄之介だ)、またオネショしたでしょ。真剣に直そうって気がないからだわ。いつもボケーってしてるからよ。そんなんだったら、5年生になっても6年生になっても直らないわ、きっと」
「…………」
一言もなかった。なにも弟のいる前で……。僕は完全に傷ついた。
以前からサッちんの男勝りの性格が苦手だったのだが、この小さな出来事でそれが決定的になった。次の日からは、朝、トイレの窓からサッちんの家を眺め、彼女が登校したのを確かめてから出かけるようにした。また、それ以来、街でサッちんの影をみつけると、必ず脇道へ避難するのが常だった。

もうひとつ彼女に対して気に入らないことがあった。それは彼女がいつまで経っても僕のことを「雄くん」と呼ぶことだ。中学に上がると、母親にだって「雄くん」とは呼ばせなかった僕なのだが……。
何事につけノロマな僕だったが、中学に入ると剣道部の都大会で3位になったり、少しは男らしさが備わってきたつもりだった。バスケ部のサッちんとはよく体育館で一緒になった。彼女は相変わらず、事あるごとに僕に話しかけてくる。それはそれで煩わしいことだったが、無視すればいい。かなわないのは、そのたびに「雄くん」と呼びかけることだ。そう呼ばれると、僕の中では寝小便を咎められた時の彼女の顔が浮かび上がってくるのだ。後輩の手前もあり、実に情けない気分になったものだ。
そんなわけで、中学2年の秋、彼女の家が千葉へ引っ越していったときは正直ホッとした。なんだか4年間、心の中に積もったチリが一掃されたようで、晴れ晴れした気分になったものだった。

高校の3年間はまさに快適な学園生活だった。剣道も目標の3段に昇段したし、勉強も努力のかいがあってそれなりの成績を収めることができた。しかし、なににも優る3年間の収穫は映画に出会ったことだった。観ることももちろんだが、創る面白さを知ったのだ。アルバイトで貯めたお金で8ミリ撮影機を買い、部活の様子から修学旅行、あるいは家族の食事風景から従姉の結婚式までことあるごとに撮りまくった。
もちろん、サッちんのことなどまるで忘れていた。それもまた快適ライフの原因のひとつだったかもしれない。
これ以上の上達が望めない剣道はこれで卒業。大学へ行ったら絶対に映画研究会に入るぞ。そう思っていた。

♪探しものは何ですか 見つけにくいものですか という井上陽水の「夢の中へ」が街に流れていた年、僕はなんとか志望の大学へ入ることができた。

そして計画どおり、映研へ入った。
それは新入生歓迎会が行われた飲み屋でのことだった。
「雄くん、久しぶり」
僕はびっくりして隣に座った女の子を見た。サッちんだった。まるで気づかなかった。なんとなくなれなれしい笑顔をこちらに向けている新入生がいるなとは思っていたが、まさかそれがサッちんだとは……。
まったくの偶然だった。学部は違ったが、彼女も第一志望でこの大学へ入ってきた。そして僕と同じように、高校時代バスケをやりながら映画に目覚めたのだとか。ふたりは別々の場所で似たような高校生活を送っていたわけだ。そう考えるとなんだか不思議だった。
僕の背がのびたこともあるが、彼女は中学時代に比べ、いくらか小柄になったような気がした。顔も手足も少しふっくらして、手足が細く精悍そのものだった中学時代とはだいぶ印象が違っていた。しかし、はっきりものを言う性格は変わっておらず、ときどき僕のハートにも鋭いトゲを打ち込むのだった。ただ、自分で言うのもなんだが、僕の精神はいささか成長していた。あれほど煙たがっていたサッちんだったのに、まるで煙が晴れたように自然に接することができたのだ。刺されたトゲはひょいと抜いて、ときには逆に投げ返してやった。おそらく彼女と離れていた4年間で、免疫がつくられたのだろう。ただ相変わらずの「雄くん」という呼びかけには辟易していたのだが。


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RETURN TO SENDER [story]


♪ あの娘がこんなになったのは
  あの娘ばかりの罪じゃない
  どうぞ あの娘を 叱らないで
  おんな ひとりで 生きてきた
  人に話せぬ傷もある
  叱らないで 叱らないで
  マリア様
(「叱らないで」詞・星野哲郎、曲・小杉仁三、歌・青山ミチ、昭和43年)

『まえからずっと君のことが好きでした。教室で先生の話を聞いている君のかおを、グラウンドで走っている君のすがたをずっと見ていました。君のことを考えると、うれしい気持と苦しい気持で胸がいっぱいになります。実はわたし……』

なんでだろう。なんでボクなんだろう。理由がわからない。
部活を終えて家へ帰り、郵便受けをあけると白い封筒がひとつ入っていた。宛名はボクで差出人の名前はなかった。部屋へ戻って封をあけると、いい匂いが飛びだしてきた。そして2枚の便せんにつづられた手紙。これはラブレターだ。
好きだという告白のあとには、自分の父親はほんとうの父親ではなく、自分がどんなに不幸せな星の下に生まれてきたかということが、右上がりの小さな文字で綿々と書かれていた。そして、最後に
『お返事おまちしています。  長谷川淑英』
と名前が書かれていた。
もちろん名前に覚えはある。クラスメートだ。といってもほとんど学校へ来ない娘で、その名をきけば、ボクらの中学はおろか、学区内では知らないものがないと言ってもいい不良少女なのだ。
国道を越えた鉄道沿いに新町という三業地がある。親からは行ってはいけないと言われていたが、仲間とこっそり何度か行ったことがあった。町を歩く野良犬までが狂気を含んだように感じるコワイ町だった。長谷川の家はそこで「加代」という飲み屋をやっている。10近く離れた兄は何度も鑑別所に送られた札付きで、今は窃盗で服役しいるという話だ。彼女も1年の夏に、男の同級生の腕をカミソリで切って鑑別所送りになったことがあった。学校へあまり来なくなったのはそれからだった。
手紙を読み終えたボクはかなり動揺していた。もちろん生まれて初めてのラブレターに胸が高鳴ったわけではない。カミソリを構えた長谷川の顔が浮かび、なにか得も言われぬ威圧と恐怖を感じていたのである。誰かのいたずらだと思おうとしたが、どう考えてもこれはいたずらなんかじゃない。
どうすればいいんだろう。両親にはもちろん、こんなこと友だちにだって話せない。そりゃ、この手紙が同じクラスメートの川嶋や藤塚だったら有頂天になるところだ。親友の高梨にだって話してやる。でも、相手が長谷川では……。ボクはなんてツイてないんだ。たいへんな災難に見舞われたものだ。心底そう思った。
とにかく今まで長谷川のことなんてまともに考えたこともなかった。あのボクよりも10センチは高く170センチはあろうかという背丈に広い肩幅。後ろに一本垂らした三つ編みはまるで、教科書で見たチンギスハーン。そして、あの鋭い眼。いつもふて腐れたような表情で、笑顔なんて一度も見たことがない。あの長谷川がボクに……。もちろん返事を書く勇気など持ち合わせてはいない。でも知らん顔をしたらどんな事態になるのか。誰か助けてくれ。

名案が浮かばないまま、翌日いつものように登校した。教室へ入るなりボクはツバをのんだ。来てる……。後ろの席に女子生徒5、6人のかたまりができていた。そしてその中心に長谷川が座っていた。長谷川は女子生徒の間からボクをジロリと睨んだ。ボクはすぐ目を逸らした。
1時間目の日本史の授業が始まってもボクは冷静になれなかった。長谷川の鋭い視線が背後からボクを貫いていた。ベルが鳴ったとたんボクは机の上に突っ伏していた。しばらくすると誰かが肩をトントンと叩いた。「まさか!」と思って顔をあげると、大魔王のような長谷川が見下ろしていた。
「ちょっと話があんだけど、廊下出てくれる?」
不機嫌そうに長谷川が言った。
〈なんだか気分がわるいから〉と返事をしようと思ったが、その時間もくれずに長谷川は背中を向けて廊下へ出て行った。斜向かいの高梨が不思議そうな顔をしている。ボクは首を傾げ高梨にI Don’t Knowをアピールし、無理に笑って席を立った。

長谷川は腕を組んで廊下の壁に凭れていた。その数歩離れた両側に2人ずつ彼女の子分たちが立っている。きっとボク以外をシャッタアウトするつもりなんだ。
「読んでくれた?」
「えっ? あ、ああ、うん」
「まさか、焼いたりしてないよね?」
「そ、そんな……。もちろん」
す、するどい。実は昨晩、なんだか手紙の存在そのものがコワくなって庭で焼いてしまったのだ。ど、どうしよう。
「君、だれか好きな子いるの?」
「……いないよ」
本当は、川嶋が好きなのだが、そんなこと言えるはずがない。
「そう。今度、アタイらで遊園地行くんだけどさ、一緒にどう? 高梨たちも誘っていいからさ」
「いやあ、それは……。野球やってるし、そろばん塾もあるし、お父さんと、いえ、お母さんと買い物行かなくちゃならないし……」
何を言ってんだか、ボクは。
「……そう。じゃあしょうがないよね」
不機嫌そうに言うと、長谷川はボクをひと睨みして背中を向けた。しかしすぐに振り向いて、ボクから視線を少しずらして、
「手紙に書いたこと、ほんとだからね」
と言ってふたたび体を反転させ、子分たちを引き連れて教室へ入っていった。ボクしばらくその後ろ姿を見ていた。そのときなぜだか彼女が気の毒に思った。もちろん彼女とかかわりたくない気持に変わりはなかったのだが、自分がとても薄情で嫌なヤツに思えたのである。

次の日、こわごわ登校したが、長谷川は欠席だった。それから卒業するまで長谷川はとうとう1日も学校へ来なかった。卒業式も。もちろん、その間ボクは長谷川に返事を出さなかったのだが、彼女からも二度と手紙が来ることはなかった。

その2年後、高校1年の秋、ボクの家は郊外へ引っ越した。
それから大学へ進み、ガールフレンドも何人かできた。幼かったボクでも少しは女ごころというヤツがわかるようになった。そして長谷川のことを考えた。いつも斜に構えた不機嫌そうな顔と、あのとき廊下で見たどこか淋しそうな後ろ姿を考えた。

就職が決まり、卒業式を数日後に控えたある日、ボクはあのなつかしい町へ行ってみた。そして国道を渡り、新町へ足を踏み入れてみた。あの殺伐とした風が露地を巡っていた町は清潔で秩序だった町に変身していた。ボクはゆっくり歩きながら、軒を連ねる飲食店の看板を目で追った。しかし「加代」という店はどこにもなかった。


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HONEYSUCKLE ROSE [story]


♪ 腕に爪の傷あとを 胸に愛の傷あとを
  過去は夢もひび割れて 暗い歌をうたう
  なぜに人は幸せを つなぐことができないの
  綱が切れた舟のよう 遠く消えてしまう
  
  流されて 流れながれ いまはもう逢えないけど
  ただひとつ 胸の奥で 枯れない花がある
(「流されて」詞・阿久悠、曲・金起杓、歌・桂銀淑、昭和63年)

『つまんねえだろ、こんな昔の話……』
「いえ、ちっとも。いろんな人の話を聞くのが楽しいもので、なかなかこの稼業から足を洗えないんですから。それにここはそういう場所ですから、ご遠慮なく」
『ほんとかい?。んじゃ、もう一杯もらおうか……』
「今度は、なにか作りましょうか?」
『いや、同じヤツ頼むよ』

この店に来るお客は、なぜか冷たい人が多い。冷たい人……つれない人……連れのない人……ひとりの人、なんて冗句はともかく、とにかくひとりでやって来る人が多い。永嶋さんもそのひとり。はっきり聞いたわけじゃないけど、50は優に超えているはず。何をしているんだか。勤め人じゃないのはたしか。いつも黙ってカウンターに坐り、テキーラをロックで。一杯目を飲み干すと、優しい顔になる。これがいい顔なんだ。そして、ポツリポツリとセピア色の話をしはじめる。さっきまでしていたのが昔の女の話。寒い日にはなぜかこういう話が似合うんだ。

20歳すぎたばかりの頃、会社の接待で使っていた割烹料理屋の女将に惚れたって。女将っていってもまだ30前、永嶋さんとは10も違わない。話の様子では、誘ったのはどうやらその女将らしい。彼女にすれば、どうせ遊びのつもりだったんだろうけど、そんなこと20歳そこそこの若者にゃわからない。で、すぐに操縦不能になっちゃう。そのうち女将も本気モードに。永嶋さんの一途な気持にほだされたのか、自分も娘の頃に戻っちゃったのか。とにかく、もう何もかも捨ててもいいって。コワイ、いやツヨイよね、こうなると女って。そうなると逆に男のほうの腰が引けちゃう。でも、永嶋さん、彼女に引きずられていっちゃったんだよね。
女のほうは旦那も家庭も捨てる決心。もちろん住んでる町にはいられない。そうなれば、男の方だって無傷ってわけには。そこで、尻尾を捲く手もあるんだろうけど、そこまでの“分別”はなかった。まあ、純だったんだろうね。勤めていた大手の食品メーカーを無断退職。手と手をとっての道行き芝居。あの町この町日が暮れて、明日はいずこの旅の空ってやつ。

手ぶらで飛び出したふたりにはアパートを借りるのがやっと。見知らぬ町での夫婦ごっこは、三月もたなかったって。そりゃそうかも。なにか計画があったわけじゃなし。勢いだけの愛だの恋だのってラブゲームじゃ、そう長くは続かない。ここは男の意地とばかり永嶋さん、近所の工場で油にまみれて給料生活。でも、三月経って増えたものは酒の量と彼女との口論の数。ふと我にかえると、あれほど好きだった人を罵ってた。挙げ句の果てが暴力……。俺ってこんなダメな男だったんだって、思い知らされたって。悲しいよね。

夏も終わろうというある日、いつものように仕事帰りに一杯ひっかけ、アパートへ帰ってみると、彼女はいなくなっていた。「主人の元へ帰ります」って置き手紙一枚。花瓶に忍冬(すいかずら)の花が活けてあって、その淡い匂いが部屋を充たしていたって。
「ひでえ女だなあ」ってオレが言ったら永嶋さん、「そうじゃない」って。泥を被せて逃げてきたその主人に電話して詫びを入れ、居所を教えたのは永嶋さんご本人。そして筋書き通り、永嶋さんの留守の間に主人がやってきて、説得して彼女を連れ帰ったってわけ。「ひでえのは俺だよな」って。その夜、声をあげての男泣き。泣くぐらいならそんなこと……、って思うのは人でなし。「お互いに本気で憎しみ合う前に別々になったほうがよかった」んだって。そんなもんかいな。

『そのあと、あっちフラフラ、こっちフラフラの旅がらすさ。意地でもあの町へは帰らないって気持だけで生きてきたってわけ……』
3杯目のテキーラを呑み込んでから永嶋さんがそう言った。
「女の人はそれから……」
『ああ、許すといった旦那だったけど、やっぱりキレイさっぱりってわけにはいかなかったんだな。2年持たずに離縁されたって。なにひとつ与えられず、裸のまま放り出されたって……』
「それじゃ、今度こそ……」
『そうはいかないよ。三月暮らして辛い目見させて、相手がひとりになったから、それならもう一度って、そんなことは言えなかったね。いやあ、そんなカッコいいことじゃないな。はっきり言やあ、俺が尻込みしてしまったってこと。一度使って捨てた箸を拾うことはないって計算がはたらいたのよ』
「じゃあ、それっきりその女の人のことは……」
『そうねえ、故郷へ帰ったようなことも聞いたけど……。まあ、また誰かと一緒になって幸せになってるんじゃないかな。俺なんかとやり直すよりははるかにいい人生送ってんじゃないかな。ってまあ、卑怯な男の虫のいい願望だな……』
「縁っていうんですかねえ……」
『そう、縁だよな。どうあがいたって、どうにもなりゃしないことがあるんだね。この歳になるまで気づかなかったんだからお目出度い話さ』
「でも永嶋さん、別の縁を……」
『いやあ、俺はいまだに独り者だよ。別に主義で独身やってるわけじゃないけど、それこそ縁なしってヤツ、フフフフ……』
「……それは失礼なことお訊きしまして……」
『いいんだよ。んなこと訊かれたって痛くも痒くもないんだから……』
「どうもすいません。……じゃ、お住まいはこのあたりなんですか?」
『ハハハ……、家も会社も千葉なんだ。まあ、ここまでだったら電車で一本、30分あれば来るからね』
「はあ……」
『お兄さん、〈それならなんの用事でこんな所へ?〉って顔に書いてあるよ』
「いえ、そういうわけじゃ……」
『まあいいって。実はな。あの表通りの郵便局と薬局の間の道を入ったところに、「信田」ってうなぎ屋があるだろ。……あそこの裏手が、今話した女と三月暮らしたアパートがあった所なんだ。なんでも10年ちょい前に取り壊して、今は一軒家が建ってるけど……』
「へえ、そうだったんですか。それはまた……」
『なんてのかな。最近みょうにあの頃が懐かしくなってな。たまにこうしてこの町へ来て、思い出を肴に飲んでみたいって気になるわけ。それがなんとも心地よくてね。女々しい話だよな。いやんなっちゃうね』

女々しい……。たしかに、20歳そこそこのガキじゃあるまいしと思うけど。やっぱり男の方が未練なのかなぁ。30年前ねえ……。昔の失敗っていうのかな、カッコつけて言えば古傷だな。それに触れることが妙に心地いいんだろうね。でもそれって、今が身も心も満たされてるからじゃないのかな。……何を言ってんだか、オレは。

「永嶋さんが惚れるぐらいですから、よっぽどいい女だってんでしょうね、その人」
『そりゃあもう。映画テレビで数多美人を見てきたけど、あれほどの女はいない。少なくとも、あれから30年以上経つけど、あの女以上の女性にお目にかかったことがないもの』
「へえ、そんなに? どのくらいいい女だったんですかねえ」
『なんだ、聞きたいのかい?』
「そりゃ、もう」
『そうかい。んじゃ話してやろうか。その前にもう一杯もらおうか。よかったら、お兄さんもやりなよ』

今日はどうせもうお客は来やしない。こうなったら、永嶋さんと差しむかいで、ゾクッとするような“美女伝説”を肴にして、夜の更けるまで、といきますか……。


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