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TOKYO●銀座① [a landscape]

銀座パレード.jpg

今日銀座をオリンピックのメダリスト(だけじゃないけど)たちがパレードしました。

テレビのニュースで見ましたが、ものスゴイ人で。嘘か実か50万人だとか。
数年前にも読売ジャイアンツの祝勝パレードがありましたが、いいですよねこういうハデでノーテンキなイヴェントは。
平和な証拠。大事件があったり、大災害があれば自粛自粛で即中止。
“お祭り”ができるということは幸せだと思わなくては。全般的には。

銀座のパレードというのは、以前はよく行われていたようです。
とりわけテレビ前史である戦前とか、昭和20年代などは、行かなきゃ見れない祝賀パレードってなわけで、多くの見物客が集まったとか。

当時の花型スポーツのひとつだったボクシングなど、対戦する外国人選手と日本人選手が別々のオープンカーに乗って、試合前の宣伝を兼ねたお披露目をすることもたびたび。
それが世界タイトルマッチならいざしらず、いまじゃテレビの生放送さえしないという東洋タイトルマッチクラスでも“銀パレ”(こんな略し方ありません)し、そこそこの観衆が集まったそうです。

そんなわけで今日はとり急ぎ、東京シリーズ(やってんのかよ)は銀座の第一回目を。

銀座がタイトルにつく歌、あるいは歌詞に銀座が出てくる歌は“ご当地ソング”ではもちろんナンバーワンの多さで、ある本によればそれは1000曲以上だとか。そうかもしれないなあ。いやんなもんじゃないかも。
J-POPはほとんど知らないけど、原宿、渋谷は出てきても銀座は出てこないだろうなぁ。というより歌詞に地名を入れるのがもはや“ダサイ”のかもしれない。

それはともかく、そもそも銀座の歌の第一号は、「銀座雀」という歌。
大正八年に楽譜が出版され、十四年に鳥取春陽によってレコーディングされています。
作曲はかの中山晋平、作詞は劇作家の鈴木善太郎

森繁久彌の名唱で「銀座の雀」という歌がありますが、これとは別。
残念ながらYOU-TUBEにはないようで、

その後、モダンボーイ・西條八十が当時の銀座をみごとに活写した「当世銀座節」「東京行進曲」がでてくるのですが、それは後回しにして、今日は昭和30年代にヒットした“銀座の歌”を3曲。

銀座の蝶 大津美子 昭和33年

昭和30年の「東京アンナ」に次ぐ大津美子の大ヒット曲。
銀座の蝶とはバーやクラブ、キャバレーのホステスのこと。今では常識なのでしょうが当時としてはとても新しい言葉。
命名したのは作家の川口松太郎。雑誌の連載した銀座のホステスを描いた小説「夜の蝶」からそういわれるようになったとか。

流行歌が好んで描く女性の職業と言えば「水商売」。
彼女たちは一見派手で、バックグラウンドにはなにかいわくがありそうで、かつまたラヴアフェアー必至となれば、やっぱりヒロインになってしまうのでしょうね。

「銀座の蝶」の作詞作曲は横井弘桜田誠一。キングの主力で、ふたりのコンビとしては「川は流れる」(仲宗根美樹)や「君が好きだよ」(佐々木新一)などがある。

銀座九丁目水の上 神戸一郎 昭和33年

「銀座の蝶」とほぼ同時に発売されてヒットしたのがコロムビアの若手ナンバーワンだった神戸一郎のこの歌。

ロンドン五輪メダリストたちは中央通りを銀座一丁目から八丁目までパレードしたわけですが、九丁目は行かなかった。というか九丁目などはじめから存在しない。

作詩の藤浦洸がしゃれて八丁目の先の汐留川(これもいまはなく高速道路になっている)のことをいったもの。作曲は神戸の師匠の上原げんと
「別れたっていいじゃないか」ほか神戸のヒット曲以外でも、「東京の花売り娘」(岡晴夫)、「港町十三番地」(美空ひばり)、「逢いたいなァあの人に」(島倉千代子)、「東京のバスガール」(コロムビア・ローズ)、「美貌の都」(宝田明)などヒット曲は多い。

昭和33年は長島茂雄がジャイアンツに入団した年で、秋には現天皇、皇后のご成婚が発表されるなど、明るい話題で盛り上がってました。ほとんど記憶にない。

フランク永井の「西銀座駅前」もこの年で、同じく「有楽町で逢いましょう」も前年つまり32年の暮れに発売され、この年の大ヒットとなった。
しかし、西銀座(駅)はもはやなく、有楽町も銀座っ子にいわせると、「一緒にしないでくれ」とのことなので、番外としました。

銀座の恋の物語 石原裕次郎、牧村旬子 昭和36年

かつてのカラオケ・デュエット曲の定番。
「東京ナイトクラブ」(フランク永井、松尾和子)と双璧でした。

裕次郎主演で映画にもなった「銀座の恋の物語」。
わたしも観ましたが、この歌が主題歌となった映画は、実はその1年前に封切られたやはり、裕次郎主演の「街から街へつむじ風」だとか。

それがこの曲ばかりあまりにもヒットしてしまったので、アナザストーリーをつくって映画化したのだとか。
牧村旬子はいまでは、「じゅんこ」になっているそうだが、当時は「みつこ」だった。
「旬子」を「みつこ」と読ませるのは定着しなかったようです。むりだよ。

「みっちゃん」は元々キャンプなどで洋楽をうたっていて、17歳でテイチクにスカウトされ、いきなり裕次郎の相手役に大抜擢。
しかし、あまりにもこの歌のイメージが強すぎたのか、のちのヒットには恵まれていない。

♪心の底まで しびれるような
と牧村の声ではじまる歌に、「ふつう裕次郎からだろう」と、はじめレコード会社も異論を唱えたが、作詞の大高ひさおが「歌の流れからどうしても女性が先」と譲らなかったとか。
大高ひさおといえば、エト邦枝の「カスバの女」もそう。

作曲は日活の映画音楽を担当した鏑木創(はじめ)。
やはり日活映画の主題歌「男の怒りをぶちまけろ」(赤木圭一郎)がそうだし、テレビドラマの主題歌「少年探偵団の歌」も(勇気凛々ではないほう)つくっている。

昭和30年代なかばの銀座。
夜の蝶たちの生活には翳の部分もあったでしょうが、なんとなくそこにはまだ“純情”という言葉が生き残っていたような気がします。歌を聴くと。

経済成長の恩恵を受け、銀座の景気もどんどん良くなっていきます。それにつれて街の様子も外観ばかりでなく、変わっていきます。
次回はそんな昭和40年代の銀座へ行ってみよう、と思っています。


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