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その名は●安井かずみ [the name]

安井かずみ.jpg

♪ 明日の悲しみを 知らない 
  あなた おしゃべりな真珠
  微笑み 悲しみ 夢を見る 
  あたし おしゃべりな真珠
  
  ひとりひとりが 愛をみつけて
  星を数えたとき 大人になる
  ああ はじめて 生きることがわかる 
  あたし ひとつぶの真珠
(「おしゃべりな真珠」詞:安井かずみ、曲:いずみたく、歌:伊東ゆかり、昭和40年)

今日3月17日はZUZUこと安井かずみの命日。
亡くなったのは平成6年(1994)。
もう20年近く経ってしまいました。
彼女は永遠の55歳。
わたしは、それをはるか越えてしまいました。やだやだ。

若かりし頃、安井かずみの姿を雑誌か何かで見たとき、当時ファンだったフェイ・ダナウェイに似てるなって思ったことがありました。
のちに、彼女のエッセイを読んでいたら、「フェイ・ダナウェイほどキレイじゃなくても……」などという文章に出くわしたことがありました。
もしかしたら、あのハリウッド女優を意識していたのかもしれません。

それはともかく、彼女の詞はほとんどがラヴソング。
そしてそのポリシーは、「夢見る少女」(ときには少年)のつぶやき。それは頑なで、潔癖で、孤独で、というリアルな内省的少女。このへんが、それまで「乙女」というキーワードで、少女の心情を描いてきた西條八十を筆頭とする男の「女装作詞家」と違うところでしょうか。もちろん流行歌はリアリズムを追及しているのではありませんけど。

彼女はまたエッセイストでもあり、その内容は流行詞とは裏腹に、実体験に基づいた現実的な女性の処世術が多かった。作詞は流行歌用に構築された別世界の「ZUZUワールド」だったのでしょう。それを徹底させていた。

阿久悠松本隆のようなキラキラあるいはギラギラした野心的な詞(ことば)ではなく、普段の言葉を組合わせて、叙情的かつ独創的な「ZUZUワールド」をつくりあげていました。

生涯書いた詞は4000ともいわれ、ヒット曲も少なくない。
そんななかからいつもの独偏で10曲を選び、昭和の流行歌をつくってきた女性作詞家を偲びたいと思います。

その名はフジヤマ アントニオ古賀 昭和36
デビュー作の「GIブルース」(坂本九)が昭和35年なので、ほんとに初期の作品。
当初はほとんどが訳詞で「みナみカズみ」のペンネームを使用。
曲は、当時人気で何度も来日コンサートをしていたトリオ・ロス・パンチョスのメンバー、チューチョ・ナバロによる。

小さい悪魔 斎藤チヤ子 昭和36
カバー曲をもう1曲。斎藤チヤ子では断然「失恋の海」(オリジナルはドン・ギブソン)だけど、残念ながらYOU-TUBEにないので。(失恋の海追加です)
でも、この「小さい悪魔」のほうがヒットしたので耳なじみがあるかも。オリジナルはニール・セダカ

おしゃべりな真珠 伊東ゆかり 昭和40
安井かずみがレコード大賞の作詞賞をとった記念すべき楽曲。当時26歳。
本人レコード大賞のなんたるかを知らぬ間の受賞。この頃はまだアルバイト感覚で。
作曲いずみたくとのコンビが貴重。初々しい「夢見る少女」がいずみたくメロディーとピッタリの名作。
伊東ゆかりではほかに、「恋のしずく」、「朝の口づけ」、「青空のゆくえ」などがあるが、この曲がいちばん。

明日になれば ザ・ピーナッツ 昭和41
宮川泰の傑作。宮川とははじめてのオリジナル「女の子だもん」中尾ミエ・NHKみんなのうた)からのコンビで、最も親しまれているのは「若いってすばらしい」(槇みちる)。ほかに「何も云わないで」(園まり)、「ひとつぶの真珠」(弘田三枝子)も宮川との共作。
ザ・ピーナッツのカヴァーでは「レモンのキッス」がいい。

青空のある限り 加瀬邦彦&ザ・ワイルドワンズ 昭和42
グループサウンズの1曲。ほかでもタイガース「シー・シー・シー」はあるが、GSは意外と少ない。
1度目の結婚をした頃で、その間、作詞活動を休業していたため。

雪が降る アダモ 昭和44
離婚してフランスに滞在中、ZUZUをなぐさめようと友人のアダモが作った歌に彼女が詞をつけた。
カヴァー曲の中ではもっともヒットし、もっとも親しまれている曲。
このあたりから、彼女自身がいう「多作」になっていく。自身も書いているように、プロ意識に目覚めはじめた頃。

折鶴 千葉紘子 昭和47
ひさびさのオリジナルヒットが45年の「経験」(辺見マリ)。そして翌年、「ディスカヴァー・ジャパン」ブームに乗った「わたしの城下町」(小柳ルミ子)を代表とする和風作品を連続ヒット。
そのなかでいちばん彼女らしい少女の心情をうたったのが「折鶴」。小柳ルミ子もうたっているが、やはり千葉絋子。

あなたへの愛 沢田研二 昭和48
タイガースから引き続き、昭和44年に沢田研二の初アルバム「JULIE」の全曲を作詞。
48年には日本歌謡大賞受賞の「危険なふたり」そして49年の「追憶」とヒット曲を連発。
曲はともに加瀬邦彦で、「危険なふたり」のあとに書いたこの「あなたへの愛」も加瀬作品。

この年はほかに、「草原の輝き」(アグネス・チャン)、「ちぎれた愛」(西城秀樹)、「甘い十字架」(布施明)などのヒット曲で充実していた。

ある日の午後 森山良子 昭和49
めずらしい森山良子への提供作品。
安井かずみお得意の若い女性の「揺れる想い」が描かれている。
印象的な曲はブレッド&バター岩沢幸矢
安井かずみはレコーディングの前に、歌手とミーティングをするのが常だったそうだが、森山良子とどんな話し合いをしたのか、興味津津。

よろしく哀愁 郷ひろみ 昭和49
「ある日の午後」と同じ年の発売で、33歳、最も充実していた時代かも。
「よろしく哀愁」は「夢見る少女」の裏返しの「夢見る少年」ソング。
作曲は筒美京平で、安井―筒美のゴールデンコンビは意外と少ない。
ヒット曲ではほかに「赤い風船」(浅田美代子)ぐらい。

もちろん昭和50年代に入っても彼女の作詞ワークは続いていきます。
52年には2度目の結婚で加藤和彦というベストパートナーを得ます。

そして、はじめにも書いたとおり幸福な17年間を経て、55歳という若さで病に斃れます。
また、ごぞんじのとおり、加藤和彦も3年前に自殺で生涯を閉じています。
もし、安井かずみが生きていたら、加藤和彦も死なずにすんだのでは……などと、ふと考えてしまいます。


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