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島⑩ハワイの夜 [a landscape]

ハワイの夜2.jpg

♪ハー ハワイ みどりの夜
 月も宵から 波間に燃えて
 あゝ パパイヤは 仄かにあまく
 君慕うウクレレ やさしのハワイ
 あゝ ハワイ
(「ハワイの夜」詞:佐伯孝夫、曲:司潤吉、歌:鶴田浩二、昭和28年)

日本からの移民の歴史をもつ“遠くて近い島”ハワイ。
最盛期ほどではないが、いまだ年間100万人以上の日本人観光客が訪れる南の島・ハワイ。
戦時中は敵国の領土であり、日米開戦の端緒となった真珠湾をもつ島。いわば「鬼畜米英」「撃ちてし止まん」のターゲットとなった島でもあった。
それが敗戦となり、真珠湾攻撃から7年しか経ていない昭和23年、
♪晴れた空 そよぐ風 港出船の ドラの音愉し 「憧れのハワイ航路」岡晴夫
とお気楽にうたってしまう日本人の変わり身の早さ。その節操のなさは反面ひとつの長所ともいえるのだが。

この「憧れのハワイ航路」のヒットをいちばん喜んだのはハワイ在住日系人たちではなかっただろうか。

いまとなっては船でハワイへ行こうというのはよほど金と暇のある人間が周遊のクルーズで行くぐらいだろうし、日本―ハワイの定期航路などない。
しかし当時は、歌にうたわれたようにあったのだ。というか、飛行機でいくことが、普通の人間ではほとんど不可能な時代だったのだ。

ちなみに初めてハワイの土を踏んだ芸能人は川上音二郎貞奴で明治32年のこと。もちろんハワイでの舞台興行が目的だった。
流行歌手では「東京行進曲」をヒットさせた佐藤千夜子が昭和3年に訪問している。

戦後では「憧れのハワイ航路」のヒットの翌年つまり昭和24年、「アメション」の流行語まで生んだ女優の田中絹代が第一号。25年には美空ひばり、笠置シヅ子がそれぞれ興行を行っている。
その後芸能人がこぞってハワイを目指すのは昭和29年以後、アメリカの規制がゆるくなりJALの定期便が飛ぶようになってから。
一般人は昭和39年に観光用ビザが解禁されてからいざハワイへと。この頃、テレビで「アップダウンクイズ」というクイズ番組があり、10問正解するとハワイ旅行へ招待というのがビッグな賞品だった。ハワイは夢から現実のものへとなっていったのだ。

ところで、岡晴夫から40年余りを経た昭和62年、TUBEが同名異曲の「憧れのハワイ航路」をリリースしている。
♪Hawaii Hawaii 前途洋々で……海が待っているよ just sailing
ということは豪華クルーズの旅をうたったものか、というとそうではなく航路は航路でもこちらはエアラインのこと。タイトルだけレトロで遊んでみたということだろう。
生き方は変わってもハワイへの憧れは変わらないという話。

TUBEには「いいじゃん・ハワイ」もある。
これは「ハワイよいとこ一度はおいで」といった内容のハワイ賛美・歌。

ふたたび岡晴夫の「憧れのハワイ航路」に戻って、その昭和20年代、もう一曲ハワイをうたった歌がヒットした。
それが上に詞をのせた鶴田浩二「ハワイの夜」
同名映画の主題歌で、映画も鶴田浩二が主演している。
映画は戦後はじめてのハワイロケが敢行されている。もちろんこの時代では船ではなく飛行機でロケ地に向かった。

鶴田浩二は戦後の「歌う映画スター」第一号。
かつて日本映画が隆盛を極めていた戦前から昭和30年代ころまで、映画の主役級俳優はほとんどが歌をうたわせられた。
鶴田浩二は師匠である高田浩吉のすすめで昭和26年「男の夜曲」でポリドールレコードからデビュー。その後、コロムビアを経て灰田勝彦の誘いでビクターへ。
ビクターでリリースしたこの「ハワイの夜」は、やはり映画主題歌「弥太郎笠」に続くヒットとなった。そして同じ28年、吉田正作曲の「街のサンドイッチマン」の大ヒットへと続く。以後、吉田―鶴田のコンビは「赤と黒のブルース」、「好きだった」とヒット曲を続ける。
その後、歌は小休止、東映任侠映画で活躍するが、昭和45年にはその延長線上で「傷だらけの人生」をヒットさせ歌手としての健在ぶりを示した。

右手にハンカチを巻いたマイクを握り、バンドの演奏を聴くために左手を耳に添える歌唱スタイルがユニークだった。

また作曲の司潤吉は戦前戦後をとおして日本で活動した韓国人作曲家。「カスバの女」(エト邦枝)や「木浦の涙」(菅原都々子)を作曲した久我山明とは同一人物。
平成11年に亡くなっている。本名は孫得烈。

実は鶴田浩二の「ハワイの夜」が発売される前にもうひとつの「ハワイの夜」がレコード化されている。こちらはコロムビアで古賀政男が作曲、霧島昇がうたった。霧島盤は聴いたことがないが、残念ながらヒットしなかったとか。

そして平成11年にも「ハワイの夜」がリリースされている。
♪ハワイ ハワイ ハワイに身を潜め 残された人生を賭けた この俺さ

「この俺さ」という言い回しがいかにも古くさく、犯罪者の逃避行をにおわすストーリーがいかにもらしい、クレイジーケンバンドの一曲。

「ハワイの夜」はいまも昔もドラマチックという話。行ったことないけど。

ではそれ以外の戦後のハワイアン・ソングを。といってもあまりないのだが。

まずはこれも映画主題歌で舟木一夫本間千代子が共演した「夢のハワイで盆踊り」
♪ハワイよいとこ 夢の国 アロハの ハワイで盆踊り
祖父が暮らすハワイで盆踊りをさせてあげようと、主人公とその仲間たちが奮闘する青春映画。うたったのは舟木、本間のほかに二代目コロムビアローズ高橋元太郎の四人。
昭和39年の映画で、この時代まではまだハワイは憧れであり夢の存在だったことがタイトルからもわかる。作曲は船村徹。

♪月が出た出た カメハメハ 椰子の葉ゆれる カメハメハ
殿さまキングスがうたうのが「ハワイ音頭」。これまたハワイで盆踊りというコンセプト。
殿さまキングスには、
♪人食いアマゾン ピラニアさえも うかれとろけて チョイトカーニバル
という「ブラジル音頭」もあった。
ブラジルも日系移民の多い国で、どちらも日系人狙いがミエミエ音頭。

その殿さまキングスの元リーダー、長田あつし杏しのぶと結成したオヨネーズには「憧れのハワイ空路」がある。
「麦畑」のペアお米と松っつあんのハワイ珍道中といった内容。
一字違い、前後賞的なふざけたタイトルだが、作詞が「憧れのハワイ航路」(岡晴夫)と同じ石本美由起なのだから、誰も文句はいえない。

まだまだ行ってみたい島はある。
たとえば沖縄の島々、小豆島、八丈島にあゝ松島。外国ならばスコットランドにアイルランド、シシリー島にマンハッタンなどなど。
とはいえそろそろ春も、いや飽きもきているのでまたいずれということに。ではアロハ。


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