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その名は●たかし① [the name]

 藤木孝.jpg

♪生きてゆく事って 泣けてくるよね
 ともしびの家路に 迷う女には
 夢を削られても 明日を夢見る
 恋に捨てられても 憎んじゃだめさ

 空を見上げて 涙溜めて歩こう
 願いが叶う 星がみつかるように
 俺は希望商人 希望商人 幸せのひとかけらを
 喜劇の街へ 悲劇の街へ 売り歩くのさ
(「希望商人」詞:大津あきら、曲・歌:佐藤隆、昭和55年)

またしても訃報。こればっかりは……

先日フォーリーブスのター坊こと青山孝史さんが亡くなったそうだ。
つい最近テレビでガンを患っているというニュースを聞いたばかりだった。
フォーリーブスはジャニーズ事務所2組目のグループ。昭和40年代から50年代にかけてのアイドルだった。

6、7年前に再結成し、全国各地でコンサートをしていると、知り合いの女性が以前教えてくれた。彼女は20歳そこそこなのにファンクラブに入っているほどのフリークでご贔屓がター坊。コンサートでもいちばん声援が多かったとか。きっと悲嘆にくれていることだろう。

日本語として「?」で、ギャグとしてつかわれることもあった「ブルドッグ」もいまとなっては懐かしい歌。
4つ葉のクローバーが3葉になって、この先どうしていくのか。解散という報道もあるが。

そのつい数日前にはザ・テンプターズのドラムス、大口広司さんの訃報もあった。これからこんなことばかり書いていくのだろう。

訃報に触発されたわけではなく、という言い訳をしつつ今回は「たかし」を。

「たかし」もいろいろな漢字表記があるが、戦前戦後を通して人気だったのが「隆」。とりわけ昭和30年代は人気で31、32年にはナンバーワンになっている。

その「隆」は意外と少なくまず思い浮かぶのが上に詞をのせた佐藤隆

シンガーソング・ライターで昭和50年代、アダルトポップスというか、どこかエキゾチック(なんていまどき言います?)な曲風が異彩を放っていた。
最大のヒット曲は高橋真梨子に提供した「桃色吐息」。化粧品メーカーのイメージソングとして59年にヒット。

他にも堺正章(「二十三夜」)ジュディ・オング(「ひとひらの雪」)谷村新司(「12番街のキャロル」)など何人ものシンガーに楽曲を提供している。

自身のヴォーカルでは「マイ・クラシック」がいちばんのヒット曲。
ほかに上にのせた「希望商人」、デビュー曲の「北京で朝食を」、「カルメン」、「君にダブル・パーキング」などいい歌がたくさんある。
私の知り合いでとうに還暦峠を杉林の無名詩人も佐藤隆の大ファン。

ヨーロピアンとオリエンタルが融合したような不思議な曲風だが、当時はヨーロッパへ行ったことがなくイマジネーションで作曲していたというからスゴイ。

異色だがお笑いタレントの藤井隆が。
平成12年に「ナンダカンダ」でCDデビュー。翌年には筒美京平ワールド全開の「絶望グッドバイ」も。また一昨年には松田聖子とのデュオで話題となった「真夏の世の夢」が。

その「絶望グッドバイ」を作詞したのがはっぴいえんどのドラマー松本隆。というより作詞家としての方が有名。
昭和40年代後半から現在まで息の長い作詞家でアイドルを中心に、ニューミュージック、ロックからJ-POPまで幅広いジャンルで詞を書いている。

「隆」の次に多いのが「孝」

こちらは昭和30年代に活躍したシンガーに多い。
まずいまも現役なのが鹿内孝
オールドファンには「ザ・ヒットパレード」や「シャボン玉ホリデー」でおなじみ。当時は「たかし」あるいは「タカシ」だった。

昭和36年に「殺さないでくれ」でデビュー。その後はカヴァーポップスブームにのって「霧の中のジョニー」、「ラ・ノビア」、「愛さずにはいられない」、「片目のジャック」などをリリース。
オリジナルでは阿久悠「本牧メルヘン」が小ヒット。最近はJEROがカヴァーしている。

ニューヨークに留学したり、ジャズやクラシックに取り組むなどの勉強家で、ヴォーカリストとしてだけではなく、テレビ、映画あるいはミュージカルの俳優として幅広く活動している。

ほぼ同じ時期に「ツイスト」男としてブレイクしたのが藤木孝
「ペパーミント・ツイスト」のカヴァー「ツイスト№1」ほか、「ホワット・アイ・セイ」、「アダムとイブ」、「ツイスト・フラ・ベイビー」、イタリアンポップスの「24000のキッス」などをヒットさせたが、所属プロダクション(鹿内孝と同じ)とトラブル、引退を余儀なくされた。……誰かYOU-TUBEに……。

その後すぐに他のプロダクションからカムバックしたが、再ブレイクはしなかった。とはいえ、その後俳優に転業、テレビ、映画、舞台とこちらも広域で活躍している。NHK大河ドラマの「篤姫」にも出ていたとか。

ただ残念(?)なことに彼の場合「孝」は芸名。本名は遠藤與士彦。なんだ全然……、いや「藤」はあってるか。

昭和をもう少しだけ遡ると中島孝がいる。
中島は戦後、森繁久弥由利徹が在籍した劇団・新宿ムーランルージュの役者で当時は中島義孝(こちらが本名かも)と名乗った。
その後レコード歌手になり昭和29年に「若者よ、恋をしろ」をヒットさせている。
33年には安田祥子とのデュエットで映画「破れ太鼓」(木下恵介監督)の主題歌をうたっている。いまはどうしているのやら。10代の安田祥子の声と木下(忠司)メロディーを。

反対に先へすすんで昭和44年「白いブランコ」をヒットさせた兄弟デュオ、ビリー・バンバンの兄が菅原孝
ビリー・バンバンは弟の進が結成したキャンパスフォークのグループで、せんだみつおも在籍したという。デビュー前は浜口庫之助に師事していた。
ほかに「れんげ草」あるいは石坂浩二が作詞したTVドラマの主題歌「さよならをするために」のヒット曲がある。
兄の孝は多才で、現在も役者、ナレーター、司会とマルチに活躍中とか。

「たかし」はそれ以外にも「貴」、「高」、「喬」、「崇」、「卓」、「敬」やそれらに「士」や「史」などをつけた2文字名がある。
そういえば、ついこないだまでテレビに出まくっていた国際弁護士の湯浅さんも(たかし)だった。
つまらないギャグがおもしろかったけど、本業が多忙になったのか最近見かけない。どこへ行ってしまったのかな。


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