その名は●かおるちゃん [the name]
♪かおるちゃん 遅くなってごめんね
かおるちゃん 遅くなってごめんね
花をさがして いたんだよ
君が好きだった クロッカスの花を
僕はさがして いたんだよ
かおるちゃん 遅くなってごめんね
かおるちゃん 遅くなってごめんね
君の好きな花は 花は 花は 遅かった
(「花はおそかった」詞:星野哲郎、曲:米山正夫、歌:美樹克彦、昭和42年)
「かおる」という名も“男女兼用”。
男では築地小劇場をつくった演劇の小山内薫がいるし、明治時代の政治家、井上馨もいる。現代でも自民党代議士に与謝野馨が。プロ野球には往年のホームランキング別当薫がいたし、今の役者では小林薫も。
女ではタレントの兼高かおる、女優の八千草薫、作家の栗本薫などがいた。
みんな“古い人ばかりじゃん”というなかれ。それだけ、「かおる」「薫」という名が廃れてしまったのだ。
昭和初期に書かれた川端康成の「伊豆の踊子」のヒロインが「薫」だった。当時としてはかなりハイカラな名前ではなかっただろうか。
残念ながら「××子」絶対の時代では、いかにベストセラー小説のヒロインの名前だからといって世の親の支持するところとはならなかった。増えたことは確かだろうが。
わたしが小学生だった昭和30年代でも、「かおる」という名前は男女ともあまり聞かなかった。昭和40年代に入って出てきた「由美かおる」の「かおる」はその時代でもなおハイカラな名前という印象があった。
そして上にのせた「花はおそかった」がヒットしたのも昭和40年代に入ってまもなく。
いまから考えるととてもインパクトのある歌だった。
特定の女の子の名前が出てくる歌はなくはなかったが、この歌の場合「かおる」という名前からその女の子がかなり若い、もしかするとティネイジャーかもしれないと想像させる。さらに歌詞から、彼女が不治の病で死にかけていることも。流行歌にしてはスゴイ設定の歌だとあらためて気づく。
実はこの歌にははじめの部分と中間部分さらには最後の部分にセリフが入るのだ。はじめの部分をのせてみると、
こんな悲しい窓の中を 雲は知らないんだ
どんなに空が晴れたって、それが何になるんだ
大嫌いだ、白い雲なんて
そして最後は「バカヤロー」と絶叫する。
この歌が流行った頃、わたしは短い純情時代を終えてひねくれまくっていたので、聴くも言うも恥ずかしくて茶化すしかなかった。“羞恥峠”をはるか以前に越えてしまった今でもこの歌を聴くと胸の奥が痒くなったりして。カラオケなんてとんでもない。セリフなんて口が裂けたって言えない(そのくせ文字にはしている)。
まぁ、それはそれとして。
この歌をうたった美樹克彦のスタートは映画の子役。今年還暦で芸歴55年というから筋金入りの芸能人。はじめは本名の目方誠で活動していた。
レコードデビューは14歳。カヴァーポップス全盛の昭和37年フレディ・キャノンFREDDY CANNON の「トランジスター・シスター」TRANSISTOR SISTERで。その後「マッシュ・ポテト」や「うわさのあの娘」などを出すがブームは終焉に。
しかししぶとかった、その3年後、今度は美樹克彦のステージネームでその頃やはり流行っていたリズム歌謡「俺の涙は俺がふく」で再デビュー。これがヒット。作詞家星野哲郎との出会いでもあった。
その後「6番のロック」、「回転禁止の青春さ」と小ヒットをとばし、昭和42年に「花はおそかった」でホームランを。
しかし、リズム歌謡も短命でいつか第一線から消えることに。
美樹克彦が再び復活したのは作曲家として、小林幸子に書いた「もしかして」のあと今度は彼女と自身のデュエットソング「もしかしてパート2」をリリース。これがヒット。
以後、由紀さおりや八代亜紀に楽曲を提供しながら、シンガーソングライター、プロデューサーとして現役を続けている。
ではシンガーの「かおる」ちゃんを。
まずは先ほど出てきた由美かおる。
TV「水戸黄門」の疾風のお娟(えん)さんといえばわかる人はわかる(ってあたりまえ)。
昭和25年生まれというから再来年には還暦。西野バレエ団出身で本業は女優。
歌ではヒット曲はないが「いたずらっぽい目」は比較的ラジオ、テレビから流れていた。
ちょっと「初恋の人」小川知子(これも知らないか) に似た感じでもあるしGSっぽい部分も。
由美かおるとほぼ同年代の女性シンガーに響かおるがいる。
よくいわれる“一人GS”のひとり。誰がつけたか“一人GS”、垢抜けないネーミングだね、ま、いいか。
テレビのオーディション番組出身というので、歌唱力とパンチはそこそこ。「太陽がこわいの」が代表曲らしいが、♪夕焼け……という「夕陽が泣いている」スパイダース が聞こえてきそうな「涙がにくい」もいい。なかにし礼のチープな詞がいい「恋のアタック」も。
大先輩なら南かおる。昭和35年にデビューしたハワイアン・シンガー。平成2年に30周年記念アルバムを出したがその後の活動は不明。
30年代にはテレビにもしばしば出ていた。最近亡くなった日野てる子とはまた違った艶っぽく奥行きのある声。「マリヒニ・メレ」や「タイニー・バブルス」などハワイアンもいいが、「青い炎」あるいはバーブ佐竹とデュエットした「銀座の恋の十字路」と歌謡曲もうたっている。
また男性シンガーでは遅れてきたロカビリアン倉光薫。昭和20年生まれで37年にデル・シャノンのDEL SHANNON「さらば街角」SO LONG BABYでデビュー。その後もテディ・ランダッツォTEDDY RANDAZZOの「ワンモア・チャンス」ONE MORE CHANCEやジャック・スコットJACK SCOTTの「クライ・クライ・クライ」CRY CRY CRY(B面の「悲しきクラウン」の方が好きだった)などのアメリカンポップスをカヴァー。
40年代に入り、GSブームになるとクーガーズのキーボード兼リーダーとしてヴォーカルを担当。「テクテク天国」で再デビュー。なんといっても、奇をてらいすぎのスカート姿のユニフォームが印象に残っている。
そのほか昭和40年代には「真夜中のギター」のヒットがある千賀かほるがいて、50年代には「あなただけI LOVE YOU」の須藤薫や「鳥の歌」の杉田かおるがいる。また60年代になると「HOLD ON ME」の小比類巻かほるが。そして平成になると「ダイヤモンド」をヒットさせたプリンセス・プリンセスのヴォーカルが奥居香、またジャズシンガーでは仲宗根かほるがいる。
長くなりすぎ、最後は端折り気味というか駆け足になってしまいました。
かおるちゃん、早くなってゴメンネ。
momoさん「夜遅くお尋ねしてすいません」(笑い)
僕もあの「バカヤロー」というセリフは今でもよく覚えていますよ。
強烈な個性を持った歌だったのですね。
僕の友人に「茂」という男がいてその弟は「守」と「薫」で彼の親は語呂にこだわったのかと今ふと思いました。
その名前をつけた彼のお父さんもつい最近亡くなりました。
名前って迷惑のような有難いような、あとは自分の責任ですか。
by レモン (2009-01-19 00:35)
いえいえまだ宵の口(でもないですか)、かなりの睡魔が。
前回のコメント大失態ですみません。訂正しておきました。たぶんローズマリー・クルーニーの「メロンの心」が頭にあったのではと思っています。
流行歌で「バカヤロー」ってあまりないですよね。演歌系にいくつかありますけど。でもこんな絶叫型はめずらしいです。
いまでこそ名前なんかどうでもって思うけど、まぁ親の特権とはいえ子供にとっては嫌な名前もありますね。去年の女の子は女優さんの影響で「葵ちゃん」が多かったらしいですけど、いい名前ですね。
by MOMO (2009-01-19 02:13)
美樹克彦の
「かおるちゃん♪」には、びっくりさせられましたね。
確かに、歌うには気恥ずかしい歌でした。
でも、頭の中にはなぜかインプットされていました。
千賀かおるの「真夜中のギター」
一昨日、カラオケで同級生達と
歌ったところでした。
40年ぶりくらいに歌ったのに
今日、ここで話題になっていて、これもびっくり!
いつも、懐かしく読ませていただいています。
by toty (2009-01-19 18:53)
totyさん、いつも読んでいただいてありがとうございます。
そうですかカラオケで「真夜中のギター」を。
なんとなく微笑ましいですね。合唱している光景が浮かんできます。
こんな場所ですが、ご不幸があったそうでご愁傷様でした。
by MOMO (2009-01-20 20:38)