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冬歌⑧皮ジャン [noisy life]

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En blue jeans et blouson de cuir
Tu vas rejoindre les copains
Si tu ne vas pas, qu'est-ce qu'ils vont dire
Quand tu les verras demain
En blue jeans et blouson de cuir
Tu tu crois en liberté
(ジーパンと皮ジャンパーで 君は、仲間と落ち合いに行く もし君が行かなきゃ 連中はなんて言うだろう 明日君が連中に会った時ジーパンと皮ジャンパーで 君は自由だと信じている) 日本語訳:早川清至
([EN BLUE JEANS ET BLOUSON D'CUIR]ブルージーンと皮ジャンパー written and vocal by ADAMO, 1963)

「皮ジャン」で真っ先に思い浮かぶのがアダモADAMO がうたった「ブルージーンと皮ジャンパー」EN BLUE JEANS ET BLOUSON D'CUIR。彼の日本でのデビュー盤で昭和39年、東京オリンピックの年の発売。
アダモについてはちょうど去年の今頃、冬歌「雪は降る」TOMBE LA NEIGEでふれましたが、イタリアはシシリー島生まれ。シンガーとしてブレイクしたのは移住したベルギーで。その後ヨーロッパ各国で人気となり、とりわけフランスで大成功という経歴。

この「ブルージーンと皮ジャンパー」は日本でも当時話題にはなりましたが、“アダモブーム”が来るのはその数年後、「雪は降る」や「サン・トワ・マミー」SANS TOI MAMIE のヒットによって。この歌日本では長谷川きよし中村晃子、シャンソニエの野上圭らがうたっています。

その「皮ジャン」というか、そもそも日本に「ジャンパー」なるものが登場したのはいつ頃なんでしょうか。
少なくとも明治大正期にあったとは思えませんし。昭和も戦前からあったのでしょうか。世相や風俗の鏡という一面をもつ流行歌でも戦前、ジャンパーがうたわれたということはついぞ知りません。

ということは戦後? たとえば進駐軍(米軍)の払い下げとか横流しで市場に出回ったり。
アメリカ空軍の軍人などが着ていそうですしね。

たとえば小説では昭和21年、織田作之助が戦後初めて発表した「六白金星」のなかに出てきます。
自分が妾の子供だということを知り、堕落を“志願”する主人公の学生が、洋品店に飛び込み、制服を脱ぎ捨ててジャンパーに着替えるところ。
「……茶色のジャンパーに黒ズボン、両手をズボンに突っ込んでひとかどの不良になったつもりで戎橋の上まで来ると……」
というように。

残念ながら皮ジャンではないようですが。しかしどうやら終戦直後すでにジャンパーは存在し、ジャンパーという言葉もそこそこ浸透していたようです。
それにこの時代、ジャンパーは不良が着るものだったようですね。でも小説にあるように簡単に手に入るぐらい洋品店には置かれていたのでしょうか。

流行歌でもやはり昭和21年の「東京の花売り娘」(岡晴夫)に、
♪粋なジャンバー アメリカ兵の 影を追うよな甘い風
と出てきます。こちらは日本人ではなくアメリカ兵。日本人は“堕落”でもしない限りまだ抵抗があったのかもしれません。それとジャンパーではなくジャンバーってうたってます。そういえば昔のオジさんオバさんは「ジャンバー」って言う人がけっこういました。

こうしてみると、おそらく昭和20年代の早い時期から日本人にジャンパーが広まっていったのでは。
そして30年代になると皮ジャンパーも登場してきます。
♪粋にかぶった鳥打帽子 皮のジャンパーも似合うだろう 「僕は流しの運転手」青木光一 昭和32年
不良やヤクザ者が着るイメージのジャンパーがタクシードライバーに。じゃあ彼らは不良なのか。そんなことはありませんが、たしかに昔は怖いドライバーもいましたが、この頃になるとジャンパーを着用する人が多様化してきたということでしょう。

とりわけタクシー運転手はそのイメージが強いのか(実際はどうだか)、若原一郎の「ハンドル人生」(昭和30年)にも、
♪だけどジャンパーのこの胸にゃ 夢がぽっちりあるんだぜ
というのがあります。皮ジャンかどうかはわかりませんが。いまじゃジャンパーを着たタクシードライバーなどお目にかかれませんけど。

昭和30年代半ばから40年代はじめにかけて最も皮ジャンが似合う男、いや男たちといえば、日活のアクションスター。
なぜかその代表格である石原裕次郎こそピントきませんが、小林旭、赤木圭一郎、二谷英明、さらには渡哲也と皮ジャンスターのカッコよかったこと。

なかでもリアルタイムで見て思わずつられて皮ジャンを買ってしまったというのが渡哲也。「無頼」「前科(まえ)」「大幹部」「関東」の各シリーズそして「東京流れ者」。まぁ我ながらよく飽きずにって思うほど観ました。「東京流れ者」はヤクザ映画にしては一風変わってまして、鈴木清順監督の“遊び”が最高でした。映画館でも笑いが起きるほど。「流れ者には女はいらねえんだ……」なんてね。酒の席でわたしをはじめモテない男どもが負け惜しみでそのセリフをよくつかっていましたっけ。

その「東京流れ者」では哲兄ィ主題歌も。
♪どこで生きても流れ者 どうせさすらい独り身の
ってやつ。これはそこそこ知られていますが、実は渡さんにはもうひとつ歌詞違いの「東京流れ者」があるんです。
♪流れ流れて東京を そぞろ歩きは軟派でも 
これは竹越ひろ子ヴァージョン。永井ひろしの作詞でこれがいちばん流行りましたね。でもこれではないんです。

♪黒いジャンパーに赤いバラ きざな服装(なり)してゴロ巻いて
 渋谷新宿池袋 風もしみます日暮れには あゝ東京流れ者
ってヤツです。これはもう完全にヤクザ者の歌。哲兄ィもその気になって巻き舌でうたったりして。

なんでひとりのシンガーが歌詞の違う歌をうたったのか。答えは簡単でレコード会社を変わったから。具体的にいいますとはじめのヴァージョンは日本クラウンで、その後テイチクに移籍したため「流れ果てない……」がうたえなくなり、「黒いジャンパー……」をつくったというわけ。

また藤圭子大信田礼子でも
♪女一匹 皮ジャンに 飾りましょうか白い花
なんてのもありました。

まぁ、「四曲」とも好きなんですけど。もう1曲あります。
これらの「東京流れ者」の作曲者は不詳、あるいは採譜となっています。つまり伝承歌。
戦前から元になる旋律はあったようでクレイジーキャッツの「悲しきわがこころ」が実はその1曲。ちなみにこの「悲しきわがこころ」は近藤房之助木村充揮がカヴァーしてます。記憶違いかも知れませんが、やはり鈴木清順の映画「けんかえれじい」でバンカラ学生が歌っていたような……。

だいぶ話がそれましたが、要はわたしにとって“最も皮ジャンが似合う男”は若かりし頃の渡哲也、ということなのです。

長くなりましたのであと2曲の「皮ジャンソング」を駆け足で。

渡哲也の本名は渡瀬道彦。でその親戚でも何でもない渡瀬マキがヴォーカルのバンドといえばリンドバークLINDBERG。そのベストヒット曲「今すぐ、Kiss Me」には
♪歩道橋の上から 見かけた革ジャンに 
とうたわれています。平成2年の歌。もう20年近くが経ってしまうんですね……、オソロー!

まごまごしてると30年経っちゃうっていうのがこれ。
♪赤い皮ジャン引きよせ 恋のバンダナ渡すよ 「ギンギラギンにさりげなく」近藤真彦
昭和56年のオリコンチャート6週1位で、作詞の伊達歩は作家・伊集院静のペンネームとは知る人ぞ知る。やっぱり筒美京平の曲がポップでいい。

ジャンパー、この響きはあまり聞かれなくなりました。
かつてはロケンローラーの必須アイテムだった皮ジャンも今はどうなんでしょう。あまり見かけません。着ているのはせいぜい「超新塾」ぐらいかも。
でもGジャン、スタジャン、スカジャンと「ジャン」はなんとか生き延びているようです。
「冬歌」も「ジャン」が鳴ってあと1周回。最後のマクリに入ってみたいと思います。


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