冬歌①雪椿 [noisy life]
♪やさしさと かいしょのなさが
裏と表についている
そんな男に 惚れたのだから
私がその分がんばりますと
背(せな)をかがめて 微笑み返す
花は越後の 花は越後の 雪椿
(「雪椿」詞:星野哲郎、曲:遠藤実、歌:小林幸子、昭和62年)
また訃報。作曲家の遠藤実。76歳はやっぱりまだまだの感。
「雪椿」は歌詞に越後が出てくるように新潟出身の小林幸子が作詞家の星野哲郎に頼んでつくってもらったという「母の歌」。もちろん、彼女の両親がモデルということではなく、あくまでフィクションなのだが。小林幸子については近々ふれるので、ここではこれ以上掘り下げずに本題へ。
この「雪椿」はまた作曲の遠藤実の歌でもある。
遠藤実は東京生まれだが育ったのは両親の故郷である新潟県。父親が職を転々と変える人で、それゆえの極貧生活は数冊出されている自伝に詳しい。
「あの頃はみんな貧しかった」というけれど、そんな中でも格差はあった。戦前とはいえ町中で夜、電灯の点かない家はそうはなかっただろう。
そんな貧しい生活を送る少年に希望を与えたのが「流行歌」だったという。
戦前戦後を通して歌で日本の若者たちの心をつかんだ岡晴夫に憧れ、気がつくと彼はのど自慢大会の常連になっていたという。そしてその夢はやがて当時の多くの青年たちがそうであったように東京へと向かっていく。それが昭和25年、彼が17歳のとき。
東京で“流し”をしながらレコード会社のいまでいうオーディションを受け続けるが、のど自慢大会で優勝できない者が合格するはずがなかった。
そこで歌手への夢に見切りをつけ、作曲の道へ方向転換することに。これには“流し”を経験したことが役に立ったそうで、毎日客と接していると、彼らがどんな歌を聞きたがっているのかということがわかってくるというのだ。
それから独学で作曲を勉強した彼は、知人の紹介で顔見知りとなった作詞家、松村又一の紹介でマーキュリーレコードの専属作曲家に採用されることに。上京から3年目のことだった。
そしてそれから4年後藤島桓夫の「お月さん今晩は」がヒットする。都会へ出て行った恋人へ想いをはせるという、当時三橋美智也らで主流だった“故郷歌謡”。
マーキュリー時代は“副業”に流しを続けなければならなかったほど収入がなかったが、昭和34年コロムビアレコードへ移籍後、本格的な作曲家の道を歩み始めることに。そのコロムビア時代に数々のヒット曲を世に送り出し、その後昭和40年には自らミノルフォンレコードを立ち上げる。その間、それ以降の華々しい活躍はそのヒット曲を並べてみれば一目瞭然。
彼の自伝やいつかテレビ番組で話していた半生は、その“ドラマ仕立て”が重たくいささか違和感を覚えたものだが、それと作品とは別で、5000曲といわれる作品の中には愛聴歌も愛唱歌もあるし、古賀政男に匹敵するほどの素晴らしい作曲家だったことに異論はない。
では遠藤実作品の「私的ベスト10プラス2」(you-tubeにあるものにしました)を順不同で。
星影のワルツ 千昌夫
すきま風 杉良太郎
くちなしの花 渡哲也
純子 小林旭
学園広場 舟木一夫
若いふたり 北原謙二
青春の城下町 梶光夫
新宿そだち 津山洋子、大木英夫
東京へ戻っておいでよ 守屋浩
ソーラン渡り鳥 こまどり姉妹
哀愁海峡 扇ひろ子
からたち日記 島倉千代子
ご冥福をお祈りします。
先ほど追悼番組をちょっと見まして
昨日だったか天声人語でも取り上げられてました。
森昌子の「せんせい」も作った方なんですね。
曲聴いた瞬間「あー!」って
阿久悠さんの時も思ったんですが
昭和の曲って1フレーズにはっとさせられるものが多いですよね。
by アコ (2008-12-10 23:31)
こんにちは。
遠藤実氏の訃報、宮川 泰氏に続いて、淋しいですね。
昭和は遠くなりにけり。
「星影のワルツ」「北国の春」、良いですよね。
「こまっちゃうナ」も可愛い曲ですよね。
僕のブログでも近く、遠藤実作品を取り上げる予定です。
by 都市色 (2008-12-11 07:25)
アコさん、こんにちは。
追悼番組あとで気づきました。まさかゴールデンタイムにやるとは。
そうでした森昌子の「せんせい」、ありましたね。
彼女の「中学三年生」もたしか遠藤実・阿久悠コンビでした。
「高校三年生」に「中学三年生」、まさか「大学三年生」……はありません。もちろん「小学三年生」もね。
by MOMO (2008-12-12 20:58)
都市色さん、こんにちは。
そうですねぇ、昭和を感じさせる作曲家、あと誰が残っていますかね。
「遠藤実の巻」期待してますよ。
by MOMO (2008-12-12 21:03)