峠①天城越え [a landscape]
♪ …………
恨んでも 恨んでも
軀うらはら あなた…… 山が燃える
戻れなくても もういいの
くらくら燃える 地を這って
あなたと越えたい 天城越え
(「天城越え」詞:吉岡治、曲:弦哲也、歌:石川さゆり、昭和61年)
昨今のクイズ番組ブームもいささか食傷気味。
そんな番組でよく出てくるのが漢字の読みや筆記。
たしかに漢字っておもしろい。
たとえば弱い魚が「鰯」(いわし)、虎みたいに強いのが「鯱」(しゃち)。あるいは人が動くということは「働く」ことだったり、風が止まると凪だったり。
じつは以上の漢字はすべて国字。つまり中国本家からやってきたものではなく、日本でつくられたもの。よく使うものでは「畑(畠)」、「笹」、「辻」なんかもそう。
そんな国字のひとつに「峠」もある。
なるほどなぁ、山の上りと下りの境か。誰が考えたんだか。いまはあまり使われないけれど土へん、つまり「垰」も同じ意味で「とうげ」と読む。
というか、「峠」そのものがいまはほとんど出番を逸している。
「峠」は山の道を登りつめたところで、それは山頂の場合もあるが、多くはその途中の尾根にある。「とうげ」の語源は2つある。
ひとつは旅人が安全を祈願して山の神に幣(ぬさ・神事につかう紙や布を切ったもの)を手向けたことから。つまり「たむけ」が「とうげ」に変化したのだと。
もうひとつは、峠の意味を持つ「垰」は「たお」と読む。「たお」は「たおやか」の「たお」で尾根のゆったりとたるんだ所つまり峠のこと。その「たお」を越えることが「たおごえ」で、それが「とうげ」になったという説。
いずれにしろ昔の人にとって「峠」は他国へ行く国境(くにざかい)であり、それを越えることは旅にしろ用事にしろかなり大変なことだったのだ。
「峠をあるく」の著書がある井出孫六は何千年もその役割をまっとうしてきた峠の死は、鉄道の敷設によってはじまった、と書いているがまさにそのとおり。
峠はまた多くの文学作品のバックグラウンドとなってわれわれに素晴らしいストーリーを提供してくれた。
そのなかでもよく知られるのが川端康成の「伊豆の踊子」の舞台となった「天城峠」。
天城峠は伊豆半島の中央やや海寄りにある海抜1000mに満たない峠で、江戸から下田へ向かうには避けて通れない難所だった。
ということは、幕末、開港を迫る目的でアメリカやロシアの艦船が下田沖に姿をみせたとき、その防衛、交渉のために多くの幕府一行がこの峠を越えていったのだ。
川端康成の「伊豆の踊子」が書かれたのは昭和のはじめで、その時にはすでに天城トンネルが開通していて、峠を越える苦労も半減していたのだが。
この「伊豆の踊子」は何度も映画化され、また流行歌の題材ともなっている。
♪天城峠で 会うた日は 絵のように あでやかな 「踊子」三浦洸一
昭和32年のヒット曲で、♪さよならもいえず 泣いていた という印象的な詞は、♪ラララ 紅い花束車につんで の「春の唄」で知られる貴志邦三。
♪天城七里は白い雨 あなたと逢えた峠の茶店 「伊豆の踊子」吉永小百合
「踊子」は小説の主人公「私」からみた歌だが、こちらは旅芸人の少女「薫」が主役。昭和38年、吉永小百合、高橋英樹主演で映画化された時の主題歌。
戦前の田中絹代をはじめ、昭和40年代の山口百恵まで、将来有望な女優のハマリ役として映画化されていたが、もうそんな時代ではないのか……。いや、そのうちやるなきっと。
戦前にも「伊豆の踊子」を主題とした歌があった。
♪別れ山風(やませ)に日が暮れて 未練曇りの峠路 「天城曇れば」東海林太郎
また小説とは関係ないが天城峠をうたったものでは、
♪墨絵ぼかしの 天城を越えて 「伊豆の佐太郎」高田浩吉
♪揺れていきましょ 峠のバスで 天城越ゆれば 大島の 「天城越ゆれば」北廉太郎
♪降るな天城の旅しぐれ ……なぜか侘びしい峠みち 「雨の天城路」三丁目文夫
がある。
「天城峠」といえばもうひとつ有名な小説がある。松本清張の「天城越え」。
こちらは推理作家らしく殺人事件が絡んだミステリー。親に反発して天城を旅する少年と道連れになった娼婦、そしてその娼婦に近づく旅の男。娼婦に母親を見た少年が男を殺すというストーリーだが、同じく松本清張の「影の車」も似たようなテーマだった。
上にのせた石川さゆりの「天城越え」は清張の小説を歌にしたものではない。タイトルだけを拝借したにすぎない。そういう例は少なくない。とくに演歌には。
「邪宗門」都はるみ 「暗夜行路」美空ひばり 「細雪」五木ひろし 「雪国」吉幾三 「放浪記」田川寿美 「飢餓海峡」石川さゆり 「紀ノ川」西方裕之 「浮雲」香西かおり
ごらんのとおり。それはともかく。
いまや車であっという間に上り下りしてしまう天城峠。「伊豆の踊子」や「天城越え」の登場人物たちが越えていった時代ももちろん、そのもっと以前の大昔、人々は山を削りながら幅1mほどの道をつくり、峠をつくった。ブルドーザーも重機もない時代それがいかに困難を極め、途方もない時間がかかったことは想像がつく。
しかし、なぜそうまでして人々は山の彼方へ行きたかったのだろうか。先祖代々続いてきたような限られた空間で一生をまっとうしようと思わなかったのだろうか。
おそらく、好奇心で凝り固まった“変人”がいたに違いない。
なお「天城越え」とは、小説も歌もそうだが、「天城峠」という意味。「越え」は「峠」で天城峠を越えることではない。そうでなければ、歌詞の「あなたと越えたい 天城越え」がおかしくなってしまう。
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