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秋歌④旅の夜風 [noisy life]

旅の夜風.jpg
♪加茂の河原に 秋長けて
 肌に夜風が 沁みわたる
 男柳が なに泣くものか
 風に揺れるは 影ばかり
(「旅の夜風」詞:西條八十、曲:万城目正、歌:霧島昇、ミス・コロムビア、昭和13年)

「旅の夜風」は松竹映画「愛染かつら」の主題歌。「愛染」は「あいぞめ」ではなく「あいぜん」。念のため。

映画が封切られたのは昭和13年の秋。
それから翌年にかけて「愛染かつら」&「旅の夜風」、つまりその主人公である津村浩三と高石かつ枝の物語は日本全国を席巻する一大ブームとなったというから、お立ち会い。

どのぐらい凄かったかといいますと、一説では観客動員が1千万人を超えたと。
2千万人を超えるという今の世の「宮崎アニメ」とは比較になりませんが、映画がまだ子供たちのものではなかった時代、おそらく現代のようにテレビ、雑誌、新聞等のメディアがこぞって宣伝するということもなかった時代。さらにいえば、日本の人口も7千万人あまりだった頃という話であれば、そのフィーバーぶり(古い!)が想像できます。

また、当時、ヒロイン高石かつ枝に憧れてナースになった娘までいたとか。
そして主題歌「旅の夜風」の1番の出だし♪花も嵐も 踏み越えて…… は、流行語というか、その後しばしば使われるフレーズにまで。

そもそも「旅の夜風」は川口松太郎が婦人雑誌に連載していたラヴ・ストーリーが原作。
主人公はありがちな医者とナース。おまけにナースは前夫との間にできた子供がいる。つまりハンデがある。そんな二人が近づいたり離れたり、すれ違ったりとハラハラドキドキのドラマが展開されていく。そして苦難の末二人は結ばれるというハッピーエンディング。まぁメロドラマの典型ですね。ただ、単なるメロドラマではなく、不幸な女性が医者の妻になるという「シンデレラ・ストーリー」、「玉の輿話」の味付け。そうこなくちゃ。

時まさに日中戦争の渦中。南京に侵略したのが前の年の12月。日米開戦にはまだ少し間があるとはいえ、日本にとっては“戦時中”。実際、この年には「国家総動員法」いう国民をがんじがらめに縛る法律が成立しています。
そんな時代であっても、いやそんな時代だからこそ、庶民は非現実的なラブロマンスを渇望していたのかもしれません。

この「すれ違い」の手法は戦後大ヒットしたメロドラマ「君の名は」でも。好きなんだよなぁ、「なんでそうなっちゃうの……(涙)」っていうすれ違いドラマ。女性の方々は。いやぁ、男だって同じかもね。

医者の津村浩三を演じたのが当時売り出し中の2枚目・上原謙。亡くなりましたが加山雄三のお父上です。そして白衣のヒロインに扮するのが、その時のブロマイド売り上げナンバーワンという田中絹代
はじめヒロインは歌える女優、高峰三枝子を打診したそうですが、「わたし、子連れの役できません。だってイメージこわれますもの」と丁重に断られたとか。

そして映画と共に大ヒットした主題歌「旅の夜風」を歌ったのが霧島昇松原操
松原操はミス・コロムビアのステージネームで当時、コロムビアレコードの看板歌手。一方霧島昇は3つ年下の新人歌手。
なんでも松原は霧島の憧れの君だったとか。そして、この歌をうたったことがキッカケで翌年2人はスピード結婚、生涯の夫婦と相成ることに。

映画が大ヒットするとどうなるか。そうです、算盤を弾くまでもなく続編の制作です。もちろんファンも大歓迎。
昭和14年には「続愛染かつら」、「愛染かつら・完結編」がつくられることに。
第一作でハッピーエンドになったはず……、「で・す・が」で続編に。なんでも2人の結婚前に津村医師が徴兵で中国へ行くことに。歌手になったはずのかつ枝さんも、後を追って従軍看護婦に、ってストーリーは強引に。

主題歌も、第一作の「旅の夜風」、高石かつ枝が劇中で歌う(彼女は看護婦でありながら歌手になる。これもスゴイ設定)「悲しき子守唄」のあと、続編で「愛染夜曲」「朝月夕月」が、完結編では「愛染草紙」「荒野の夜風」がつくられ、第一作ほどではないですがいずれもヒット。

その「旅の夜風」を含め「愛染夜曲」「愛染草紙」とレコードの各A面を作曲したのが、映画音楽も手がけた松竹の万城目正
130万枚を売り上げたというこの「旅の夜風」は彼の実質的な流行歌初ヒット。

戦後「東京キッド」、「悲しき口笛」など美空ひばりの初期のヒット曲をつくったことで知られる万城目正は北海道十勝の出身。
武蔵野音大から松竹の管弦楽団に入り、さらに東洋音楽学校(現在の東京音楽大学)へ通い、昭和7年に映画音楽を手がけ始めます。

「旅の夜風」の大ヒットにより、“万城目メロディー”なる言葉が生まれるほど流行歌の作曲家としての地位を築いた万城目正ですが、その名前をさらに全国に知らしめたのが、戦後初のヒット曲といわれる「リンゴの唄」(並木路子、霧島昇)。

これも松竹映画「そよかぜ」の主題歌としてつくられました。
万城目が本格的な流行歌の作曲家になるべく松竹を辞めてコロムビアの専属になったのはそれ以後のこと。そして美空ひばりのデビュー曲を手がけ、さらに一連のヒット曲をつくっていきます。
当時、コロムビアレコードには古賀政男、服部良一、古関裕而という日本の流行歌を代表する作曲家が在籍していて、「第四の男」にはスポットライトも暗めでしたが、さらにさらに島倉千代子のデビュー曲「この世の花」でその存在感を示します。

考えてれば「旅の夜風」と「リンゴの唄」で日本人の琴線を振るわせ、さらには美空ひばり、島倉千代子という歌姫のヒット曲をつくるという、才能もさることながら巡り合わせの運を持っていた作曲家でもありました。

人柄は、島倉千代子にいわせると「きみは歌が下手だ」とストレートに言う厳しさがあったと。きっと島倉千代子のことですから厳しいレッスンで何度も泣かされたのではないでしょうか。実際、「この世の花」のヒットにもかかわらず、その後万城目正作曲の歌をうたっていません。作曲家が見切ったのか、歌手がNGを出したのか。一説によると、「この世の花」の出来に手応えを感じていた万城目は当初、他の歌手にうたわせたいという願望があったとも。人間、相性もあるからなぁ。

一方、「リンゴの唄」の並木路子にいわせると、レッスンではとても熱心で間違えても何度もリピートして教えてくれたと。また「この歌をうたえば5年はスターでいられるよ」と励ましてくれて、彼女が松竹少女歌劇からコロムビアの専属になる助言もしてくれたとも。

酒が好きで、それゆえの武勇伝も残しているようですが、昭和43年、68才で亡くなっています。

「愛染かつら」は戦後、大映(昭和29年、鶴田浩二・京マチ子主演)と松竹(昭和32年、吉田輝雄・岡田茉莉子主演)によってリメイクされましたが、時代は変わって戦前ほどのヒットにならなかったのは仕方のないところ。

最後になりましたが、「愛染かつら」とはもちろん頭に被るカツラのことではなく、桂の木のこと。その桂の木にふたりして手で触れると、どんな困難があっても結ばれる、そんな言い伝えがある。というのは作家の創作でしょうが、そのモデルとなった木は東京は谷中の自照院にあった桂がモデルになったともいわれていますが、戦後直ぐに朽ち果てて現在はないとか。

また大阪四天王寺の勝鬘院愛染堂にも「愛染かつらの木」があるそうですが、これは戦後松竹が再映画化するときにヒット祈願のために植樹したもの。
ほかにも神奈川県片瀬の密蔵寺にも「愛染かつら」があるそうで、これものちに看護婦役で映画に出ていた女優の木暮実千代が植樹したものだとか。

昭和の終わりとともに、「愛染かつら」も「純愛映画」も過去のものとなりにけり、でしょうか。


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